私も、若い頃、自治会館の1階の大部屋ですし詰めなって童謡を合唱している老人会の人々を見てこんな老人生活は嫌だと思いました。ドライブに行って広場でゲートボール(GB)をやっている老人を見ると老人臭いと思い、GBまで老人臭いと思って軽視しました。
要するに、自分もやがて老人になるのに老人を嫌ったということだと思います。
私は会社を退社して年金生活に入ってもボランティア活動で元気に生きたいと思い、老人会を嫌い続けました。老人臭さが嫌いでした。
60代は国際交流ボランティアとして、また森林ボランティアとして町外で活動していました。しかし70歳が近づくと、何か空しさを感じ、町のボランティア活動をやりたいと思うようになりました。
69歳のとき町の防災で活動したいと思い、応募して家庭防災員になりました。救出救命などの講習会があると積極的に参加してスキルを増しました。すると西洗自治会は私に注目し、町の防災ボランティアとして起用し、消防機能の強化を依頼してきました。迷うことなく、町の防災ボランティア活動に注力しました。
町のボランティアして活動範囲を広げたいと思っていたので70代は、西洗公園によく行って、雑草で荒れていた公園の草取りなどをやっていました。
72歳のときですが、公園北広場で老人達がGBをやっているのをしばらく見ていました。これまでGBは老人臭いと軽蔑していたが、GBとはどんなスポーツか詳しいことは知りませんでした。想像とはまったくことなり、老人達が何をやっているのかわかりませんでした。単なるゲート通しではありませんでした。むずかしいスポーツだなと思いました。老人臭いと思ったのは誤解だったと悟りました。
これは挑戦に値すると思い、すぐGB部に入部しました。しかしGB部は日限山いぶき会という老人会の下部組織で、老人会に入会する必要があり、私はGB部に入部するため老人会に入会しました。
GBのすごさがわかり、はまりました。爾来、83歳になりましたが、GB好きです。
一方、老人会は好きになれませんでした。定例会などは、つまらない幹部の報告を聞いて、安っぽい弁当をすし詰めの部屋で食べ、誕生祝いと言って幹部からティッシュ―などもらって、しろうと余興を見て、例の童謡をみんなで合唱して、幼稚園的集団活動と思いました。以後、定例会は欠席としました。
老人会が絵画などの作品展をやっていました。これはいい企画と思ったので3年間実行委員長を引き受けました。通常1年で委員長は交代でしたが、気にいって3年やり、老人会の作品展を町の作品展に拡大することに成功しました。
ところが、世の中、老人の間ではGBは、仲間はよく喧嘩をする、老人臭いという悪評が蔓延し、我が国のGB人口は急減していきました。わがGB部も同様で、町の評判悪く、GB部は繁栄しませんでした。
最近驚いたことは、GBに代わって流行しだしたグラウンドゴルフが早くも老人臭いと批判され、発展がとまったというニュースです。
老人というイメージが悪く、老人のスポーツと聞くとグラウンドゴルフも悪評が立って愛好者が減るようです。
どうやら人生から老人という形容詞を取り除かないと、老人は楽しく生きることができないようです。
老人でありながら老人として生活できない故に、孤独となり、孤立する老人がどんどん増えています。悲劇です。
自分は老人だと認識し、平気で元気に老人生活を楽しむ人が増えることが問題解決の唯一の方法と思います。
そこで私は平然と元気老人を演じて生きています。GBにも町のボランティア活動にも熱中しています。
しかし、やはり老人会の定例会は老人臭さすぎますね。死が近い老人の特殊社会に放り込まれる嫌さがあります。若い人々と交流できる活動・遊びがいいですね。町のボランティア活動やGBはいいですね。老人会は嫌ですね。