ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

危険な技術をやめ、安全な技術に変えてもお金は動く

2010年02月26日 | Weblog


久しぶりに起振車で震度6強を実験しました。
私の体力が劣ったこともありますが、起振車の性能もよくなったのでしょう。
予想より揺れが激しく、起振車で骨か筋肉を傷めるのではないかと思ったほどです。

震度6とは這って動ける揺れ、震度7とは這っても動けない揺れだそうです。
恐らく都市部が壊滅する地震は震度7以上でしょう。
大地震が来たらどうこうするという情報はほとんど役立たないと思います。
その場に自然にうずくまるか倒れこむでしょう。
体は大揺れに翻弄されているでしょう。

したがって大地震が来ても安全な住宅や町をつくることが大事です。
住宅については、その構造の耐震性を上げ、さらに部屋の中に重いものを置かないことです。
大地震ではものは重くても飛ぶそうです。
家具は、現在市販されている家具転倒防止グッズはあまり信頼しない方がいいと思います。
ちゃんとリフォーム店に依頼して取り付け家具に換えるべきです。

道路については、上からの落下物、横から転倒してくるものが危険です。
道路に沿って存在するブロック・石塀、電柱電線、老巨木、住宅の瓦屋根、事務所の窓ガラス、タイル外壁、看板などは非常に危険で、もっと法規制を厳しくしてもいいと思います。

自動車がよく通る道路については頑丈なガードレールが必要です。
歩道が15cmぐらい高くしてあるだけでは操縦不能に陥った自動車が歩道に突っ込んでくることを防ぐことはできません。

消防署の防災に関する講演を聞きますと、あれが危険これが危険と危険の御題目ばかり並べています。
ところが中央・地方政府は地震に弱い危険な住宅や町を放置しています。
お金がなくても出来ることがいっぱいあるのにやりません。

業者は法規制や行政指導は経済を阻害すると主張します。
しかし、技術を制限する面はありますが、別に経済を阻害する訳ではありません。
危険な技術をやめ、安全な技術に変えてもお金は動きます。
安全より既存業者の既存収益手段を尊重するような政治はもう止めるべきです。

法律とはその時代の社会水準でしかない

2010年02月23日 | Weblog


昔の建築基準法を守っていても建造物に耐震性がなかったことからわかるように法律とはその時代の社会水準でしかありません。
理想とはほど遠いものです。
したがって現行法律を守っていればいいという考えは消極的な生き方だと思います。
問題があれば法律を改善することが積極的な生き方だと思います。

経済成長が終わった現代、人々は、これまで上げてきた社会水準を維持することに困難を感じています。
貧乏だからしょうがない、法律を守っているからいいではないかと住環境の悪化を放置するような雰囲気があります。

しかし人々が、貧乏を肯定し、社会水準を上げる意欲を失いますと、社会は一方向で衰退していくものです。
社会水準が上がる速度が遅くなっても上げる意欲を持ち続けると社会は元気です。
向上意欲や忍耐力が元気を保ってくれるからです。

現在消極的な生き方になっている人は、現行法律で社会は決して安全ではない、生きやすくはないということを昔の建築基準法の例から認識してほしいと思います。
貧乏だからしょうがないと消極的にならず、よりよい社会水準を追求してほしいと思います。

自転車道

2010年02月20日 | Weblog

東京都品川区西大井 車道を分け、歩道側を自転車道とし、青色に色分けしています。古い建物が密集し雑然とした狭苦しい町でしたが、古い建物が今取り壊されつつあります。美しい町になるといいのですが、・・・。

日本では自転車道を特別設ける考え方がなく、自転車は車道を走ることとなっています。
しかし車道を自転車で走ることは恐怖です。

結局自転車は歩道を走ります。
しょうがないので社会は黙認しています。
しかし今度は自転車が歩行者と接触する事故が多発しています。

そこで歩道を広くして二分し、車道側を自転車道にしているところがあります。
すると自転車は高速で歩行者のそばを走り抜けますから歩行者が恐怖を感じます。
歩行者が自転車道を歩いていると、人を縫うように自転車は高速で自転車道を走ったり、歩道を走ったりしています。
これも歩行者にとって恐怖です。

そこで自転車はやはり車道を走れということで、車道を分けて歩道側を自転車道にする方法が出てきました。
上の写真は自転車道を青色にして自動車に注意を促している例です。
多少自転車は安心ですが、前方に路上駐車があって自転車が車道に出ないと前に進めない場合は危険です。

はっきりと車道、自転車道、歩道を分けることが望ましいのですが、車の多い道路でも歩道すら取れないことが多い日本です。
事故を起こしたら車道では自動車の責任を重くし、歩道では自転車の責任を重くすることで、強い方に、もっと注意してもらうしか方法がないのが現状です。

何か誇りを見つけ町づくりに生かそう

2010年02月17日 | Weblog

東京都大田区 池上梅園

歴史のある町は歴史を生かして町づくりがやりやすいと思います。
たとえば、先日行きました東京都大田区の池上梅園は紅白の梅が美しい関東有数の梅園です。
さらに隣りに歴史のある池上本門寺があります。
これらを生かして落ち着いた美しい町づくりをやりやすいと思います。

しかし戦後の新興住宅地は、人々の心をまとめるものがなく、時とともに町が雑然としてしまい、住環境を重視する人は悩んでいることと思います。
誇りに思うものが何もない場合は、町内会で話し合って一つでもいいから何か誇りに思うことをつくり、それを生かして町づくりを行うといいと思います。

私が住んでいる町は新興住宅地ですが、幸い自然が残る美しい広大な舞岡公園が隣接しています。
周辺住民の住環境意識が高かったので公園が誕生した経緯があり、住民は公園を愛し、よく散歩しています。
町内会が、しっかりと舞岡公園を意識し、公園と調和するような家づくり、庭づくり、町づくり運動をやるようになると町はさらに美しい町になると思います。

流鏑馬(やぶさめ)

2010年02月13日 | Weblog

曽我梅祭り流鏑馬神事(2010.2.11)

2月11日小田原市曽我で梅祭り流鏑馬神事が行われました。

曽我は梅林がよく知られています。
また鎌倉時代の仇討ちで有名な曽我兄弟の育った地で、ここに兄弟の墓があります。
町は鎌倉時代に盛んになった流鏑馬を曽我の鎮守の神に奉納し、曽我の繁栄を祈っています。
小田原市は観光としてこの神事を支援しています。

私は流鏑馬を見たことがなかったので、この日は曇りあるいは雨と予測されていましたが行ってきました。
御殿場線の北曽我で下車し、御殿場線沿いにその東側を数百m南に行くと御殿場線と梅畑の間に水田があり、会場になっていました。
来る途中見た梅はどれも幹が大変太く、白い花をいっぱいつけ、長い歴史を感じました。
通常曽我梅林と呼ばれる場所はこの会場のさらに南にあります。

12時頃に会場に着きました。
水田の中、御殿場線沿いに直線の農道が数百mあり、砂がかなり厚く敷いてありました。
農道の東側の水田にはブルーシートが敷いてあり、観客が歩いたり、腰を下ろしたりすることが出来るようになっていました。

農道の北端で神主が祝詞をあげていました。
美しい伝統的な騎馬装束をまとった射手達が身じろぎもせず、椅子に座って祝詞を聞いていました。
寒いのによく忍耐すると思いました。
(社)大日本弓馬会の人達ですが、弓道や馬術が上手なだけでは駄目でまじめに流鏑馬の伝統を保存する心がないといけないそうです。

13時頃から流鏑馬が始まりました。
農道の西側農道沿いに百mぐらいの間隔で的が三つ置かれており、射手は南端から農道を北に馬を疾駆させながら、弓に矢をつがえては射、またつがえては射て、三つの的を射ます。
四人一組で二組八人が的を射ましたが、その迫力と速さと美しさに感動しました。
流鏑馬は動中静ありの美しい形ができていると思いました。

流鏑馬が始まると小雨が降り始めるという悪条件でしたが、三つの的をすべて当てた人がいました。
何と美しい女性でした。

八人の中から成績がよかった四人が選ばれ、小さな直径20cmぐらいの円形のかわらけの的を射る技(わざ)が行われました。
これは大変むずかしい技でしたが、二人が一つずつ当てることができました。
矢が当たるとかわらけは音を発して飛び散りました。

神事がすべて終わった後、射手とお会いましたが、寒さにも雨にも負けず疲れも見せず何事もなかったかのように冷静でしたので、改めてその精神力の強さに驚きました。

会場を後にして北曽我駅に歩いて行くと、途中梅のとても美しい庭のある家の方が無料で熱いおしるこをご馳走してくれました。
甘すぎることなく、おいしいおしるこでした。
心も体も暖めてくれました。

普天間基地は廃止でいい

2010年02月10日 | Weblog

沖縄県宜野湾市アメリカ軍普天間基地周辺
(出所)宜野湾市ホームページ

住宅密集地の中の飛行場は軍用であれ民間用であれ迷惑です。

普天間基地について昔は周辺に住宅はなかった、住宅をつくった人が悪いという意見があります。
昔はそうだったかもしれません。
しかし今は宜野湾市の人々は基地は迷惑だと言っている訳ですから、宜野湾市も沖縄県も日本政府もアメリカ政府も廃止を真剣に考えるべきです。

普天間基地の移転先が名護市辺野古に決まらないなら普天間基地はそのままと言っているアメリカ政府はあまりにも非人間的です。
人々のことを考えていません。
このような非人間的政府に日本の防衛を考えてもらうことは日本にとって危険です。

在日アメリカ軍基地周辺に住んでいない日本人は基地周辺の人々の苦しみを理解していません。
日本の防衛のためだ、我慢せよと考えています。
本当に彼らに我慢させないと日本の防衛はできないか、ほかにいい方法はないかと考えるべきです。

よく考えもしないで安直な日本政府やアメリカ政府の考えに賛同し、苦しんでいる同胞を放置しているようでは同胞ではありません。

普天間基地については廃止でいいと思います。
日本政府もアメリカ政府も東アジアの平和を維持すると言うならもっと真剣に人々のことを考えた方法を考えるべきです。
防衛技術が高度に発達している現代、住宅密集地の中の基地維持では時代遅れです。

庭での生ごみの処理

2010年02月07日 | Weblog


台所から出る生ごみの多さには驚きます。
食材の2/3を食べ、1/3を捨てているかもしれません。

庭があるからと思って穴を掘って直接生ごみを入れていると、意外に生ごみは腐敗が遅く、掘り返すと生ゴミがそのまま出てきたりします。

そこで私の家では中くらいの大きさのふたつきのポリバケツを五つ用意し、台所から出る生ごみをこのポリバケツである程度腐敗させ、庭に掘った穴に埋めるようにしています。

生ごみをポリバケツに入れる都度、その表面は庭の土で覆います。
土で覆うと、腐敗臭が外に出てくることを押さえてくれます。
保温効果もあって腐敗を加速していると思います。
腐敗菌は綿のような白い菌で土面まで覆います。
さらにポリバケツにふたをしておくと悪臭はほとんどしません。

一つのポリバケツがいっぱいになると次のポリバケツで生ごみを処理します。

すべてのバケツがいっぱいになると最初のバケツのある程度腐敗した生ごみを庭に掘った穴に埋めます。
多少形を残している生ごみもありますが、だいたいは土と混じって黒色の汚泥になっています。
ポリバケツですから水分が外に流れないので汚泥はどぶ底の汚泥のようにどぶどぶしてちょっと不潔な感じがします。
悪臭もします。
しかし穴を庭土で覆えば臭いはしません。

ポリバケツは洗わないで次の生ごみを入れるようにします。
土で覆い、さらにふたをすれば悪臭はほとんどしません。

こうすると庭を掘り返したとき生ゴミがそのまま出てくることはありません。

町の食堂

2010年02月04日 | Weblog
工場、大学などに行きますと大食堂があり、種類は少ないのですが、暖かい家庭的な食事を安価に食べることができます。
テーブルのどこかに知っている人がいて食べていますので、そこへ食事を持っていって知人と話しをしながら食べることができます。

住宅街を考えてみましょう。
昔は住民が若かったのですが、今は老人が多くなりました。
つまり自分で食事の用意ができない人が増えました。
しかし近くに家庭的な食事をとれるレストランがありません。

老人が多い住宅街は食事に関しては工場などと同じです。
つまり町に工場などにあるような食堂があると便利です。
明るくて広々した老人が動きやすい空間、老人が坐りやすいテーブルと椅子がある食堂があるといいと思います。
このような食堂は老人の楽しい交流の場にもなると思います。

地方政府、町内会、町のボランティア、外食産業が、協力して町の食堂づくりをするようなると老人の町も住みやすくなると思います。

なお流行のファミリーレストランは店内にテーブルと長椅子がいっぱいで、動きにくい、坐りにくい、狭苦しいなど、多くの問題があります。
食事が家庭的でないし、高すぎます。
町の人が長居できる場所でも毎日行くような場所でもありません。

経済成長ではない価値観を見いだすことが日本の課題

2010年02月01日 | Weblog
経済成長しないのにどうして政府は経済成長に執着し続けるのでしょうか。
新しい価値観を見いだしていないからです。
開発途上国の生産コストが低い(輸入品が安い、輸出品を高くできない)、日本の人口減少、老齢化などを考えますと経済成長はむずかしいと思います。

日本の年間出生は100万人に収斂しつつあります。
一方、死亡は100万人を超えてかなりの速度で150万人に向かっています。
人口減少は急速です。
21世紀の中頃には1億人ぐらいになるでしょう。
しかも数十年老人の割合が多い状態が続きます。

政府はアジアから安い労働力を導入して経済成長を再現すると言いますが経済のことしか考えていません。
まるで奴隷を使うような古臭い発想で非人間的です。

昔日本で当たり前であった経済成長は今や開発途上国に移ったと悟るべきです。
経済成長ではない価値観を見いだすことが日本の課題です。
この価値観はアメリカはまだ見い出していないと思います。
それなのに日本はまだアメリカをまねしようとしています。

このような課題に政府も人々も取り組むことで独創的な新文化を生み出すことができます。
この文化は必ずや経済成長が終わった国々に役立ちます。