ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

農林水産業の見直しを

2007年06月29日 | Weblog


最近故郷(静岡県西部)で中学校3年の同級会が開かれましたので参加しました。
同級生には約50ぶりに会いました。
半分以上の人が故郷またはその周辺で職につき、元気に生きてきたことを知りました。
当時静岡西部では工業が発達しましたから仕事がたくさんあったのでしょう。
現在でも工業はまずまずで、労働力が不足し、ブラジル人などが大勢働いているそうです。

私の記憶では水田、茶畑、山林からなる広大な農業地帯でしたが今は工場や住宅がこれらの地帯を侵食していました。
それでも全体から見ると緑が多く、都市部から来た私には心和む風景でした。

同級会の後、同級生の家に泊めていただきましたが、その家は水田と茶畑に囲まれた所にあり、田園そのままでした。
上の写真は付近を流れる小川にかかった橋の欄干に掲げられた方言で書かれた標語です。
堤防の則(のり)面の草刈などは住人が協力して行います。
堤防の上の道や農道の脇には花や木が植えられており、美しい田園を維持しようとする住人の心意気が伝わってきます。

同級生と田園を散歩しましたが、行き会った人はみんな挨拶をします。
そしてちょっと会話を交わします。
私も旧知のあいだであったかのように会話に入ることができました。

戦後日本は工業で経済成長しました。
しかし工業が世界に分散する中、日本の工業は縮小の時代に入りました。
すでにサービス産業も知的生産もかなりの発達水準にあります。
今後は、ちょっと軽視されてきた農林水産業を重視し、各産業の釣合いを見直すべき時と思います。

虫に食われたように工場などに侵食された農業地帯を本格的な農業地帯として再生するような国土開発が必要と思います。
週日は工場で、土日に農地で働くという中途半端な形ではなく、農業を専門とし、農業技術開発も行うような農業経営を目標とすべきと思います。

個人主義でいいが、社会性で制御されるべき

2007年06月24日 | Weblog


現代人の生き方を見ると個人主義が強いと思います。
個人主義は個人を生き生きとさせますから基本的にはそれでいいと思います。
しかし現代個人主義で生きていけるのは社会基盤ができているからだということを知っている必要があると思います。

原始時代、社会基盤がない状態で個人が生きることを考えてみると個人主義で生きることは容易ではないことがわかります。
人々は協力して村などの社会を形成し、掟をつくって個人主義をある程度規制し、生きやすい生き方をしてきました。
人は社会的に生きています。

個人主義が強すぎると社会基盤を崩す力が働くようになります。
現代は既存の社会基盤が崩れ始めているのではないかと思います。
既存の社会基盤が崩れてもそこに新しい社会基盤の考えがあるならいいのですが、それはないように見えます。

都市部では宅地の細分化、集合住宅化が起こっていますが、個人や不動産会社の個人主義的行動の結果ではないでしょうか。
宅地の細分化、集合住宅化が、住んでよかったと思う町づくりになっているかという社会的思考が希薄になっているように思います。
しょうがないじゃないか、人が多くて経済が不調だからとか、住環境より収益が大切だなどという短期的金銭的個人主義的思考が強く働いていると思います。

社会性で制御されていない個人主義は、社会基盤を崩しますから、結局自分の生きにくさの原因になるという知識を歴史から学ぶべきと思います。

森林ボランティア活動の限界

2007年06月21日 | Weblog

森林ボランティアによるヤマザクラの育苗

森林ボランティア活動を始めて1年になります。
奥多摩でいろいろな作業を経験してきました。
まだ森林に関する知識が乏しく、今後の森林のあり方について的確なことは言えないのですが、疑問は次から次へと湧いてきます。

山林所有者の森林管理意識が乏しいまま、森林ボランティアが森林管理の一部を担っていても到底森林管理は不可能ではないでしょうか。
森林管理は組織による企画と実行が必要です。
人と資本と機械を組織化する必要があります。

たとえば森林ボランティアが山林所有者の許可をもらって山に入って間伐を行い、所有者に間伐の結果をみてもらうというお話しを聞いて、それはおかしいと思わない人はいないでしょう。
自分で森林管理できない所有者に山林を所有する権利があるでしょうか。
山林は治山治水上非常に重要です。
また木材を供給します。

山林所有者は重大な社会的責任を担っています。
収益を生まなくても山林所有者は森林管理を行う第一義務を負っていると思います。

森林ボランティアが具体的な作業を行いながら森林管理の重要性を山林所有者、森林組合、政府に訴えることはいいのですが、森林ボランティアが森林管理を担うなどという発想は間違っていると思います。

外材の高騰により林業復活の希望が出てきたようですが、現在はまだ収益性の見通しがたっていないでしょう。
それでもまず山林所有者がまじめに組織的森林管理をどのように行うか考えるようにならなけば山の荒廃は続くでしょう。

民主的運営を面倒くさがる雰囲気

2007年06月18日 | Weblog

6月16日山の木の育苗作業のため奥多摩に行ってきました。
奥多摩駅周辺の町は美しくありませんが、周りの山の美しさに救われています。

私が住んでいる町では建築協定がうまく作動せず、住宅密集地化が起こり始めているので、昨年町内会の中に地域まちづくり組織を新たにつくり、建築協定に変わる方法の検討を開始しました。
これはいい方向と思ったのですが、今度は町内会がうまく作動していないようです。
町内会組織と言いながら、委員の選考が住人の知らないところで行われ、さらには住人への組織からの報告が皆無に近い状態であったため、ほとんどの住人が組織とその活動について何も知らない状態が続いています。

最近になって初めて報告書第1号が配布されました。
読んでみましたら委員長名と委員の人数は書いてありましたが委員の名前は書いてありませんでした。
ところが、組織は住人のものである、住人は組織に協力する、具体的な活動は委員が行うと書いてありました。

組織は住人のものである、住人は協力すると言うならどうして住人が納得する方法で委員の選考を行い、委員が住人の代表であることがわかるようにしなかったのでしょう。
具体的な活動は委員が行う、住人は委員に協力する、つまり従えという形になっています。
この組織は住人から乖離しており、建築協定運営委員会と同様、うまく作動しないと思います。

うわさでは建築協定運営委員会の委員が組織の中心を構成しているそうです。
これまで町内会を軽視し町内会とは独立の立場をとってきた非民主的な建築協定運営委員会の委員が今度は町内会の中で独走しているようなものです。
このような組織作りを容認した町内会役員会は最初の一歩で失敗したと言えるでしょう。

根本的問題は、民主的に運営するという慣習が町内会にできていないことにあります。
町内会活動に参加するのは面倒、町内会の運営は役員会に任せるという住人の希薄な町意識が原因で、役員も役員の仕事を面倒くさがり、誰かやりたい人に任せるといういい加減な姿勢です。
住人も役員も納得して任せている訳ではありませんから実は任された人に協力しません。

町は日本の縮図という感じがします。

人々が町の住環境問題に関心を持ってくれるといいのだが

2007年06月15日 | Weblog


年金問題を見ていますと通常動かない政治家が今回は動いたという感じがします。
参院選を意識し、対自民党という形で国会で民主党が政府の年金業務のいい加減さを厳しく批判しました。
しかしもし人々が年金問題に無関心であったら自民党は動かなかったでしょう。

通常は政府に甘い人々も、さすがに年金問題となると神経質で、声を合わせて自民党政治を批判するようになりました。
参院選で自民党の議席が減るだろうということで、あわてた自民党は、今回は、自分でチェックしない人々が悪いという言い方をやめ、年金業務を正す、記録も支給も誤りを正すと声高に叫んでいます。

民主党は、別に人々のことを考えた訳ではなく、参院選に勝ちたいから人々が神経質になる年金問題を取り上げ、自民党政治を批判しただけです。
民主党政治であったら年金問題はなかった、などということはないと思います。

ここで学ぶことは政治を国会(議会)や政府任せにしてはいけないということです。
やはり私達がまじめに政治を考えて、政治を改善するという思いで投票することが一番大切と思います。
人々の批判の目を感じなけば政治家や公務員は自分のことしか考えません。

ところでいつも思うのですが、町の住環境問題については、年金問題のように人々が神経質ではないため、国会(議会)や政府の居眠りを覚ますことは容易ではありません。

早起きは三文「以上」の「得」

2007年06月12日 | Weblog


安倍晋三総理が、G8サミットで、地球温暖化防止を提案し、終始会議をリードしたと誇っています。
変なことに誇りを感じる人です。

重要なことは彼が日本で地球温暖化防止策を着実に実行しているかということです。
京都議定書があるにもかかわらず、日本の現在の温室効果ガス排出量は1990年の排出量より増えてしまいました。
日本政府も人々も有効な具体策を何も実行してこなかったからです。

自分の任期のはるか先の2050年までに排出量を現状の半分以下にすると言っても空しいことです。
彼の任期中排出量が増えても2050年までにはまだ40年以上ありますと言えばすむことです。

安倍内閣支持率は大幅に減り、30%ちょっとだそうです。
参院選で自民党は苦戦すると予測されています。
政治にいいところがない彼の今の心境は口先でも何でもいいからいい格好をしたいという気持ちだと思います。

もし彼が真実の人なら、G8サミットは思うようにならなかった、でも日本は率先して地球温暖化防止策を実行する、と日本に報告したでしょう。
しかし帰国後の彼に、温暖化防止に取り組む気迫のようなものは全く感じません。
環境省がつくった文をG8サミットで大きい声を出して読んだだけでしょう。
G8サミットが終わり、地球温暖化防止を真剣に考える、つまり考えるだけですんでほっとしているのではないでしょうか。

まじめな話、日本は2050年を待たず、炭酸ガスなどの温室効果ガス排出量を現状の半分以下にする必要があると思います。
そうすることによって日本は世界に対し環境面で不動の評価を受けることができます。

たとえば今は朝4時を過ぎれば外はすっかり明るくなっています。
政府が音頭をとって一日を早く始めるようにし、暗くなったら活動をやめるようにすれば照明等の節約はかなりのものになるでしょう。
早起きは三文の徳という言葉がありますが、三文どころかかなりの「得」になると思います。

環境立国論

2007年06月09日 | Weblog


環境省が21世紀環境立国戦略を策定したと発表しました。
早速読んでみましたところ具体的な方法は書いてありませんでしたが、世界から環境面で評価される国になりたいという基本的な考えが示されていました。
環境技術が発達し、外国から期待されている現実を踏まえ、さらに環境を重視し、日本の売りにしたいということでしょう。
よい考えと思います。

しかし環境より経済という考えが強いと思いますから、政府が目的を言えば、人々が自発的に実現方法を考えて実行するとは思えません。
政府は人々が環境立国論を考え実行するように仕向ける政治的方策を打ち出さなければなりません。

一番大事なことは政府がまず環境を重視することだと思います。

住宅基準、町基準が低すぎて都市部が住宅密集地になっていますが、政府は、人々が自分の意志でやっていることを規制することはできないと考えているかのようです。
生活が不愉快とか、災害に対する弱さとか、行政サービスのしにくさとか、もっと住宅密集地の問題点を人々に強く訴え、住宅基準、町基準を上げるべきです。

政府は宅地価格が上がると固定資産税を多く取れると喜んでいますが、価格の高騰が宅地の細分化を加速していることを知るべきです。
人々が環境軽視の住宅しかつくれないことをしょうがないとし、住宅密集地化を放置し、どうしようもない町になってから予算を組んで再開発を呼びかけるというのは無計画であり不経済です。
人々が住宅をつくるとき環境重視の住宅をつくれるような政治的方策を考えるべきです。

都市部は空間がなければ木も植えることができず、林もつくれず、森林も育てることができません。
建物だけで木を植えることができる空間がない政府施設は無数です。
私はときどき横浜市港南区の図書館を利用しますが、図書館ぐらい林に囲まれた環境がいい場所につくればいいのにと思います。
政府はまず公共施設の環境改善を行なうべきです。

自動車、飛行機による騒音、大気汚染は人々を苦しめていることが明らかなのに政府は損害賠償をするだけで、騒音や大気汚染を減らす方策を打ち出しません。
しょうがないと言って人々に我慢を強いています。
在日アメリカ軍の軍用機の低空飛行や夜間離着陸は耐えがたい苦痛を周辺住民に与えています。

政府は地球温暖化の原因になるガスの排出を2050年までに現状の半分以下にしたいと言いますが、その裏で原発を増やしたいと言います。
放射性物質の増加に伴う危険や環境悪化の問題を真剣に考えていません。

戦争は人を殺すだけでなく、町を破壊し、国土を荒らします。
環境破壊の最たるものです。
それなのに戦争しない外交努力を怠り、いざとなったら戦争するなどと軽く言います。

環境立国論賛成です。
政府は言った以上まじめに実行してほしいものです。

地球温暖化防止は決意が必要

2007年06月06日 | Weblog

森林の町奥多摩

先進国が地球温暖化問題をまじめに取り上げ始めたことは嬉しいことです。
遅すぎるとは思いますが、問題意識を持ち始めたことは一歩前進です。

先進国がエネルギーを大量消費しながら開発途上国に節約を求めることは許されません。
まずは先進国が大幅に節約して先進国が達成した消費レベルを開発途上国の消費上限とすることが妥当です。
それでも地球温暖化が進むなら先進国はさらに節約して消費上限を下げることが必要です。

恐らく日本はエネルギー消費を現在の半分以下にしなければ地球温暖化は防げません。
アメリカに至っては1/4以下にしなければなりません。

このような節約はなんとなくできることではありません。
政府も人々も節約を決意する必要があります。

安倍晋三総理は、突然地球温暖化防止を主張するようになりましたが、何か思いついたのでしょう。
決意はできていないと思います。
もし決意ができていたなら彼は総理就任と同時に省エネルギー運動を展開したと思います。

私達も日本の省エネルギー技術は世界一などと思って威張っていてはいけないと思います。
この程度の省エネルギー技術では地球温暖化は防げないと思い、技術開発目標を高く設定し、頑張る必要があると思います。
こうすることによって日本は省エネルギー技術で世界に貢献できると思います。

それから効果は小さいと思っても個人々々が決意して省エネルギーを実行することが大切です。
また都市部でもできるだけ木を植え、林をつくり、森を育てることは常識とすべきと思います。
木があると維持管理が面倒と言って安易に木を切るような従来の価値観は否定されるべきと思います。

横浜市戸塚駅西口再開発事業

2007年06月03日 | Weblog

人通りが消えた横浜戸塚駅西口商店街

戸塚駅は乗降客が多い駅ですがその西口商店街の近代化は遅れました。
しかし、西口商店街は狭苦しくて雑然とした貧相な町でしたが、人々に愛された町で、やっと一人通れるような細い路地の両側も店になり、すべての店が人々によく知られ、お得意さんを持っていました。
人々は、思い思いに店に寄り、買い物をして家に帰りました。
それだけに店は再開発に非常に慎重になったでしょう。

大きな仮設店舗ができても店は移転せず、町の取り壊し工事は遅々として進みませんでした。
それがやっと6月1日から工事が本格的に始まることになりました。

工事が始まる地区から人が消えました。
店の人々も、店でよく買い物をした人々も、通勤通学で毎日この町を通った人々も、一つの時代の終わりを感じ、感慨ひとしおでしょう。

ところで再開発後どのよう町になるでしょうか。
横浜市都市整備局の資料を見ると、大きな建物でいっぱいで空間と木には乏しい町のようです。
再開発に大金がかかるから前よりもっと店の数および面積を多くして経済性を高め、投資した資金の回収を早く終わりたいと考えたのでしょう。
しかし思うようにはならないでしょう。
経済を重視して不経済ということは近年ではよくあることです。

従来の西口商店街の客層がそのまま新しい町の客層になるか疑問です。
古い町が消えるとともに消える古いお客さんが出るでしょう。
割合としては若い層、新しい層が増えるでしょう。
店は新しい客層との調和を見いだすのに当面苦労し経営に苦しむのではないでしょうか。

どうせ不経済なら、もうちょっと美を重視して不経済であった方がよかったというのが私の感想です。