約40年前私が結婚して初めて住んだ住宅はマンションと名がついた鉄筋コンクリート製のアパートでした。
家の広さを犠牲にし、日当たりと新しさを重視しました。
普通の畳より一回り小さい団地サイズの6畳と4畳半の和室二間と小さなキッチンセットがついた住宅でした。
妻の友人達がお祝いに来てくれましたが、部屋を見て、笑いながら、重なって寝るしか方法がないわねと言いました。
冗談ではなく、本当にそうでした。
太った先輩が遊びに来てくれました。
玄関のドアを開けて中を見るなり、これは入れないなと言って帰ってしまいました。
私達は最初は我慢していましたが、すぐアパート経営者に怒りを感じるようになりました。
契約を更新することなく、次は普通サイズの畳の6畳二間、4畳半の台所を持った鉄筋コンクリート製のアパートに引っ越しました。
今度は新しさを犠牲にし、日当たりと広さを重視しました。
しかし鉄製の窓枠が錆びて窓が閉まらない、台所にゴキブリが多い、壁がカビだらけということで、とても住み続ける家ではないと思いました。
当時は本当にひどい住宅事情でした。
それでは約40年たった現代はどうでしょうか。
アパートの質の悪さは全然変わっていません。
日当たりなどは昔よりはるかに悪くなっていると思います。
アパート経営者に怒りを感じている居住者は多いでしょう。
先日住宅基本法に関する国会の委員会で北側一雄国土交通大臣がした答弁をインターネットで聞きました。
数ではなく、質に重点を移したい、周りの住環境も住宅にとって重要な条件なので重視したいと言っていました。
えっ、今頃と思いました。
経済大国と呼ばれて久しい日本で国交相がこの程度の言い方しかできないのが日本の現実です。
何が問題だったでしょうか。
私達の住宅意識が貧困ではなかったでしょうか。
貧乏のためいい住宅に住むことはできないという諦観が変わることなく現代まで続いて来てしまいました。
都市部に人口が集中する傾向が続き、住宅がないという切迫感に負け、いい住宅に住むという価値観を二の次にしてきました。
その結果まともな住宅産業が育ちませんでした。
政府も住宅産業を放置しました。
私達が、住みにくい住宅を否定し、住みやすい住宅を強く求めるようにならないと、政府も住宅産業も住宅改善に動き出さないと思います。
出生率が低下し、人口が減り始めたのは、日本の住宅事情の悪さに対する抗議かもしれません。