ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

無縁社会

2011年01月31日 | Weblog
老人は動けなくなると家の中にいるか、入院します。
すると町の人は老人を町で見かけませんから年月がたつと老人のことを忘れてしまいます。
今は、老人が亡くなると家族は密葬します。
家族が特に町の人に話さないと老人がなくなったことに誰も気付きません。

日本は無縁社会であると言われています。
戦後は工業化が人間関係を破壊し、人をばらばらにしました。
人は会社の機械部品になりました。
町に住んでも、朝会社に出かけ、夜帰ります。
休日は仕事疲れで家の中で休むか、自分の町ではない所へ外出します。
町の人とは関係しません。
会社の人とも仕事以外では付き合いません。

無縁社会はやはり問題です。

道からよく見える庭にし、休日は庭の手入れをしていると近所の人や道行く人と雑談する機会が増えます。
町にある趣味の会に所属すると町の人との関係が増えます。

町内会の仕事を役員としてあるいはボランティアとしてやると町の人との関係が増えます。
町内会の役員が当番制の町は実はいい町だと思います。
町の人と関係する機会を増やしているからです。
役員になることを嫌がらず、町の人を知るいい機会と思うといいと思います。

お祭り、防災訓練など町全体の行事がある町は素晴らしいと思います。

町を明るくすると日本をもうちょっと縁ある社会にすることができると思います。

どうして政府は住環境を軽視するのか

2011年01月28日 | Weblog


町の大半の人が住環境を重視しているのに少数の人が自分の土地処分の自由を主張して住環境を軽視するのは困った問題です。
私が住んでいる町では250㎡以上の土地を持っている人が二分割して不動産業者を介して建売業者に売ることが時々あります。
すると周辺住民が反対して土地所有者、不動産業者、建売業者と交渉しようとします。

土地所有者は法に違反していないと言って交渉に応じません。
不動産業者は土地所有者の希望を尊重して二分割販売をやったと言って住民と交渉しません。
建売業者は合法と言ってやはり交渉に応じません。
彼らに共通しているのはお金重視、住環境軽視です。

そこで住民は二分割反対の署名運動、問題の土地周辺で二分割反対のポスターの掲示、地方政府や議会への陳情などを行います。
すると建売業者は営業妨害である、裁判をおこすと住民を脅します。

裁判をおこすと言われて恐ろしくなったり、どうせ負ける裁判をやっても損と思ったりして住民が反対運動をやめると負けます。
住環境重視の信念を曲げず住民が裁判を受けて立つ場合は勝つ可能性があります。

いずれにしても住民の苦悩は非常なものです。
住民の苦悩を無視して土地所有者、不動産業者、建売業者が二分割販売を行うことは社会性がある行為とは言えません。
自分の金銭的利益だけでなく、周辺住民の気持ちを汲むべきです。

住環境に関する中央・地方政府の対応は非常に遅れています。
土地に関する財産権の取り扱いについて政府は非常に神経質です。
結果として日本の町は雑然とし、住みにくく、災害に弱く、みにくくなります。
政府はもうちょっと住環境について夢を持つべきと思います。

ところでこれまで私が知っている二分割販売で周辺住民を苦しめた土地所有者はすべて金持ちでした。
お金がないのではなく、もっとお金がほしい人々でした。

人口減少、老人割合増加問題

2011年01月25日 | Weblog
この問題について米倉弘昌日本経団連会長が移民の受け入れが解決策であると述べ、外国人の定住を促す法整備を進めるべきだと言いました。

大会社の団体である経団連の代表がこのようなことを言うとは残念なことです。
日本では新卒が就職先がなくて困っています。

米倉会長は日本人は労働対価が高いし、労働意欲がないと言いたいのでしょう。
移民なら安いし、労働意欲があると言いたいのでしょう。
アメリカやヨーロッパの会社が周辺国の移民を使ってきた価値観と同じです。
アメリカやヨーロッパで流入した移民が社会問題になっていることをどのように考えているのでしょうか。

彼は、移民を使いたいなどと日本に匙を投げたようなことは言わず、新卒をもっと使う方法を政府に提案すべきです。
さらには一人当たり労働生産性を上げる方法、老人を使う方法を提案すべきです。

最近は外国から出稼ぎに来ても日本では生活費が高くて自分の生活が苦しいので仕送りができないという声を聞きます。
人口減少、老人割合増加で経済が縮小しつつあるからです。
安い労働対価で移民を使ったら移民の貧困生活が社会問題になるでしょう。
彼らは移民の町をつくって助け合って生活するでしょう。
移民の町は既存の横浜の中華街などとは全く異質です。
周辺の日本人とうまく行かないでしょう。
日本の地方政府は移民の町を管理できないでしょう。

日本の面積、地形などから言うと人口は現在の半分ぐらいが妥当です。
したがって人口減少は問題ではありません。

問題は老人割合増加です。
老人は消費しません。
したがってどうしても日本への投資は増えません。
お金のない所へ人は集まりません。
来ても生活が苦しいだけだからです。

しかし老人割合で苦しむのは今後数十年と思います。
その間、苦しくても日本人が頑張るしかありません。

学問や技術開発の水準を上げるため世界から人材を集めることはいいことですが、世界から奴隷を買うような価値観は間違っています。

冬の町

2011年01月22日 | Weblog
冬の町を散歩しますとやはり町に彩りがなくて、つまり草木が枯れていたり、常緑樹でも緑がくすんでいたりして、暗い感じがします。
しかも、春夏秋では目立たない家の周りに置かれたがらくたなどが目立ってしまいます。
家の維持管理の悪さも目立ってしまいます。

冬は庭の手入れや家の維持管理をなかなかやりませんが、もしこれらの仕事を行って、冬でも家や庭がすっきり見えるようにするときっと春夏秋は美しい町になるでしょう。

経済大国でどうして狭小住宅

2011年01月19日 | Weblog


一人当たりで見ても経済水準の高い日本でどうしてこのような住宅群ができるのでしょうか。
政府も人々も住宅に関する価値観がなさすぎるからだと思います。
お金の使い方が間違っているからだと思います。

私達は動くことに価値があると思い込んで動くことにお金を使ってきました。
具体的に言いますとたとえば自動車、外出、国内旅行、海外旅行などです。
ところがその間住宅や町はひどいことになってしまいました。

狭小住宅は戸建てだけではありません。
集合住宅は究極の狭小住宅です。
マンションとは日本では大邸宅という意味ではありません。
狭小住宅の集合体で全体が大きいという意味です。

狭小住宅しか買えないと考える人が多いと思います。
このような悲観的な思考は捨てるべきです。
政府はそう考える人が多いことを政治の問題と考えるべきです。
狭小住宅の密集地化は人の心を一層貧困にします。
防災の視点からも深刻な問題です。

政府も人々も住宅問題をもっと真剣に考えるといいと思います。
目標を高くしてここにお金を使うようにすれば不動産業も健全産業として発展すると思います。
美しい町も実現すると思います。

アメリカとの同盟を無用にする工夫努力が必要

2011年01月16日 | Weblog
在日アメリカ軍の存在は基地周辺の町の住環境にとって深刻な問題です。

最近アメリカ政府が、東アジアをアメリカと中国が対立する地域にしたくない、東アジアの国々がアメリカ側か中国側に分かれて対立することは望ましくないと発表しました。
どこまでアメリカ政府が真剣かわかりませんが、健全な考えです。

アメリカと中国の対立はどちらの国にとっても大損です。
近隣諸国の迷惑です。
中国政府もまじめに対立解消に向かってアメリカ政府と交渉してもらいたいと思います。

日本は敵をつくらないことが必要です。
隣国問題については隣国との外交を重視し、戦争しない工夫努力、交流する工夫努力をすべきです。
アメリカとの同盟を深化するのではなく、この同盟を無用にする工夫努力が必要です。
それでも日本を攻撃する恐れがある隣国があるなら日本政府はこれまでの交渉内容を包み隠さず人々に公開してほしいと思います。
正当な理由もなく隣国が日本を攻撃すると言うならその時こそ日本の人々は重大な決意をするでしょう。

ところで朝鮮(北)ですが、日本は絶交に近い経済制裁を加えています。
これはやりすぎです。
朝鮮は民主主義ではありません。
政府と人々を識別すべきです。
朝鮮の人々の命を軽視してはいけません。
日本が攻撃される理由をつくってはいけません。
外交においては日本側に不法があってはいけません。

正月飾りは松飾りでいい

2011年01月13日 | Weblog

消防出初式における一斉放水

70代後半の老人が、元日に人々が日の丸を掲揚しないのは問題だと電子メールで書いてきました。
その中に国のため命を捨てた特攻を思えと書いてありましたので暗い気持ちがしました。

日の丸は国旗です。
日本を表示する必要のない時と場所で特に日の丸を掲揚する必要はないと思います。
たとえば外国で日本大使館を探しているとき日の丸を見つけるとほっとします。
オリンピックなどは国別対抗になっていますから日の丸で応援するのは意味があります。
しかし日本で元日日の丸は特に必要ないでしょう。

昔は政府指導で祝日に日の丸を掲揚することが慣習になっていました。
日の丸の下に人々を集め政府の思うように人々を動かしたかったのでしょう。
政府は日の丸でよく戦争したので日の丸は戦争の象徴と思われました。
戦後は日の丸を見ると白い下着やシャツに染みた血痕を思い出してしまう人が多かったと思います。

近年政府が日の丸を重視する教育を導入しましたが、親は日の丸に無関心です。
政府の方針に学校や先生は困惑しているでしょう。
政府は学校や先生に対してうるさく言いますが、一般の人々に対しては何も言いません。
学校や先生にも言わない方がいいと思います。

元日に門や玄関に松飾りをつける慣習は今も生きています。
昔は松飾りが年神(としがみ)を招き、家を豊かにするという信仰があったそうです。
今は元日に松飾りをつける慣習は家の平安、繁栄、長寿を祈る人々の思いを表したものだと思います。
松飾りは日の丸より元日にふさわしいと思います。

日の丸を平和の象徴にするには日本は真剣な努力をしないといけないと思います。
菅直人内閣は、東アジアを平和にする決意が乏しく、中国、朝鮮(北)、ロシアなどとのむずかしい外交を嫌い、アメリカとの同盟、朝鮮に対する経済制裁、武備などに依存しています。
これでは日の丸は平和の象徴になりません。

新江ノ島水族館

2011年01月10日 | Weblog


江ノ島水族館が新江ノ島水族館になってから一度も行ったことがないので8日に孫達を連れて行ってきました。
鎌倉から江ノ島電鉄で江ノ島に出ましたが、腰越を過ぎると孫達は電車が道路を走っているとおおはしゃぎしていました。

路面電車は時代遅れではなく、環境問題解決方法として有望です。
人々が炭酸ガス排出型バスや乗用車ではなく、路面電車を活用するなら町の排気ガス問題を大幅に改善できるでしょう。
路面電車が走る幹線道路を基本にしてその周辺に町をつくるとすぐれた環境の町づくりができるでしょう。

江ノ電江ノ島から海に向かってしばらく歩き、弁天橋か片瀬橋を渡ると新江ノ島水族館に出ます。
今時はどこの水族館もそうですが、巨大水槽をつくり、自然の海の中を再現し、多くの魚を回遊させ、水槽の側面から見る仕組になっています。
孫達は床に座り込んでいつまでも魚の動きを見ていました。

新江ノ島水族館はくらげの展示コーナーに特徴があると思いました。
水槽は人工照明で一色の世界をつくっていました。
透明なくらげはその光の中で傘を広げたりすぼめたりして上下左右に泳ぎ、幻想的神秘的雰囲気をつくっていました。

この日は快晴無風、波打ちぎわに沿ってやや弱くなった日の光を浴びながら帰りました。
孫達は、寄せてはかえす波とたわむれ砂の上を逃げたり追ったり飽きることなく遊んでいました。

小田急江ノ島線片瀬江ノ島から藤沢に出る方がJRに乗り換えるには便利ですが、江ノ電で来たので江ノ電で藤沢にでました。

江ノ電でいいと思ったのは稲村ガ崎から腰越までで、相模湾がぱっと車窓に開けたときの美しさが最高です。
それ以外はあまりいただけません。

鎌倉は古都としての保全がなされていますが、一方で雑然とした住宅密集地化が進んでいます。
古都を生かした落ち着いた町づくりをするという考えは市民にはないようです。
これは鎌倉が世界遺産にならない理由の一つでしょう。
別に鎌倉が世界遺産にならなくてもいいですが、鎌倉市と市民の呼吸があった、美しい、住みやすい町づくりを期待します。

消防出初式

2011年01月07日 | Weblog

2011.1.5港南区消防出初式におけるはしご乗りの演技

1月5日午前横浜市港南区消防出初式がありましたので孫達を連れて行ってきました。
第一部の式典は式ですから面白くありませんが、第二部ははしご乗りなどの演技、消防音楽隊の演技、屋内消火栓を利用した初期消火の模範演技、各種消防車のパレードや模範演技があって子供達は大喜びでした。

消防車等が新品であり、消防関係者の動きもきびきびしており、消防は頼もしいとの印象を受けました。

一方、消防関係者に日頃大変お世話になっていますから区民も出初式に行くといいと思いますが、大人の参加は多くありませんでした。
各地区連合自治会長が代表で行っただけのようでした。
彼らは招かれたから行ったのでしょう。

区の依頼状には家庭防災員は地域防災の担い手であるから声をかけてくれと書いてありますが、声をかけていないのではないでしょうか。
家庭防災員はあまり参加していませんでした。

消防署が家庭防災員を家庭防災のみならず地域防災の担い手と期待している訳ですから、連合自治会長はもうちょっと家庭防災員を大切にし、育て、増やした方がいいと思います。

なお、消防署による家庭防災員の訓練は短時間で形式的です。
家庭防災員はもらったテキストを見て自習することが大事です。
消防署はさらに訓練を受けたい人に訓練コースを提供するようにするといいと思います。

人がいる限り仕事はある

2011年01月04日 | Weblog


食べるものがないとします。
生きることは食べることですからその人は食べ物を求めます。
他人が食べさせてくれないからといって何もしないで餓死する人はいません。
つまり仕事をします。
赤ちゃんだって泣くという仕事をしてお乳を得ます。

ところが仕事がないという人がいます。
仕事とは自分がするものということがわかっていません。

会社は仕事をする人を求めています。
ところが現代は採用しても仕事をしない人が多くて会社は困っています。

労働対価が低い会社は多いと思います。
労働対価が低いことを理由にして仕事をしないと労働対価は改善しません。

従業員がよく仕事をするのに労働対価を改善しない会社があります。
このような会社は経営が悪く将来性がありません。
世の中には必ずよく仕事をする人を求めている会社があります。
よく仕事をする人を採用した方が会社は発展するからです。
よく仕事をする人は、経営の悪い会社を捨て、将来性のある会社に転職することができます。

給料の一部は学問に回すといいと思います。
仕事力を高めることで一段とよく仕事ができるようになります。
会社はよく仕事をする人に仕事を回します。
よく仕事をする人はやがて経営の仕事をします。

町のボランティア活動も同じです。
よく仕事をする人は求めなくても町の重要な仕事が回ってくるようになります。