ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

町の三大騒音

2006年04月28日 | Weblog
私達の町は概して静かですが、時々ものすごい騒音に悩まされます。

1. 低空飛行するアメリカ軍用機

この騒音は横浜は高頻度です。
空気を引き裂くような轟音です。
音楽を聴くことも会話も不可能になります。
どうして低空飛行する必要があるのかわかりません。
この騒音を聞くと、在日アメリカ軍は有害無益ではないかと思います。

近年は空母が浮かぶ基地として発達しているそうですから、在日アメリカ軍基地は廃止して、軍用機は空母から発進し、空母に帰還するようにし、日本の上空を飛ばないようにしたらいかがでしょうか。
そうしても安保条約が目的とする防衛機能は失われないと思います。
防衛を考えるなら洋上防衛が重要でしょう。

2. 低空飛行するヘリコプター

防災、防犯などの目的で飛ぶ場合があるかもしれませんが、一般のヘリコプターの高度に関する飛行条件が甘すぎるように思います。

航空写真を撮る場合でも、最近はカメラの性能がいいので、高空から撮るように規制した方がいいと思います。
アクロバット飛行が好きなのか、安全を軽視してわざわざ低空飛行する操縦士がいますが、低空になりますと、高度に余裕がなく、操縦士の体調や精神状態が悪化した時やヘリコプターが故障した時、危険回避ができませんから禁止すべきです。

3. ラウドスピーカーで宣伝しながらゆっくりと走る商業車

ゆっくり走り回っていますから騒音が長引きます。
町中に聞こえるような音量ですから迷惑です。
先日道行く人が両手で耳をふさいでいるのを見ました。
道の両側の家に聞こえる程度まで下げてもらいたいものです。

業者妥協案提示

2006年04月25日 | Weblog
私達の町では業者の宅地細分化、建売住宅建設販売に反対し、町の住環境保全運動をやっています。
先日業者による説明会があり、町側と業者側は交渉不成立に終わりました。
建設はまだですが、業者はすでに営業を始めています。

一方、私達は町の住環境保全ポスターを掲示し町の住環境保全運動を続けています。

どうもこのポスターは業者の営業にとって邪魔のようです。
掲示を中止しないなら訴訟を起こして損害賠償を請求するかもしれないと業者は脅してきました。
しかし、今のところ起こしてくる気配がありません。
訴訟をやっても勝てないと思っているのでしょう。

困ったのでしょうか、業者は、とうとう町の住環境保全運動の代表者のところに譲歩案を持ってきました。
細分化はやめないが、隣地境界線から家の壁までの距離を1mとるという案です。
条件は、ポスター掲示の中止です。

しかし私達の運動の主目的は細分化反対です。
木と空間のない狭苦しい町にしたくないからです。

隣地境界線と家の壁までの距離が1m以上は当然と思っています。
その当然と思っていることを譲歩案にして細分化を認めろという訳です。

もし妥協するなら、隣地境界線と家の壁まで1mとるならば今後も細分化できるという印象を業者に与えます。
運動は失敗に終わります。

ポスターを掲示し続けると、業者はそれなら譲歩しないと言って、当初の計画通り、1mとらないで建設をするでしょうか。
とらないかもしれません。
とるかもしれません。

売れなければ、業者は建設を諦めるのではないかとの予測があります。
諦めないかもしれません。
諦めるかもしれません。

よく似たほかの事例ですが、業者が強行して建設したが、買い手がつかず、しょうがないから業者の従業員が借りて住んでいる建売住宅があります。
これでは業者は収益を上げることができません。

相変わらずかけひきを弄する業者に住人は苦しみ続けています。

建物の高さ制限

2006年04月22日 | Weblog
京都では中心部の中京、下京両区内にある御池、四条、五条、河原町、烏丸、堀川の6つの幹線道路沿いで現行の最高31mを15mに引き下げるなど、建物の高さを一段と厳しく制限する方向です。

これらの道路に囲まれた地域などは木造2階建ての京都の雰囲気を残した町家が多いので保全が必要との考えだそうです。
また三方を山に囲まれた京都の景観を守るには低層の街並みの維持が必要と考えているようです。

経済界の反対に対しては市は京都駅より南側の一部地域で高さ規制を撤廃するなどの配慮をしたそうです。

これでいいとは思いませんが、京都市が美を意識した都市計画に取り組んでいる様子はうかがえます。

ところで別に長い歴史がなくても、特に注目すべき文化遺産がなくても、美しい町は、そこで生活する人々にとって非常に重要な条件です。
日本は貧困からの脱出に成功したと言うならばこれからは住宅水準を上げること、町の住環境を改善することに意を注いでみてはどうでしょうか。
特に都市部の町の住環境の貧困はひどすぎます。

会社の信用より目先の収益を重視する経営者や社員

2006年04月19日 | Weblog
私達の町で住人の反対運動を受けている業者は、ある大手不動産会社、その販売系子会社、そのネットワーク、販売系子会社の子会社、ネットワークに所属する一級建築士事務所です。
町内会の回覧文書には毎月のようにこれらの業者名と業者の言動が目立つように書かれ、悪徳業者として非難されています。

町の住人に聞いてみますと、これらの回覧文書は結構よく読まれているようです。
有名な不動産会社なのに、宣伝で言っていることと、やっていることは違うとか、不動産会社や建設会社は、いまだに悪い体質が残っているなどと非難しています。

不動産会社や建設会社は、そんな批判を気にすることはないと言うでしょう。
ところが大手の会社でも、一部の反社会的行動で全体の信用を失い、破綻したり、破綻寸前に陥ります。
100に1つの反社会的行動でも実は会社全体の信用が落ちるということを会社は知るべきです。

わかってはいるけど、目先の収益を優先するのが経営者や社員です。
収益を上げれば地位が上がると思っています。
ところが自分の業績のため、会社やネットワークの信用を落とし、ひいては自分も破滅するということがあります。

町の住環境を考えていない建築協定運営委員会

2006年04月16日 | Weblog
町の住環境保全・改善運動をやっていますと、いろいろな情報が入ってきます。
今日はある町の建築協定運営委員会の実態に関するお話しをご紹介します。
にわかには信じがたいお話しですが、どうも事実のようです。

お話しの内容は次のようなものです。

1. 建築協定の穴抜け地・隣接地で建築協定内容に反する建設が行なわれるとします。
2. 委員会は、これは穴抜け地・隣接地であるから委員会の問題ではない、近隣住人の問題であると言って、近隣住人を扇動して反対運動をやらせます。
3. 近隣住人が反対運動を始めると、委員会は、まず協力の姿勢を示し、やがて反対運動を率先します。
4. 反対運動がうるさくて困った業者が、委員会に和解金を払うと、委員会は建設・販売を認め、近隣住人には、これ以上運動をやっても結局負けるので運動の継続は無益だと言います。
5. 委員会は業者からお金を受け取り、住人の反対運動から手を引きます。
6. 委員会の指導を失った近隣住人は弱いもので、反対運動を中止します。
7. 問題の家は建設・販売され、怒った近隣住人は建築協定反対者になります。

これでは委員会は町の住環境保全のために役に立ちません。
穴抜け地・隣接地の存在を利用し、業者からお金をゆすりとっているとの印象を受けます。

事実は小説よりも奇なりと言います。
どの町にも欲と金が絡んだ人間模様があり、小説やドラマの脚本が書ける種がごろごろあるのかもしれません。

なお、最近の業者は、この種の委員会を馬鹿にして和解金を1円も払わないそうです。

高層集合住宅の建設は抑制的であった方がいい

2006年04月13日 | Weblog
高層集合住宅の17階に住んでいたある家族が昨年秋から引っ越して1階のアパートに住んでいます。
その南側の窓のすぐ外は草地で木が何本か植わっており、今は枝垂桜が美しく咲いています。
ソメイヨシノもあってここ2週間南側の空間を明るく彩っていました。

夫人とお話ししたところ、彼女は小さい時から高層集合住宅で育ったので、窓のすぐ外に庭のある生活は経験したことがなかったそうです。
高層集合住宅は近づけば近づくほど覆いかぶさってくる圧迫を感じたそうです。
自分の家のドアにたどり着くまでのエレベーター、廊下は無味乾燥だったそうです。
家の中からはほかの高層アパートと空しか見えなかったそうです。
ベランダから下を見ると、吸い込まれるようで、不安を感じたそうです。

今は手が届くところに草木があって感動していると言いました。
子供は草地を走り回って大喜びしていました。
その子供の姿を母親は家の中から見ることができました。

高層集合住宅は技術的には非常に高度です。
都市では広い年齢層で高層集合住宅が買われています。
一戸建ては管理が面倒とか、広すぎると言ってわざわざ高層集合住宅に引っ越す人もいます。

しかし長い目で見た場合、高層集合住宅が本当にいいかよく考えて見るべきではないでしょうか。
上記の引っ越した夫人の感想は高層集合住宅の基本的な問題をよく表していると思います。

仮に偽装設計がなくても、やはり地震の時には高層集合住宅には不安があります。
全体が倒壊しなくても大揺れになる部分があるでしょう。
部分的破壊は起こりえます。
エレベーターは閉じ込められる心配があります。
階段による避難は意外に危険かもしれません。
下の階で火災が起これば、上に逃げるしかありません。
屋上で救助を待つのは心細いことです。

古くなった時の改築は住人の意見がまとまらず、思うようになりません。
売ると言っても値はつかないでしょう。

周りの低層住宅の住人は景観破壊だ、環境破壊だと怒るでしょう。
高層住宅の住人と低層住宅の住人は対立してしまい、同じ町の住人意識は生じないでしょう。

今後は人口減少が予測されています。
当然のことながら住宅需要は弱くなっていくでしょう。

高層集合住宅は、技術的、経済的にすぐれていても、社会的、精神的にはいろいろと問題があります。
建設は抑制的であった方がいいのではないでしょうか。

建築協定運営委員会に弱気?

2006年04月10日 | Weblog
私達の町では

1. 更新の度に建築協定に加入しない住人が増える、
2. 建築協定の内容に反する住宅の建設が毎年建築協定非加入地で生じる、
3. その度に周りの住人の建設反対運動が起こる、
4. 非加入地の周りの住人は、建築協定に加入していても意味がないと建築協定を批判する、
5. 建築協定運営委員会は、加入しない住人が悪いと主張する、
6. 現実的な対策を講じない委員会の姿勢に不満な住人は次の更新のときには加入しないと言う、

という悪循環が起こっています。

それでも私達の町では建築協定支持者が過半数で建築協定運営委員会が大きな力を持っています。
町内会も委員会に遠慮しています。
そこで地区計画を重視する住人は、建築協定の限界と地区計画への移行の重要性を井戸端会議的に話し合っている状態です。

ところがちょっと驚いたのは、最近、委員会が、建築協定では町の住環境悪化を防げないという現実を認識してきたのか、代案として地区計画の仕組みがあるとみずから町内会の回覧文書に書きました。
次の更新でさらに加入者が減ると予測され、住人が町の住環境問題は町内会に移管してほしいと言うならば、委員会は町内会が地区計画について検討することに反対しないというのです。

これは委員会の本音ではないという情報が委員会のある筋から流れているのでまだ何とも言えません。
しかし今まで強気一点張りであった委員会が予想外の弱気を示したと言えます。

町の住人が全員建築協定に入るなどということはありえません。
したがって町の住環境問題は町民主主義の考え方で、決められることを決めるというのが現実的でしょう。
委員会に遠慮しがちな町内会が町の住環境問題は町内会の問題と認識するかが鍵になってきました。

景観法の限界(地方自治体の町の住環境保全条例の整備が重要)

2006年04月07日 | Weblog
最高裁は、東京都国立市の大学通りに明和地所が建設した高さ約44mのマンションに対し周辺住民が景観が壊されたとして建築主に高層部分の撤去などを求めた訴訟の上告審で、06年3月30日、周辺住民の訴えを退けました。
現時点では景観利益は明確な権利とまでは認められないと判断し、景観権については否定しました。

一方で、居住者が景観の恩恵を受ける利益(景観利益)は法的保護に値すると言い、都市の景観について歴史的、文化的環境を形成し、豊かな生活環境を構成する場合は客観的な価値があると述べました。
これは、「でも、しかし」的なつけたしの言い訳のような感じがします。

つまり、法規制に違反したり、権利の乱用に該当する場合などに限って違法となるという訳です。
これでは景観法があってもその効力があいまいです。
最高裁は、本件に限らず、どうも現実に流される傾向があり、人々のために法の精神で判断することができないようです。

最高裁が成文法の条項依存となると、やはり地方自治体が具体的に町の住環境保全に関する条例を整備しない限り、町の住環境は保全できません。

不動産会社、建設会社は、利益を上げるため、法律が許す限り、町の住人の過半数が反対しても、町の住環境を破壊する開発を平然として行ないます。
表向き、町の住環境を重視すると宣伝している大手不動産会社でも、裏では町の住環境を軽視した都市開発を行なっています。
批判されると、合法である、買う人がいるから問題ないと言います。

このような業者に対抗するには、町の住人は、地方自治体に働きかけて町の住環境保全に関する条例を整備させる必要があります。
上記最高裁の「でも、しかし」的景観利益判断を受けて業者が自主的に周辺住民に配慮するようになると思うのは甘すぎます。

目的を忘れた建築協定運営委員会

2006年04月04日 | Weblog
私達の町では建築協定非加入地が増え、毎年その非加入地で宅地の細分化などの問題が発生し、周りの住民が反対運動をやるという事態が発生しています。
そこで建築協定運営委員会に、現実を考えて、地区計画のような町全体に住宅基準が及ぶ仕組みに移行すべきだと提案しました。
しかし委員会は、加入しない人が悪いと言うだけで、建築協定では町の住環境が破壊しつつある現実を認識することができませんでした。

委員会には、町の住環境問題は町内会で、あるいは町内会の中で検討した方がいいとも提案しました。
しかし、何故か委員会は、町内会を馬鹿にして、町の住環境問題を町内会の問題にすることを拒絶しました。

本来委員会は、町の住環境を保全するために最初宅地分譲を行なった大手不動産会社が用意した建築協定を引き継いだはずです。
その目的を忘れ、ただ建築協定にこだわるだけの小さな発想の委員会に堕してしまいました。

町内会にも建築協定の限界を話しましたが、委員会が隠然たる勢力を持っているためか、会長は、町の住環境問題は委員会に任せてあると言いました。
町内会は、委員会はまだ本来の目的を忘れていないと思っているのでしょうか。
実は委員会を疑っているが、責任が重くなるのを嫌い、町の住環境問題は委員会に任せてあるという言い方をしているだけかもしれません。

何ともややこしい状態です。

しかし住人の約75%が町の住環境保全を重視している間に、建築協定から地区計画のような仕組みに移行することは非常に重要なことです。

桜の美しさ

2006年04月01日 | Weblog
桜は桜だけで美しいのですが、周りがきたないとその美しさが半減します。
そして不釣合いが目立ってしまいます。

家と町の関係も同じです。
自分の家のことだけ考えていると、いつしか町が美しさを失い、自分の家の美しさも半減してしまいます。
そして不釣合いを感じ、自分の家も愛せなくなります。

自分の家を美しく保つためには町の美しさも保全する必要があります。
町の住環境基準をみんなが共有する必要があります。

しかし木と空間のある住環境に住めない貧乏な人もいるという問題は、町の住環境問題より基本的な問題です。
政治の最大課題と思いますが、中央政府も地方政府もこの問題との取り組みが弱く、町の住環境問題についてはどうしても取り組みが弱くなっています。