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一陣の風

 5月4日も12時を過ぎ、日付が5日に変わったばかりの頃に娘と息子が連れ立ってタクシーで帰宅した。なんでも苗場でスキー部の合宿が行われていたの中途で抜け出した息子に合わせて、娘が時間を調節して名古屋駅で落ち合って帰ってきたそうだ。いくらなんでもそんな時間に帰ってきた者たちとゆっくり話すわけにもいかず、真っ赤に日焼けした息子とちょっと話したくらいで、結局は娘の顔を見ずにその夜は寝てしまった。夜が明けたらすぐに法事の準備をしなければならなかったので、少しばかり話ができたのは、神事が終わったあとの食事の席でのことだった。
 とは言え、ここ数日来歯痛に悩まされている私では、いくらビールをあおっても、なかなか普段の調子が出てこず、一人悶々としている状態であった。それでも、ようやく痛み止めの薬が効いてきた頃になって、なんとか座を盛り上げるだけの気力が回復してきた。法事の後の会食の席として用意してあった料理旅館の部屋には、カラオケのセットがおいてあったため、かなり酔いが回ってふらふらしていた父に「歌う?」と聞いてみたところ、「おお!」と意外にもすっとマイクを受け取ってくれた。その場で自称18番の「かえり船」を熱唱してくれたが、それで火がついたのか、何回か同じ曲を続けざまに歌い、さらには「浪曲子守唄」「芸者ワルツ」「王将」など、懐かしのヒットメドレーを、まさに独演会のように歌い続けた。元来酔っ払って興が乗れば、いくらでもこうした曲を歌う父ではあるが、さすがに母の20年祭の席でここまでハチャメチャになるとは思わなかった。そのはじけぶりを初めて見た娘や息子は驚いていたが、マイクを離さない父の間隙を縫って、こぶしを突き上げながら息子が唄った「都の西北」は力強くて、一瞬のうちにその場にいる者すべてを惹きこんだ。その一部・・。


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 「それじゃあ、お前は『紅燃ゆる』を歌えよ」などと娘に言ってみたところ、「知らん」と妙な関西弁のイントネーションで答えられたから、「それぐらい俺でも歌えるぞ」と唸ってみたが、娘には馬耳東風のようだった。ジェネレーションギャップなのかどうか知らないが、つまらない奴だ・・・。
 その夜は二人とも地元の友達と会うとかで、深夜遅くにしか帰ってこなかった。自分が20歳前後にやっていたことを振り返れば、まだ帰ってくるだけましかと、自堕落な時間を過ごした記憶しかない父親では何も言えないのが少々残念だった。
 それでも6日の朝は親子4人で連れ立って、近所の喫茶店に朝食を食べに行った。相変わらず歯痛が治まらない私は、休みが明けたら必ず歯医者に行くぞ!と気持ちを高めていたが、そんなことはお構いなしに娘も息子も元気にあれこれ話している。特に娘は相変わらずのテンションで、いろんなことを休みなく話し続ける。その後娘の運転で少し離れたコンビニまで二人で行ったときにも、原油高から来る諸物価の値上がりについて 自分の見知ったことをあれこれ教えてくれたが、それだけ言うならお前が役人になって頑張ってみろよ、とやけくそ気味にいった父親の言葉など多分娘には聞こえていないだろう。
 それからは思い思いの時間を過ごした後で、地元の名物料理「味噌カツ」を食べに行った。前日のはしゃぎすぎを一人反省する、などと意味不明の言い訳をする父は参加しなかったが、京都や東京では味わえない地元の名物を堪能した娘と息子はいたく満足気な顔をしていた。その後すぐに、翌日の講義がある二人を電車の駅まで送っていったから、合計43時間ほどの帰省にしかならなかったが、私から見ても結構中身の濃い時間を過ごしたのではないかと思う。もちろんもう少しゆっくり話ができる時間があったらなあ、と思わないでもないが、お互いが元気でいることさえ確認できたら、それで十分じゃないかとも思う。私が歯痛でいつもの元気がなかったのは自分では面白くなかったが、それくらいのほうがかえって子供たちにはよかったのかな、と思わないでもない。
 早く歯医者に行かねば・・。
 
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