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3本

 連休前から歯が痛くて、家族には内緒で痛み止めを飲んだりしていた。いつもならそうやって3・4日も我慢すれば痛みが引いてくれるのに、今回ばかりは引くどころか、日に日に痛みが増してきた。5日に美術館巡りをしていた頃には最悪の状態になって、とうとう妻にずっと歯が痛かったことを告げた。「まったく・・」と呆れられてしまったが、それでもすぐに薬局で痛み止めを買ってくれたから、それを飲んだらずいぶん楽になった。しかし、もうこれはいくらなんでも限界だ、歯医者に行って治療しなけりゃならない、と痛感した。家の近くに従兄弟が開院している歯科があるのでそこへ行けば何とかしてくれるとは思うが、あいにく連休の真っ只中で休診しているだろうから、世話になることができない。休日診療をしている当直の歯科医に行こうかとも思ったが、従兄弟に任せたほうが安心に決まっているから、連休明けまで薬を飲みながら何とか我慢することに決めた。
 だが、どんな痛み止めを飲んでも徐々に効果が鈍くなり、絶えずジンジン痛むようになってしまった。最後の手段とばかりに、正露丸を虫歯に詰めて、一生懸命耐えた。食欲もわかず元気がなくなってきたが、せっかくの連休を悲しい気分で過ごすのも馬鹿らしいと、よくないことは承知の上で、ビールはいつものように飲んだ。痛みが酷くなるかな、と心配したがさほどのこともなく、酔いで気が紛れただけよかった。
 
 私は歯医者が嫌いだ、というよりも椅子に座ってしばらくじっとしていなくちゃならないのが、我慢できない。大学生の頃まではそんなことはまったくなかったが、結婚する少し前に通っていた歯医者で突然じっと治療を受けているのが耐えられなくなってしまい、それ以来ずっとそうした心の弱さを克服できないできた。結婚式の披露宴で乾杯するまで来賓の挨拶を長々と座って聞いているのが嫌でたまらず、披露宴の招待状が届くと、なるべく妻に代理をしてもらうようにしてきた。ほんのたまにやむを得ず出席すると、じっと座っていなければならない間の心の葛藤が激しくてへとへとになってしまったものだ。これらは、嫌なことから逃げようとする私の本質がそもそもの元凶なんだろうが、さすがに今度の歯痛だけはもうこれ以上逃げることはかなわないと悟って、一念発起して7日の朝、妻に歯医者に電話をしてもらった。
 
 「10時半に来いって」妻がうれしそうに言う。「分かった・・」と言った瞬間から気分がどーっと暗くなり始めたが、もうサイは投げられた、あれこれ考えずに行こう!と己を鼓舞することに集中した。それでもさすがに狭い待合室で待つのだけは勘弁してほしいと妻に言ったら、「仕方ないなあ」と私に代わって待合室で待ってくれることになった。その間私は外でぶらぶらしていたが、連休明けだけあって患者が多く、30分以上待った。その間もずっとそわそわして落ち着かず、緊張感に押しつぶされそうな気にもなったが、かえってそれがよかったのかもしれない。やっと診察の順番になって診療室に入って行ったときには少しばかり落ち着いていた。従兄弟が私の顔を見て、「なんだか笑っちゃうなあ・・」と言って私の気持ちをほぐしてくれたのも嬉しかった。きっと見たこともないくらい固まった顔をしていたんだろう、情けない・・。
 従兄弟は私の口の中を見た瞬間に「これは抜くしかないね」と言った。私は痛みさえ取れれば何をされてもいいと思っていたので、「はい」とだけ頷いた。レントゲンを撮って「一気に3本抜いちゃうね」と私に言った後、麻酔をして抜歯に取り掛かった。もうこうなるとまな板の上の鯉の状態で、ただただ口をあけ続けるしかない。心配したほど私の気が動転することもなく、思いのほか淡々としていることができた。さすがに従兄弟はベテランだけあって、手際よくさほど時間もかからずに3本抜いてしまった。「はい、お疲れ様」と抜歯後の処置をしたうえで、この日の治療は終了した。その瞬間「なんとか切り抜けた!」などとほっとした思いでいっぱいになったが、同時に「歯痛からこれで解放されるんだ!」とものすごく気が楽になった。
 「ありがとうございました」とお礼の言葉にも力がこもったが、診療所を出たときの爽快感は素晴らしかった。「何とか我慢できた」と妻に自慢げに言ったら、「本当だね」と珍しく同意してくれた。難関を乗り越えたときの充実感で満たされていた私は、抜歯後の痛みなんてまるで感じなかった。よかった、よかった。

 でも、抜いてから半日以上経った今はものすごく痛い。何で?
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