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手塚治虫(2)

 昨年11月に『手塚治虫傑作選「瀕死の地球を救え」』を読んだ感想を記したが、その続刊となる「家族」篇を読んだ。10編の短編から成る本書は、それぞれ「親と子」「兄弟姉妹」「夫婦」などを題材にしている。「家族」という私たち一人一人がもつ永久不変のテーマについて、手塚のメッセージが伝わってくる読み応えのある作品ばかりが選ばれている。その中から、ここではブラックジャックを主人公とする3つの短編「勘当息子」「もらい水」「落としもの」に関して少しばかり感想を記したいと思う。



 私が初めて手塚の漫画に触れたのは「鉄腕アトム」だったと思うが、正直言って私はアトムがあまり好きではなかった。あまりに正義の味方過ぎて優等生然としたアトムは少々煙たい存在でもあった。「たとえロボットでもあんないい奴なんかいるはずがない」などとひねくれた見方をしていたのが子供の頃の私だった。(ロボットなら「鉄人28号」の方がずっと好きだった)そんな私であるから、少しばかり長じて「ブラックジャック」を読むようになって初めて手塚の作品の素晴らしさに気づくことができた。世間からは悪徳医師というレッテルを貼られ、無免許医でありながらも高額な手術代を取っては難病患者を治していく・・そんなシニカルなブラックジャックは稀代の「いい子」・アトムなどと比べるとずっと自分に近い存在のように感じられ、「ブラックジャック」全巻を買いこんで何度も繰り返し読んだ。その単行本も、塾生たちに貸したりするうちに散逸してしまい、今では一冊も手元に残っていない。だから余計に、この手塚治虫傑作選によって「ブラックジャック」の世界に再び浸ることができたのは嬉しかった。
 
「勘当息子」・・山間の村で宿を求めてブラックジャックの立ち寄った家は、老婆が一人できりもりする民宿だった。その日はちょうど彼女の還暦の誕生日、都会に出てそれぞれ出世をした三人の息子たちがお祝いにやってくるはずだったが、いつまで待っても誰一人現れない。落胆のあまり持病に倒れる彼女のもとに放蕩を繰り返して勘当したはずの4人目の息子が駆けつける。彼は母の持病を治すために医者になったという・・。
「もらい水」・・町で胃腸病院を営む息子のために、自分の部屋を入院患者用に提供することが常態となっている母親は、そのたびに何人かの知り合いの家に順に泊めてもらっているが、とうとうどこの家も泊めてくれなくなった。ふとしたことで彼女と知り合ったブラックジャックは、その町を襲った大地震で野宿したあばら家の下敷きになった彼女を助け出して、息子のところへ連れて行くが・・。
「落としもの」・・不治の病と宣告された妻を何とかブラックジャックの手によって救ってもらおうと、家屋敷全てを売り払って都合した3000万円の小切手を持ってブラックジャックのところへ向かう男。しかし、その途中駅の構内で小切手を落としてしまった彼は、必死で探したものの見つからず、性も根も尽き果ててブラックジャックに事情を話す。しかし、ブラックジャックは彼と息子の体と引き換えに手術しようともちかける・・。
 
 どの作品も読む者の心をまっすぐに射抜く。古典的な人情話だといえるのかもしれないが、古典的だろうとなんだろうと、人間の根本は今も昔もさほど変わるものではない。これらの物語に流れる親子愛や夫婦愛、さらには人間愛は時空を越えて私たち人間の血の中心を流れているものではないだろうか、手塚はそう信じていたからこそ、こうした作品を書き続けたのだろうし、私たち誰もがその思いを共有しているからこそ、手塚のこれらの作品が今でも読み継がれているのだろう。私もそう信じているし、家族を慈しみ助け合う思いこそ、これからも変わることなく、私たち一人一人の血の中に連綿と流れ続けていくだろうと信じている。
 
 没後20年近くたっても、手塚の残した漫画は輝きを増し続けている・・。


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