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新聞

 一昨日、こんなニュースが流れた。

『毎日新聞社は13日までに、北海道内での夕刊発行を8月末で廃止することを明らかにした。道内以外での地域では引き続き、夕刊の発行を続けていく。
 毎日新聞北海道支社によると、「読者からの要望やライフスタイルの変化に合わせて、今後は新しいタイプの朝刊を発行する」と話している。9月1日からの新価格は月3007円。道内を管轄する同社の今年3月の発行部数(日本ABC協会調べ)は朝刊6万8000部、夕刊1万4000部で、昨年同月に比べ1年間で約4000部減少している。
 全国紙の夕刊廃止は、産経新聞東京本社が平成14年4月より首都圏での実施に踏み切った以外初めて』

 確かに夕刊は読まずに終わってしまうことがよくある。読んでも、一面と社会面それとスポーツ面をちらり見するだけのことが多く、特集記事などをじっくり読むことは少ない。私には腰を落ち着けて夕刊を読むだけの時間がないことが一番大きな原因だが、夕刊を少しばかり軽く見ているせいもあるのかもしれない。我が家では毎日新聞をとっているが、ここ最近は夕刊の紙面にいろんな工夫がされているのが分かる。一面に数独の問題を載せたり、2面に時の人のインタビュー記事を載せたりと、よく見ればなかなかの読み応えがある記事が並んでいるように思う。要は夕刊を読むための時間があるかどうか、という問題なんだろう。上の報道にもあるように、夕刊が朝刊の約5分の1の発行部数がないことから、世間一般に夕刊を読むだけの時間に余裕のない人が多いことが窺えるような気がする。
 マスメディアとして新聞の役割が相対的に落ちていることは否めないだろう。TV・ラジオを見たり聞いたりしていれば、日本だけでなく世界全体のニュースをほとんど知ることができる。何をわざわざ新聞までとって読む必要があるのか、と言う気がしなくもない。ましてや、パソコンや携帯電話でインターネットを使えれば、どんなニュースでも知ることができるし、個別のサイトを訪れさえすれば、そのニュースの裏側に潜む問題点までも瞬時に知ることができる。それなのにお金を払って、次の日には紙くずとなってしまうような物をあえて買う必要などまるでない、と考える人が多くなっているのは仕方ないように思う。私の子供たちは、それぞれの部屋で新聞はとっていないと言う。「ネットがあるから新聞なんて読まなくてもいい」というのが理由らしいが、それならそれでいいじゃないかと、私はあえて反論していない。
 3月に少し驚いたことがあった。「県立高校の入試問題は解答とともに翌日の新聞に出るからそれで自己採点しておくといいぞ」と私が中3生に言ったところ、一人の生徒が困ったように「ウチは新聞とってないけど、どうしたらいいですか?」とたずねてきた。私は予想だにしていなかったことなので、一瞬戸惑ってしまった。「そうか・・、それなら塾に来たら答えを教えてあげるから、それで採点すればいいよ」などと何とか答えたが、かなり驚いた出来事だった。一般紙をとらずにスポーツ新聞をとっている家は今まで何軒かあったが、新聞をまるでとっていないというのを聞いたのは初めてだった。もちろん今までにもそういう家の子はいたのかもしれないが、そんな話を聞いたのは初めてだったので、少々面食らってしまった。
 新聞をとらない理由はいくつもあるだろう。上に挙げたもの以外には、やはり月々の新聞代が嵩むという面も大きな要素だと思う。我が家でも一年前まではずっと毎日新聞と中日新聞の2紙をとっていたが、経費削減のために中日新聞をとるのをやめた。地元紙だけあって、不自由に思うことも時々あるが、その浮いたお金で喫茶店に行って、店に置いてある新聞を読めばその方が賢明か、などと今は開き直っている。
 しかし、「やはり新聞は読まなくちゃ!」と思ってしまう。耳で聞き、目で見ただけで世の中の動きを理解したような気になるのは、少々早計ではないだろうか。やはり目で文字を追いながら、一つ一つを頭で理解していくという作業を繰り返すことによってしか、錯綜する現代の状況を理解することはできないと思う。そうしたリテラシー能力を高めるためにも新聞は不可欠なものだ。朝刊だけでもいいから、もっとしっかり読むようにせねば・・。
 
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