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落語

 日曜日、WOWOWで録画してあった映画「しゃべれどもしゃべれども」を見た。主演の国分太一の演技が絶賛されていたから、見たいと思っていた映画だ。昨年公開の映画が家のTVで見られるのは嬉しい。塾の授業を終えて、もう後は酔っ払うだけ、そんなだらりとした気分で見始めた。あらすじは次のようだ。

 東京・下町。うだつの上がらない二つ目の落語家、今昔亭三つ葉は、ひょんなことから落語教室を開くことになる。生徒は、美人だが無愛想で口の悪い五月、口は達者だが関西弁のためクラスになじめない少年・村林、そして、元野球選手の湯河原。3人は言い争ってばかりだったが、少しずつ上達していく。ある時、村林はいじめっ子と野球対決をして負けてしまう。悔しがる村林に、いじめっ子を落語で笑わせてやれ、と三つ葉は提案する。


 TOKIO のメンバーはそれなりに知っているが、どことなく影が薄い。SMAP の後塵を拝しているため、それも仕方ないのかもしれないが、バンドとして全員楽器が弾けるし、それぞれ単独でもそこそこ活躍している。決して目立たないわけではないが、どうしてもSMAP という壁を乗り越えられない、私の目にはそう映ってしまう(V6 も同じようなものかなあ・・)。しかし、この映画での国分太一はよかった。TOKIO の国分太一ではなく、一人の役者・国分太一として十分な存在感を示していた。映画の最初の頃は、落語もうまくなく、うだつのあがらない噺家という役柄にぴったりだったが、後半で師匠の十八番「火焔太鼓」を噺す頃になると、まるでいっぱしの落語家のように見え、噺を聞いて私も何度か笑ってしまった。かなりの努力をしただろうが、その成果が立派に現れていたのには感心した。顔つきも次第に自信に漲った男らしいものに変わってきて、この映画によって彼が成長したことが窺われた。SMAP のメンバーがかなり定番化された演技しかできなくなってしまったのに比べれば、今までのイメージを破る国分太一が見られたようで、演技者としての彼のこれからが楽しみになった。
 しかし、映画のストーリーとしてはさほど面白くなかった。三つ葉の落語教室に通ってきた五月(香里奈)と村林(森永悠希)が発表会で落語を披露したのは彼らの努力の成果を表したものとして納得できるが、彼らが落語教室に通い始めたもともとの動機である普段の生活での話し下手を克服できたかどうかがはっきりしないままで終わってしまったのは物足りなさを感じた。元野球選手の湯河原(松重豊)の訥々としたTV解説が教室に通うことでどれだけ改善されたのかが分かるような場面があってもよかったのに・・と少々残念に思った。だから、三つ葉と五月が最後に遊覧船の上で仲良く肩を寄せるシーンをバックにエンドロールが流れ始めたときには、「これで終わるの?」と、しばらく憮然としてしまった。この映画の原作となった佐藤多佳子の小説を読んでいない私には、この映画がどれだけ原作の面白さを表現できたのかは分からないが、結局は国分太一の落語の進歩振りを見るためだけの映画なのかな、などと意地悪な感想を持ってしまった。もう少しだけストーリーを工夫すればもっと面白い映画になったのにな、と偉そうな気持ちにもなった。
 私は普段余り落語を聞かない。噺家次第で面白くも詰まらなくもなるのだろうが、私にとって魅力的な噺家がいない、というのもなかなか落語を聞く気にならない原因なのかもしれない。日曜夕方の「笑点」なら楽しく見られるのだが・・。それに反して妻は落語好きで、最近は時々一人で落語を聞きに行ったりしている。それにならって、私も少しは落語を楽しむようになりたいな、と思ったのがこの映画を見ての一番の収穫だったのかもしれない。
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