☆ カミュの「シーシュポスの神話」(清水徹訳 新潮文庫)を読んだ。
☆ シシューポスは神から罰を受け、岩を山頂まで運ぶ仕事を課される。苦労して山頂まで持ち上げた岩は自らの重みで、ふもとに落ちていく。シシューポスはふもとまで駆け下り、また岩を頂上まで運ぶ。
☆ 何も考えなければ、ただ同じ作業の繰り返し。しかし、意識があればこそこの作業は苦しみだ。無駄だと知ってしまうからだ。苦しみから逃れるために自ら命を絶って、神に反抗の意を示そうか。しかし、そんなことをしたって、また同じ罰を与えられるだけだ。
☆ 何とも悲観的な状況だ。
☆ しかし、シーシュポスは、やがて微笑みながら下山するようになる。彼は何かを見つけたのだ。
☆ シーシュポスに与えられた罰。それは私たちにも当てはまる。生まれたからには必ず死が訪れる。私たちはそのことを知りながら、でも毎日生きている。死ぬために生きている。よく考えると不思議だ。
☆ 仏教の言う六道輪廻にも通じるものがある。生まれては死に、また生まれては死ぬ。解脱するまで繰り返される宿命。
☆ 夏の蝉。何年も地中に身を潜め、地上に出れば数日で死ぬ。それは「神」が与えた運命、あるいは「罰」と呼ばれるものかもしれない。何も考えずに「神」に逆らわなければそれまでだが、もし意識に目覚め、「神」に逆らう蝉が現れればどうなるだろうか。彼は地上には出ず、地中で死を待つか。
☆ ただ、地上に出ても、地中にいても死は必ず訪れる。
☆ 不条理とは「水に濡れないつもりで川のなかに飛び込む」ようなことだと訳者は言う。(9頁)
☆ 死ぬために生きている。肯定的に捉えれば、死を前にしていかに生きるべきかが問われるということか。
☆ 日蓮さんは言った。「死は一定なり」だからこそ「一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ」と。
☆ 思索を喚起する作品だった。
☆ シシューポスは神から罰を受け、岩を山頂まで運ぶ仕事を課される。苦労して山頂まで持ち上げた岩は自らの重みで、ふもとに落ちていく。シシューポスはふもとまで駆け下り、また岩を頂上まで運ぶ。
☆ 何も考えなければ、ただ同じ作業の繰り返し。しかし、意識があればこそこの作業は苦しみだ。無駄だと知ってしまうからだ。苦しみから逃れるために自ら命を絶って、神に反抗の意を示そうか。しかし、そんなことをしたって、また同じ罰を与えられるだけだ。
☆ 何とも悲観的な状況だ。
☆ しかし、シーシュポスは、やがて微笑みながら下山するようになる。彼は何かを見つけたのだ。
☆ シーシュポスに与えられた罰。それは私たちにも当てはまる。生まれたからには必ず死が訪れる。私たちはそのことを知りながら、でも毎日生きている。死ぬために生きている。よく考えると不思議だ。
☆ 仏教の言う六道輪廻にも通じるものがある。生まれては死に、また生まれては死ぬ。解脱するまで繰り返される宿命。
☆ 夏の蝉。何年も地中に身を潜め、地上に出れば数日で死ぬ。それは「神」が与えた運命、あるいは「罰」と呼ばれるものかもしれない。何も考えずに「神」に逆らわなければそれまでだが、もし意識に目覚め、「神」に逆らう蝉が現れればどうなるだろうか。彼は地上には出ず、地中で死を待つか。
☆ ただ、地上に出ても、地中にいても死は必ず訪れる。
☆ 不条理とは「水に濡れないつもりで川のなかに飛び込む」ようなことだと訳者は言う。(9頁)
☆ 死ぬために生きている。肯定的に捉えれば、死を前にしていかに生きるべきかが問われるということか。
☆ 日蓮さんは言った。「死は一定なり」だからこそ「一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ」と。
☆ 思索を喚起する作品だった。