じゅんむし日記

心は急いでいる。それなのに、何も思い通りの形にはなっていかない。がまんがまん。とにかく、今できることから始めよう。

「コンビニ人間」村田沙耶香

2018-11-19 | 


ずっと読みたかったのですが、文庫本になったので買いました!
(薄っ)

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私自身は普通の人間なのか?

この本を読んでいくと、
まず自分自身が普通なのかという疑問がわいてきます。

普通とはいったい何なのでしょう?

作者の村田さんは、
周りの、普通であることの強要に対して、
毅然と異を唱える、というわけでもなく…


コンビニのアルバイトが18年にもかかわらず、
社員並みの仕事が出来るようになっているにもかかわらず、
待遇が少しも社員に近づかないことに対して、理不尽を唱えているわけでもありません。

そこら辺の作者の主張がないのが、逆に心地よく読むことが出来ることになっているのかもしれません。

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子供の頃から普通ではなかった主人公…
まわりから普通であることを要求され続けてきたのですが、
(不思議なことに)コンビニで働いている時は、普通以上に社会に的確に働くことができるのです。

前半は、
行動範囲が狭いせいか、
観察眼のある主人公の日記を読んでいるようです。

変わった人物として主人公は描かれていますが、感覚的にはとても理解しやすいです。

コンビニ、またはコンビニと人間の関係の描写は、なるほどと思わせます。
ありありとその様子が浮かんでくるんです。
コンビニはほとんどの人が知っていて、わかっている気になっているけど、
これほど豊富に語ることはできません。

後半は、
小説らしくなってきた感あります。

前半と後半で空気感が変わり、ちょっと違和感がありましたけど。

いよいよコンビニを辞める、となりますが、
18年続いたものを辞めるきっかけが、突然過ぎてこれも違和感がありました。

辞めるときはあっけないものだとは思うのですが、
読者が腑に落ちるような感じにしてほしかったと思います。

辞めてからも、コンビニ周辺での出来事や小さな事件が起き、
おもしろく読むことは出来たのですが、
狭い空間の中の物語のせいか、行きつくところ(当然の場所)へ行ってさっさと終わってしまったのが残念でした。

もう少し読みたいと思いました。

もう少し発展させた物語が読みたいと思うのでした。

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「ページを捲る」
のフリガナを、わざわざ「まくる」と振ってありますが、
その違和感が、読んでる最中も気になって気になって^^;

なぜ「めくる」ではないのでしょう…。
コメント

「火花」又吉直樹

2017-10-29 | 
話題作なので読みました。(中古まで待ってスミマセン)
又吉さん、好きですよ。

その風貌だけは目を引きながら、どちらかというと相方の綾部さんが目立っていた昔も、
ポツッと言うひと言にセンスを感じていたワタクシです。
感覚は通ずるところがあるのだと思い、小説のほうも期待値大でした(^.^)



しかし…
正直、小説を書くってやっぱり難しいんだなぁと思った次第です。
読書家の又吉さんでも、やっぱり書くとなると別物なのかなぁと。

いえいえ、私の感覚こそ一般の方と何か違うのかもしれません。
芥川賞ですもんね。
私にはわからない良さがあるんでしょうね。

漫才では天才肌の神谷(24歳)
神谷を師匠と仰ぎ、同じく漫才コンビを組んでいる徳永(20歳)
それから約8年ほどの交流を描いた物語です。

題材はおもしろいと思いました。

でも天才肌と呼ばれる神谷さんが全くしっくりこないため、物語の中に入ってもいけません。
「天才肌」と文字にして言い切ってしまっていますが、
これが「破天荒」とか「傍若無人な」までに止めておいたら、もっと素直に読めたかも。
(漫才の天才を表すエピソードとか、難しいですもん)

笑いの天才なら、その時代の世相を切り取る器量を持ち合わせていそうなものなのに、
世の中をちっとも理解しておらず(最後のオチまで)、痛々しいだけです。

笑いの哲学を語りたかったとも思いますが、
ここを言いたいんだなぁとはわかるものの、
それが私の中には入ってこない、という感じでした。

途中の、<漫才コンビの掛け合いや神谷さんと“僕”の掛け合い>と、<全体の小説のトーン>との違和感も感じました。

この小説を書く前に太宰を読み直したのかな、という印象です。
読み直すまでもなく、太宰が沁み込んでいるのかもしれませんが。
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「我が家の問題」奥田英朗

2017-09-04 | 


家族を扱った6つの短編集は、自分の家庭や隣の家庭を見ているように親近感があります。

エピソードや会話は「うんうん、ありえる」「その通り!」と共感し、
「やっぱ、そうなんだ~」と安心したりもします。

私は次の3つが好きでした。

「甘い生活?」
わかるわかる。ひとり暮らしが長ければ自分のリズムもあるでしょう…。
答えが出ないような新婚夫婦のやりとりも、
どんどん展開して収拾がつかないぞーと思ったけど、ナイスなところで終わりとなりました。

「夫とUFO」
夫がUFOを見たと信じて疑わない…
夫の変調を感じた妻は、夫がヘンな道にそれないように行動を起こします。
尾行したりする姿や行動はとても滑稽であるけれど、いっしょうけんめいさが伝わってきてジーンとしたりもします。

最後、夫を救出すべく向かった堤防での夫婦のやり取りは、ほっこりしますねぇ。
夫の、なんとなくのん気な感じも好感持てるし、妻のいっしょうけんめいさも大好きです!
(相手を非難したりケンカにならないのも素敵です)

「里帰り」
ホント!そうなのよ。
夫の実家、妻の実家への里帰り…
なかなか小説にはしずらい題材だと思うのですが、見事に表現されていると思いました。

なんだか面倒で、考えれば考えるほど億劫になることってありますが、
その時になれば「案ずるより産むが易し」で、案外そういう時のほうが良い方向に向いたりもします。
過ぎてしまえば、満足感・充足感があったりしてね。

どの短編も、ユーモアあり、哀しみや可笑しさもあり、読後感もよかったです。
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「森に眠る魚」角田光代

2017-08-19 | 


本を読み、「良かった」とか「感動した」ときにブログに感想を書いてみたくなりますが、
今回は「気になった」ので書いてみます。

実在した幼女殺害事件をモチーフにしているという情報から、興味を持って読みました。
犯罪に向かうときの心理を描いているのかなぁと勝手に想像して。

しかし実際の内容はそうではありませんでした。

この小説は、5人の母親とその子供たちを取り巻く偏狭な世界を描いています。

互いに好意を持って頼れる存在であったはずなのに、
様々なきっかけから歯車が噛み合わなくなっていきます。

富の格差、自身の格差、子供の個性、お受験の駆け引きなどを通し、平静でいられなくなっていく過程…
ちょっとの自慢、人を見下すような言葉…
嫉妬や憎悪から心が別の方向に動き、関係が壊れていく様子はなるほどと思いました。

一つ内容を抜粋すると…

「ああ、ごめんなさい、私ちょっと今日は用事があるの」
けれど千花は言い、容子にはわざとらしく見えるしぐさで腕時計まで確認している。
「どんな用事?」
容子がそう訊いたのに他意はなかった。どんな用事か詳細を知りたかったわけではなく、会話のつなぎ目として訊いただけなのだ。
・・・・

「どうしてどんな用事か言わなくちゃいけないの?」
容子がたじろぐほどの早口で言い、・・・・

「わざと答えないとか、隠してるとか、そういうんじゃないってこと。容子さんってすぐそういうふうに考えちゃう人でしょ?」
・・・・

容子はとたんに不安になった。そういう人、と思われて嫌われたんじゃないだろうか。
(文庫P200~201)


まぁ私自身、友人が豹変して突然怒り出した(子供がらみのことで)という経験があるので理解できるのですが、ほかの読者の方はどうなんでしょう。
いろいろなエピソードに対しても、まさかと思うのか、あるあるなのか、興味あるところです。

物語自体は、なんとなくバタバタしている感じを持ってしまいましたが、
一つひとつのエピソードは(コワいもの見たさで?)おもしろく読めました。
ただ登場人物の誰にも感情移入はできません。
誰一人として魅力ある人がいなくて非常識すぎますよ。

人物像に一貫性がなく、同一人物にしては違和感
があるのが気になり、
まぁそもそも人ってそんなものだと思うしかありません。

それに、3歳くらいの子供が自分のことを「おいら」と言うのはやめてくれ、という感じです。
(ものすごく気になった)

後半、“彼女”という5人の母親とは別の?存在が登場して実在の事件とダブるのですが、
何か唐突で物語に溶け込んでいない
ような気がしてしまうのです。
(文庫P377~)

それぞれの母親の心の闇を表現しているだけなのか、何か主張したいことがあるのか、私にはわかりませんでした。
事件を思い起こさせるような極端な内容が、物語の中で浮いているように思います。
(どなたか解説してほしい~)

最終章では、お受験後の5人の母たち、子供たちの結末…
それぞれ、世界の終わりのように追い込まれていたにもかかわらず、時が流れて何事もなかったような日常がただ在ります。
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「無限の網」草間彌生

2017-01-08 | 
前衛美術家の草間彌生さんが、昨年11月、文化勲章を受章されましたよね。

日本で評価が上がってきた…というか、知られるようになってきたのは最近のことのように思いますが、
ここ長野県松本市出身ということもあり、お名前と同時に、アメリカなど海外では高い評価を受けている方という認識は、随分前からありました。

2002年松本市美術館が建ったとき、草間さんのオブジェが造られましたが、
実はその時は、自然豊かな松本の町並みに合わないなぁ、なんて感じていました。

スミマセン(..)

今では美術館の誇り高きシンボルとなっています。

↓2016年11月6日撮影




だんだん有名になるにつれて、その人となりに興味を持ち始め(ミーハーです^^;)
生き方そのものに感動し、その魂に感銘を受けています。

改めて自伝を読んでみました。



「無限の網」

いいタイトルです。

心にズーンと染み入ってきます。
自伝のタイトルとしてこれ以上のものはないような気もします。

小説を書いていたという通り、文章も文学的で引き込まれますね。

28歳(1957年)ニューヨークに渡って大きく人生が開けますが、
さかのぼって、幼少時代のことも描かれています。

こんな幼い子が…
と思う恐怖の精神状態も原点にあるのでしょう。
草間さんに舞い降りてきた壮絶な人生と芸術は、草間さんそのもの。

凄まじいまでのエネルギーが芸術へと昇華されていきます。
これぞ本物の芸術家だと言えます。


そして、数々の展覧会の軌跡とともに、いくつもの賞賛された評論が添えられているのですが…

ま、自身の賞賛された評論の列挙なぞ、そんじょそこらの人が書いたら独りよがりな文章というものでしょう。

それが!

草間さんの場合は、全く嫌みになっていません。

それはなぜ?
それは自分に自信があるからすがすがしく感じるのでしょうか?

うーん、ちょっと違いますね。

自分を信じきっています。信頼しています。
迷いがない!
それが素晴らしいと思うのです。


心に残った文章の中のほんのほんの一部を抜粋します。

第五部 日本に帰ってから の中の 百年後の一人のために より)

―― それは全方に燦然と輝く星。それを見上げれば、なおいっそう遠くに行ってしまうような、まぶしい星のたたずまいを仰ぎみて、自分の精神の力と、道を求める心の奥の誠実によって、人の世の混迷と迷路をかきわけて、魂のありかを一歩でも先へ近づける努力であった。

―― たとえば、労働者であろうと農民であろうと掃除人夫であろうと芸術家であろうと政治家、医者であろうと、その人々が今日より明日、明日より明後日と、自分の生命への輝きと畏敬に一歩でも近づけたなら、虚妄と暗愚の中に埋もれた社会の中で、それは人間として生まれた人間らしい一つの足跡となるのではないか。


87歳になられた今でも尽きないエネルギーには、尊さまで感じられます。
ますますのご活躍をお祈りいたします。
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