じゅんむし日記

心は急いでいる。それなのに、何も思い通りの形にはなっていかない。がまんがまん。とにかく、今できることから始めよう。

ギターを売る!

2013-09-28 | くらし
ギターを買い取ってもらうことにしました。

むかし若気の至りで、下手っぴの私には不釣合いの高価なギターを(クレジットで)買ってしまったのですが、もうずいぶん前から手放してもいいと思っていたもの…
MARTIN D-35というモデルです。

(マーティン社は、ポール・サイモンやエリック・クラプトンなど、世界の名立たるミュージシャンが愛用しているアメリカのアコースティックギター、トップブランドです)

息子がもしかしたら使ってくれるかも、という淡い期待を抱いていたため、手放すのが遅れてしまいました^^;
息子は、ギターなんてぜーんぜんやる気なし(ーー;)

ま、しょうがないです。
前に金(きん)を買い取ってもらったリサイクルショップに行きました。

お店の人は、
ギターの買取はいたしますけど、何ですか、と興味なさそうに聞いてきました。
MARTIN D-35と言ったら、
お店の人はピクッとして口元が緩んだような気がしましたが、気のせいでしょうか…(-.-)

下調べの金額より5万円少なかったですが、
(ま、それは下取り最高額でしょうね)
相場価格の本の表を、ちゃんと指差して見せてくれましたしね…(近眼で見えなかったが)
ま、いいです。7万円で。いえいえ…ありがたいことです。

あー、せいせいした(~o~)

でも、ちょっぴり寂しい(..)

金(きん)を売ったときは、そのお金がいつの間にかなくなってしまったので、
今度は、他のものとはちゃんと分けて、ギター貯金することにします。

どんなことがあっても生活費の足しにはしないぞー!
って、そういう気分です。
(いちおう、青春の思い出がつまっている)

だからといって、そのお金は何に使うのだね?(-.-)

買い取ってもらったMARTIN D-35は、私の高校入学時に腕時計を買った景品としてもらったギターを含め、5番目のアコースティックギターでした。
(景品がギターというのだから、その時代の流行り様がわかるというものです)
今ウチにあるのは、3番目の1本だけ。
軽くて、弾きやすくて、安くて、今の私にピッタリのギターです!

コメント

「心」 姜尚中

2013-09-24 | 


話題の本だったこともあり、市立図書館から借りて読んでみました。
著者のご子息が、自ら命を絶ってしまったという悲しい出来事も、小説の中に組み込まれているとかで、その辺りも興味を持って読んでいきました。

表題から見てもわかるように、夏目漱石の「こころ」と重なるところは多いです。

・表題の「心」
・書簡形式
・親友の死
・一人の女性をめぐる親友への裏切り
(この本では、青年が裏切り行為をしてしまったのではないかと悩む)
など。

夏目漱石の「こころ」を読んで何回目かに、ふと、もしこの場面がこういうふうに変化していたら、
というような物語の膨らまし方をして、そして違う小説になった、というような感じを持ちました。

↑意味わかんないね^^;スミマセン、表現がヘタで。

小説は、大学の先生である姜先生と、青年との往復書簡の形式を取っています。
その中で、
人間の間には説明しえない親和力が働く、というのは、本当にそうだなぁと思います。
(ゲーテの小説「親和力」を引用しています)

小説の中の姜先生が、青年との対話の中で”あの子”に重ねる表現が各所にでてくるので、
いつ”あの子”が物語の中心になっていくのだろうと期待しながら読んだのですが、
あの子=息子のくだりは、少ししかありませんでした。

もう少しページが欲しかったです。
もっともっと内面をえぐりだしてくるのかと思っていました。
怖いけど、でも人間の本質みたいなものが浮き出てくるのではないかと、ドキドキしながら息子のくだりを読んだのですが…。

小説ではなく、エッセイとしてご子息のことを書いたほうがよかったのかな、とも思いました。
東日本大震災という、日本にとっても大きな災害が小説に組み込まれてもいて、青年との関わりはうまく表現できていると思いますが、
どうしても息子につながるところ…
”あの子”という表現で最初から意味を持たせていたのに、やはりご子息の記述が少ないなと思いました。

コメント

地場野菜売りの強気??^^;

2013-09-17 | くらし
こちら、地方のスーパーでは、
「地場野菜」と言って、この地域の生産者が直接スーパーに卸して置いている野菜があります。

きゅうり、ナス、かぼちゃ、豆類、ねぎ、トマト・・・
それはそれは、たくさんの種類があります。

きゅうりなんかは、
曲がってるけど、新鮮!(^.^)
形も不ぞろいだけど、おいしい!(~o~)

形は悪くても、小さめでも、大きめでも、味に変わりなし!
っていうか、地場野菜のほうが断然おいしいっ!
第一、とっても安い(^^)/
ほんとうに、ありがとうありがとうーー!

と思っていたのは…
1~2年前まで(-.-)

なぜか、今は高い…。
きゅうり4本で310円なんてのを、先日見つけました。
(生産者が価格を決めます)
そんなにきゅうりは今高いのかと思って、
市場から買い付けてきたものと思われるきゅうりの価格を見てみると、1本65円で売っていました。
(大きさは同じくらいです)

でも、おいしいので、やはり地場野菜を選んでしまいます。
おいしさは形に関係ないので、その価格の価値はあるのかもしれませんし、
現に、高くても形は悪くても地場野菜のほうを買ってしまっています。
おいしくて新鮮だから。

市場経済の原則を考えてみれば、
売れるのだから価格を高くしても当たり前。

だけど、1~2年前まではホントにありがたくてありがたくて、
安く売ってくれている生産者さまに、ずーっと感謝していたものです…。

今は当然、感謝の気持ちはなくなってしまい、
なんで高い野菜を買わなきゃいけないんだー、とまで思うようになってきました。(ありゃりゃ)

じゃ、買わなきゃいいじゃん、と思うでしょうが、
なんだか腹が立ちながら、なおも買ってしまう、という悲しさ…(-_-;)

売れるなら高くてもいいのか…
生産者が売りはじめたときの原点が大事なのか…

自営業者として、自分に問いかける問題でもありました^^;

コメント

しゃんとしなさい。

2013-09-05 | つぶやき
近所に「用事」があったので、散歩がてら(ウォーキングではない)遠回りをして歩くことにしました。

そう…思えば…
私が幼少のころ、よく母が「ご用に行ってくるからね」などとナゾの言葉を残し、よく出かけたものですが、
「ご用」って言葉、つくづく便利だったと思いますよー。
(今はあまり使ってませんよねぇ)

小っちゃい私「おかーさん、ご用ってナニ?」
若かった母「ご用はご用よ」

小っちゃい私<そうか、ご用って所かぁ>

若かった母「これからご用に行ってきますね」
小っちゃい私「え?ご用ってどこ?」(←少し賢くなる)
若かった母「ご用っていえばご用ですよ」
小っちゃい私「ずるいずるいーー!きっといいところに行くんだぁーー!ギャーーー!」(←泣き叫んでいる)

小っちゃい私は、勝手に妄想し、よく泣きました。
たぶん大したところではなかったのだと思うのですが、それでも「ご用に行く」と言われ続けたような気がします。

(~_~;)ヘンなこと思い出すもんですねぇ。

さて…
「用事」のついでに散歩したという話でしたね。

外を歩いていると、車に乗っている人からはけっこう目に入るらしいですね。
「先週、どこそこ歩いていたでしょぉ~」
こんな風に言われてしまいますから、
散歩をするときは住宅地の中の狭い道を歩いたりしていました。

ですが、今日は違います。
大通りを歩いてみました。(←地方都市の大通り)

ウィンドウショッピングというわけではありませんが、
店の中をチラッと見ながら歩いていくのも、まぁ、なかなか楽しいもんです。

っと…
あれ?どこのオバサンかしら。

(゜o゜)ノギャッ

ナント、そこに映っているのはワタシ??

信じられません…。
なんか、急に年取ったような…(ーー;)
ゾッとして、動揺しながらも頭の中で事態を整理します。

えっと…どこが悪いんだろ?
顔がなんとなく前に出ているのかな?
頭を起こすような感じにすると、背筋がヒュッと伸びました。
次のウィンドウでチェックです。

(ーー;)

えっと…まだおかしい…。
骨盤が前に出ているのか?
下腹をキュッと引っ込めます。
なんかお尻が出た感じ…
下腹を引っ込めながらお尻もキュッと引っ込めます。
次のウィンドウでチェックです。

だって、立ち止まってウィンドウを見ながら、キュッキュッキュッキュッ引っ込めたり出したりしていたら変でしょう?

あー、気をつけて意識していないと緩んでるぅー(;一_一)
これは重症です。

しゃんとしなさいっ!(自分に…)

意識して、しゃんとした生活をし続けること、まだまだたくさんありそうです。
何か気付いたことがあったら、私にこっそり教えてくださいねー。

コメント