じゅんむし日記

心は急いでいる。それなのに、何も思い通りの形にはなっていかない。がまんがまん。とにかく、今できることから始めよう。

「感情の世界」島崎敏樹

2016-06-12 | 


古い本です。
確か面白かった、という覚えがあったので読み直してみました。

漠然とし説明のつかないのが感情というものですが、
それをまず、意識の発生というところから紐解いていきます。

植物でも動物でも人間でも ― 生物すべてをとおして、そこには生命と意識に関する一つの原則がおおっている。
として、意識発生の理由が語られます。

意識は生体の要求が、行動が、「外から」そこなわれ、とどこおった結果生まれ、
また、生体の流動性を「内から」とどめる大脳皮質の発達によって生まれた。


これだけだとなんか難しそうですが、
端から読んでいくと、一文一文が次に広がっていくような感じで理解が深まり見晴らしがよくなるのです。

丁寧な筆の進み方は、”よい読み物”と言いたくなります。
(ホントにわかりずらい本あるもんねッ)

つづいて、感情とは何か、についてです。
自分で整理するために、感情の地層をまとめてみました。
 ↓


そして、後半のほとんどは、たくさんの感情にまつわる例を取り上げて、その姿を浮き彫りにしていきます。

・実験心理の結果
・体験記録
・思想家の言葉
などの例があります。

幸福感や絶望感…
体験記録の例は時にかけ離れたものと思いがちですが、決してそうでもなく、
実は私たちにつながっている感情というものはたくさんありそうです。

もしかしたら次の例はよくあるかも…

彼は能力を持ちながらも、能力以上のものを欲しがるために、満足した結果を味わうことができなかった。
そして、それを自分の力不足とは考えずに、他人のせいだと思う。
自分を落し入れたヤツがいたのだ…
自分は中傷され、妨害されたために自分の望みが届かなかったのだと感じた。
そう、罪は他人(相手)にある。
相手に憤り、相手をののしり攻撃する。
彼の言う事も一理あるのかもしれないが、その言い分が並外れているので、人々は相手の方に同情的になってしまう。
彼にしてみれば、悪者と思っている相手に人々が加担しているように思えてきて、
ますます孤立していく…


「わ~アイツのこと言ってるみたい~」
ってなったでしょうか?

「こんな人いるいる」
「わ~会社の上司にそっくり」
なんて思いはしても、私のことだ!と冷静に思い返す人はどれだけいるのでしょうね(~_~;)

と書いている私も思い返していないことに今気付いた!(゜o゜)

こうやっていろいろ気付かせてくれるのですね。
もう1回読もうかな…
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島崎俊樹著「感情の世界」再読の前に

2016-05-24 | 
自己啓発本というのか何というのか…

「人は人、自分は自分と割り切ろう」
「自由とは他者から嫌われることである」
「いい人をやめると楽になる」

新聞を見ていると、こんな文句が並んでいる本の広告をよく見かけます。

なるほど~ヽ(^。^)ノ

っていうか…(-.-)

皆そんなことはわかっているのですよね…(T_T)

頭の中ではわかっているはずなのに、
人と比べてしまったり、
人の評価を気にしてしまったり、
困ったと思いながら頼まれごとを断れなかったり…

そこから生まれるワケのわからぬ感情が、ワタクシ自身を苦しめるのですね…。

ほとんどの人は(私も)、自分自身を都合のいいように解釈して、他人を責めてばかりいるのに、
(本の広告にあるように)これ以上「いい人をやめる」なんてことがそれぞれ起こったら、かえって生きずらいでしょう。

節度ある大人は、慎ましくて遠慮深く、思ったことをすぐ口にしな気もします。

まぁ言葉は取りようなので、
本の中での真意は別のところにあるのかもしれませんけど。

感情というのは不思議なものです。
むか~し読んだ「感情の世界」という本が確かおもしろかったです。

今度、感想文書きますねー(^^)

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「紙の月」角田光代

2016-05-03 | 
幼少の頃、
小・中学校の頃、
学生時代、就職してあの時、
「もしも…がなかったら」
「もしも…をしていたら」
「もしもそばに居た…が…のように接してくれていたら」

無数にある「もしも」がたとえその通りに行われたとしても、
結果として、今の私に到達してくるのではないでしょうか。
つまり、周りのせいにしたところで、
また周りがその時にうまく対応してくれたところで、
今の私が今より素晴らしくなるはずもない。

私に関わった人・モノ・自然…私に触れたすべてをひと塊として、
何もかもひっくるめて私自身なのだと思います。

私を取り巻く関係性そのものが私自身です。

少し前に、”アドラー心理学をやさしく解説”的な本を読んで、私なりに解釈したのですが、
きっと角田さんも、この本を通じてそう言いたかったのではないでしょうか。

(アドラーはちょっと理解できないところもありますが)

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正義感が強かったはずの主婦・梨花は、
年下の大学生・光太と知り合い、ほんのちょっとした自分自身への言い訳から始まり、一億円横領という犯罪に手を染めていく…。

ほんのちょっとのキッカケ。
その出来事に至るまでの心理描写が丁寧に書かれていて、
(その時は想像すら出来なかった)犯罪に進んでしまう気持ちの追い込まれ方もリアリティがあります。

あまりの大胆さは、私たちとは全く関係ない世界の事と思いたくなりますが、
もしかしたら、そんな暗い穴に足を踏み入れてしまう瞬間は誰にでもあるのではないでしょうか。

それに、もちろん同じことではありませんが、私にも実際そんな瞬間があったような、なかったような…。
何か、ふっと同じ匂いのする出来事を、若かりし時にかすめたような、かすめなかったような…。
転落へのきっかけなぞ、確かに誰でもありうることだと思うのです。

梨花と関わりのある「岡崎木綿子」「中條亜紀」「山田和貴」の物語も同時展開しており、
それによって梨花の人間性が浮き出て、幅広で奥行きのあるストーリーとなっています。
(少し浮いた感じのする箇所もあったように感じましたが…)

物語の中では影が薄い夫もとても重要な要素で、
何でもないことと思えるのに、緻密さを持って最初から最後まで登場しています。
そこら辺の家庭にも居そうで、よく発しているだろうその言葉が、深く物語を表しています。

一気に読ませてしまう角田さんの筆力は、やはりすごいと思います。
読み返せば、またさらに違う発見があるかもしれません。
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「幸福論」アラン

2015-11-29 | 
幸福感についての記事を見つけたと前回のブログで書きましたが、
なぜそんな記事が目に付いたかというと、
「幸福論」という本を、寝る前にちょびちょび読んでいたせいなのかなとも思います^^;

若い頃読んだ本の読み返しですがね…。

ま、そもそも「幸福論」なんていう本を本棚から拾い出すこと自体、
最近気にかかっている言葉だったということなのかもしれません…。




このアランの幸福論…
・・論と言いながら、堅苦しい哲学書というわけではなく、
実生活などからエピソードを挙げて幸福感というものを語っている、小エッセイのまとまりみたいな感じです。
わかりやすく、スッと入ってきます。

人間が陥りやすい”癖”を取り上げ、不幸を感じてしまうワナといったようなものを教えてくれます。

そして、まず行動せよ、と。
過去や未来は、それらを考えるときにしか存在しない。過去も未来もわれわれを苦しめる事はできない。
とあるように、
考えているばかりで答えを導き出そうとせず、まず行動するのが大切であり、行動こそが未来をはらんでいると言っています。

そして、
・今の自分の仕事に真摯に取り組むことが大事
・人には、自分以外にはほとんど敵はいない
・礼儀とは自分の義務を感じることで、敬意や慎みや正義に対しても大いに義務がある
・望まなければ幸福になれない。内なる幸福を持っている人は、上手に幸福を取引し、上手に交換する
と言っています。

毎夜拾い読みをしているところですが、若い頃より身にしみて言葉をすくい取れる感じです。

行動、行動っと。
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「自殺について」ショウペンハウエル

2015-03-29 | 


またまた本棚から昔の本を取り出して、ちびちび読み始めました。

なんでまた、この本を(・・?
とご心配の皆さん、
ご心配なく!っていうか、ワタシも何でかな?なんて思ってたりしてね(~o~)ははは

何でかな何でかな…
なんか、自分を見つめ直したいのかな(・_・)…なんてねヽ(^。^)ノ

若い頃、なぜかタイトルにひかれて買ったこの本でしたが、
自殺について、という表題ほど自殺のことを多く語っている内容ではありません。

ちょっと文を拾ってみました。
(なかなか前後がうまくまとめられないなぁ^^;)

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死は自分の生命の終わりではあるかも知れぬが、しかし自分の現存在が死によってとどめをさされることはありえない
・・・・
生は夢なのであって、死はまた目覚めである・・・・人生とはかかる根源的状態のひとつの小さなエピソードにすぎなかった。


ある生命は、ある他者によって無から創られたものではなく、
死によって無に帰するということではない、と言っています。
万物すべてが受け継がれていく壮大な物語を感じます。

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人間のどのような愚鈍・欠点・罪悪に対しても我々は思いやりをもたなければならない。
いま我々が眼の前に見ているところのものは、実は我々自身の愚鈍・欠点・罪悪にほかならないのではないか。


ワタシが今、大いに憤慨している他人のほんの些細な行動も←わー、小っちゃい話( ̄。 ̄;)、ワタシの中の反映だったりするのですね。
ワタシそのものだったりするのですね。

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人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、連続にほかならないことが、知られるのだ。

・・・・自分の人生を概観して、徹頭徹尾自分が間違っていたと覚るにいたるのは、全く当然のことである。
人間がまずそのことを個々の場合において、即ち自分の個人的な生涯において認識することから始めなければならない。


人に自慢できるような人生を送ってこなかった平凡なワタクシには、とても癒される言葉です。
そして、世の中の悲しい出来事を見たりしていると、なおさらそんな感じがしてしまいます。

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それにしても…(・_・)
ホント、なんで最近、この本を手に取ったんだろね(・・?
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