じゅんむし日記

心は急いでいる。それなのに、何も思い通りの形にはなっていかない。がまんがまん。とにかく、今できることから始めよう。

今年も終わり

2013-12-31 | 今日の出来事
いやはや…
今年も今日で終わりです(・_・)

何というんでしょうね…
時は途切れることなく、変わりなく進んでいるというのに、
この”区切り感”!

大掃除なんて、暖かい春にやればいい、と本気で思っているのに、
ぜーーったい年の瀬になると、ゴソゴソやりだすもんね。
何かに押されるようにね(-.-)
(それは何?何?よりよい一年を過ごさなかった自分?(゜o゜)おーコワッ

お正月用食材が高くなる時期に、ナニモ決まったもの買わなくていいじゃん、と本気で思っているのに、
ぜーーったい買うもんね(-.-)
(人並みにしないと居心地悪い(..)ちっちゃい自分…

12月の声を聞いた途端、なんとなくせわしくて、落ち着かなくて…
なぜだろ。
何だか気持ちが焦りだすのです。
1年の12分の1という長い期間を、こんな気分にさせといてさっ!

それなのに、
それなのに、お店は元日からやっているーー。

(いや…その前日だって営業しているんだから、元日からっていう表現も何だかね…^^;)

でもよ…
お正月を清々しく迎えるための用意って、
終わってみると、やっぱり気持ちのいいものです。

そう!いいものでした!

(^-^)ふふふ 昨日おとといと大掃除もおせち作りも頑張ったから
今日は余裕よぉ~(^。^)ヒュ~
ブログを書く時間だってあるの。

みなさま、
今年一年、この拙いブログを読んでくださってありがとうございましたm(__)m
ではでは。
よいお年をお迎えくださいませ。

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お母さんと呼ばないで

2013-12-19 | 今日の出来事
ウチの子以外が、私のことを”おかあさん”と呼ぶ時…

子供が小学生までくらいの時は、
友達の母親のことを「だれだれ君のおかあさん」て言いますね^^
かわいいですね~~。
いい子いい子(^.^)

だって、私が小学生の時なんかは、
「おばちゃん」とか言ってましたよ(^^ゞ
それがフツウでした。

今の子は、母親が「だれだれ君のおかあさん」と言うので、
ちゃんとそう言うようになるのです。

高校生になるとかわいそうですよ。(男の子)
友達の母親の呼び名がないです。
「おばさん」とも言えず、「だれだれ君のおかあさん」とも恥ずかしくて言えず、
「すみません…」とか言って呼んだりしてね。
それもまあ、かわいいもんですが(^.^)

そして、もっとはっきり”おかあさん”と言うのは…
子供の学校の先生です。

これはもう、幼稚園から高校まで、そうです。
懇談会に行っても、
「おかあさんはどう思われますか」みたいな感じでね。

(^-^)ナットク

先日、家でカシャカシャパソコンのキーを叩いていると…
ピンポーンと訪問者がありました。

「何々という会社です。何々の紙袋を配っているので、もらってください」
「おかあさんは、何々みたいなのどうですかぁ?」

30歳くらいの男性が私のことを”おかあさん”と呼びました。

( ̄◇ ̄;)う…うそ…

グッと来て…
固まり…
たぶん受け付けないっていう顔をしていたと思います。

そしてようやく、
「お、おかあさんじゃないですけどねー(^^ゞははは
と言ったら、
彼も機嫌を悪くしたのでしょうか…そそくさと帰って行きました。

親しみをこめて言ってくれたんでしょう。

そういえば、テレビのリポーターでも、街中で自分より年上の女性に話しかけるとき、
「おかあさん」と呼びかけています。
気をつけて聞いていると、誰もかれも”おかあさん”と呼んでいる…。

ということは??
私の感覚がヘン(・・?

なぜ?
なぜ私は受け入れられないのだっ!
なぜなぜ?
必死に何かに抵抗している…
自分が小さく思えた日!でありました(..)

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煮物料理はやっかいだ

2013-12-10 | 今日の出来事
息子は帰りが遅いです。
家族で一緒に夕飯を食べる、なんてことは、一週間で一日あればいいほうです^^;

今日だって、もう夜10時半…。

そういえば、今日のブロッコリーのゆで方が硬かった…
(硬め、ならおいしいが、異常に硬い)
と思い、横目でチラッとムスコのほうを見てみると、
ボリンボリンといい音をさせて、おいしそ~にブロッコリーを食べています。

かわいいもんだ、かなり硬めのはずなのに、気付かないんだっ(^。^)へへ

そういえば、夕飯時に、私が内緒で気付いたブロッコリーのヒドイ硬さ加減を、
夫も気付かずボリンボリンと食べてたわ。

そして次…
「わぁ~、この肉じゃが、いつものより数倍おいしい~(^o^)」
なんて、ムスコが言うではありませんか!

え?気付いたの?(゜o゜)

そう。
確かに今日の肉じゃがは、奇跡的においしい(-.-)

いちおう主婦みたいなのもやっているのでね、定番おかずの調味料の分量はメモ帳に書いて、キッチンの引き出しに置いてありますよ。

で、いつもその分量をだいたいの目安で守り、調理しているわけですよ。

しかし!
調味料の分量を守ったところで、
いつもジャガイモの大きさはまちまちだわ、
玉ねぎの量は決まってないわ、
しらたき買ってくるの忘れた、だわ、
肉の部位もその時によって違うわ、
けっきょく具材がまちまちで、同じ味付けにならないってこと…(^^ゞ

それが、テキトーとも思える今日の味付けで、ピッタリ決まるとはね( ̄ー ̄;)

煮物料理はやっかいだ。
お料理上手な人、いつもおいしくできるプロ技教えて~。

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「後世への最大遺物」内村鑑三

2013-12-02 | 
人気作家の最新刊を読んだけど…
なんか今ひとつ…^^;
それで今度は、ウチにある本棚の中から選んで読むことにしました。

 1946年第1版 1976年改版

右は、小学校の卒業式の日に(息子じゃなくワタシだよっ)、校長先生からプレゼントされたものです。
「今はちょっと難しいかもしれませんが、もうちょっと大きくなったら読んでくださいね」
というようなことを、その当時言われました。

で、大きくなってから読みました。
読んだのは20代後半になってからかな…大きくなりすぎていたかも…^^;はっはっはっ

しかし…
ナント!旧仮名遣いだったため、読みにくく…
でも、苦労しつつも読み終えることが出来たのは、おもしろかったから!

そして、再読しようと思ったときに、現代仮名遣いに改版された本を買い、今回再々読です。

日々の暮らしの心がけを大切にしていくこと、そうすれば、誰でも後世に遺物を残すことができる。
当たり前のようなことなのに、気付いていなかった…そんなことを教えてくれます。
これだけの説得力を持って、人々に感銘を与え続けているというのは、すごいことだと思います。

どんな説得力か…
これはワタシには説明できません。読んでもらえば、この説得力に圧倒されると思います。

才能ある人を羨ましく思ったり、目に見えて世の中に功績を残している人と比べて、自分を卑下しなくてもいいということを教えてくれます。
普通で取り柄がなくても、後世に遺物を残してあげることができる、として、
私たちに勇気を与えてくれる、存在を認めてもらえる、素晴らしい本だと思います。
短い講演録なので、何度も読み返したいです。

↓ 自分で勝手にまとめたものです。本を読んだほうが感銘受けますっ!

人には、名を残してこの世を去りたい、という欲望を持つ場合がある。
そして、少しでも世の中をよくして逝きたい、という思いを持つ場合がある。

人は、何を残して…何を置いて逝くのがいいのだろう。
一つは、お金。
これは、誰でもできるというものではない。富を一つに集めることのできるものは、これは非常に神の助けを受くる人でなければできない。
金を遺物としようと思う人には、金を溜める力とまたその金を使う力とがなくてはならない。

二つ目は、事業。
これも一部の人に与えられたものである。
神から受けた特別の天才が要るばかりではなく、また社会上の位地がいる。

三つ目は、思想を遺す。
著述をすること(文学)、学生を教えること、である。
もしも事業が遺せなかったとしても、思想を遺せば、将来にいたって事業をなすことにつながる。
しかし、これとて、誰でもが文学者になったからといって、あまり社会に益をなすものでもなく、誰にでもできるものでもない。

それならば、どうしたらよいか。
世の中を、失望でなく希望と信じ、悲嘆ではなく歓喜であるという考えを生涯として実行し、その生涯を世の中の贈り物としてこの世を去る。
その生涯は、けっして五十年や六十年の生涯ではなく、水のほとりに植えたる樹のように、だんだん芽を萌き枝を生じてゆくものである。

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