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あの日の東京の写真(2011年3月11日から10年)

2021年03月11日 00時05分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
10年が経ちました。

さかんにテレビなどでは「節目」と言われていますが、どうなんでしょう?

ほかにも思うところがたくさんあり、一度は書いてみようと試みたのですが、取り留めがつかないのでやめました。

あの巨大地震とそれに伴う原発事故で影響を受けたものが多すぎて大きすぎて。

今回は、
それに比べると、かなり小さい細かい一個人の、僕が発災当日と翌日の東京を撮影した写真を未公開だったものも含め公開します。


発災時、僕は西新宿の職場(24時間営業の店舗)で仕事をしていました。

夕方、新宿の鉄道会社の各駅へ向かい運行状況を確かめに行きました。
この時点で初めて東京の混乱具合と東北で何が起こっているかを正確に知りました。

仕事を23時30分すぎに終え、それほど遠くはないですが、当時住んでいた千駄ヶ谷にあるマンションまで歩いて帰りました。

シャッターは20回ほど切っていますが公開できるものをすべて載せます。
(写真は撮影した順)


最初に撮影した三井ビル。右は新宿警察署。


大ガード交差点(小滝橋通り側)より新宿駅西口方面を撮影。


気仙沼の状況を伝えるユニカビジョン。

アルタ前。しばらく足を止めました。

アルタビジョンも気仙沼の状況を伝えていました。

アルタ前には多くの人々がアルタビジョンに釘付けになっていました。

記憶では伊勢丹新宿店近くの公衆電話。
並んでいるわけではないですが、ひとりが終われば、すぐ次のひとりが使い始め、ほぼ埋まっている状況が続いていました。(この写真から日付が変わっています)

新宿マルイ。すでに12日を休業にする旨の告知。

当時住んでいたマンションの帰宅直後の状況。
この時点では冷蔵庫のドアは閉まっていますが、玄関に入った時点では開いていて思わず閉めた次第です。
冷蔵庫の中に入っていたものが少し出てきて床に落ちています。
洗濯機の上に置いていたランドリーバスケットも床に。
わかりにくいですが、冷蔵庫の上に置いていた炊飯器がキッチンのシンクの中にひっくり返っています。

テキトーに積んでいたCDの山は崩れていました。


12日夕方ごろ。マンション通路から東京タワー・六本木ヒルズ方向を撮影。
街自体が青ざめて生気さえも失っているように感じます。

おそらくこの写真を撮影したあとに、福島第一原発1号機の水素爆発を知ることになったはずです。

以後、東京の街は広告の照明を点灯しないなど生活に直接必要のない電気の使用が自粛され異様な雰囲気が続きました。
また、東京の中心部を除いて輪番停電もありました。
これらはすべて原発事故に起因するものです。
もちろん、それだけでは終わりませんでした。
その後のことも皆さんがご存知のとおりです。

この約3か月後。
僕は東京から大阪に戻ります。


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