四天王寺では、お彼岸の日に石鳥居に夕日が沈みます。その夕日を拝みに四天王寺に行って来ました。
四天王寺が建立されたころは、西側には難波津があり、それを見おろすような形で鳥居が建てられています。確かに今でも鳥居の前に立って西側を見れば、急坂(逢坂)になっているのがわかります。

平安時代の後期から、浄土教の西方極楽浄土信仰と重なり、四天王寺の西門は「日想観(じっそうかん)」の聖地となったそうです。(「日想観」とは、彼岸の中日に石鳥居の向こうに沈む夕日を拝し、極楽浄土を観想する行です)鳥居は、極楽浄土と現世の結界であり、大門は極楽浄土へ通じる門ということで「極楽門」と呼ばれるようになったそうです。

その極楽門での「日想観」に参加しながら夕日を拝ませていただきました。およそ500人ぐらいの老若男女が「日想観」の勤行に参加していました。西方を望みながら、私もしっかりお経をあげさせていただきました。

そうしているうちに、いよいよその時がやってきました。それでは、みなさまも石鳥居の向こうに沈む夕日をごらんください。
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本当に西方に極楽浄土がありました。合掌。
四天王寺が建立されたころは、西側には難波津があり、それを見おろすような形で鳥居が建てられています。確かに今でも鳥居の前に立って西側を見れば、急坂(逢坂)になっているのがわかります。

平安時代の後期から、浄土教の西方極楽浄土信仰と重なり、四天王寺の西門は「日想観(じっそうかん)」の聖地となったそうです。(「日想観」とは、彼岸の中日に石鳥居の向こうに沈む夕日を拝し、極楽浄土を観想する行です)鳥居は、極楽浄土と現世の結界であり、大門は極楽浄土へ通じる門ということで「極楽門」と呼ばれるようになったそうです。

その極楽門での「日想観」に参加しながら夕日を拝ませていただきました。およそ500人ぐらいの老若男女が「日想観」の勤行に参加していました。西方を望みながら、私もしっかりお経をあげさせていただきました。

そうしているうちに、いよいよその時がやってきました。それでは、みなさまも石鳥居の向こうに沈む夕日をごらんください。















本当に西方に極楽浄土がありました。合掌。