興津宿にやって来ました。
榛原を出てからしばらく鉄道の駅はありませんでしたが、興津にはJR名松線(めいしょうせん)の駅がありました。
伊勢奥津駅です。車止標識が見えるように、ここが名松線の終点です。
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名松線は、松坂と伊勢奥津を結ぶ路線です。当初は、名張と松坂を結ぶ予定だったので、名松線と名付けられました。
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赤字路線として廃線の危機もありました。また、2009年台風により甚大な被害を受けましたが、沿線自治体の支援により2016年に再開しました。地元の人々に支えられているのがわかります。列車も撮りたかったのですが、なにぶん本数が少なくチャンスがありませんでした。
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古いコンクリート製の給水塔がありました。蒸気機関車が走り、にぎやかだった頃がしのばれます。
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伊勢本街道のパンフレットをもらったので、旧街道を少しだけ歩いてみました。
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日用百貨とあります。「タバコ」の看板が歴史を感じさせます。
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パンフレットによれば、「奥津はお伊勢参りの宿場町としてたいそう繁盛した。」そうです。
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「昭和初期は材木の出荷で活気に満ち、30年頃までは映画館・料理旅館・芝居小屋などが軒を並べ繁栄を極めた。」とありました。
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今は往時の賑わいはありませんが、雰囲気は感じることができます。
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この先、もう少し家並みが続き、やがて難所の飼坂峠(かいさかとうげ)へと向かいますが、私は車で国道のトンネルを抜けて行きます。
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飼坂トンネルを抜けると、旧街道が見えました。左が走って来た国道368号線で、右に見えるのが旧街道です。
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道の駅美杉を過ぎたあたりから、国道368号線が一段と狭くなって来ました。「大型車通行不可」の看板もあったのですが、そのまま進むと、いよいよ酷道になってしまいました。Uターンもできないので進むしかありません。途中で2台の車とすれ違いましたが、対向車がバックしてくれたので助かりました。この峠は櫃坂(ひっさか)といって、当時から難所の一つだったようです。
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15〜20分だったのでしょうか。長く感じましたが、なんとか酷道を脱出することができました。もう二度と走りたくありません(笑)
このあたりは上仁柿という所です。
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このまま伊勢をめざしてもよかったのですが、今回は松阪から伊勢自動車道で帰路につきました。
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伊勢へは現在は車で日帰りができますが、江戸時代は、大阪から往復で8日〜10日を要したようです。自分の足だけで山越え谷越え、昔の人たちはよく頑張ったものです。
また、「抜け参り」の時には、沿道の人々の援助もあったようで、そうした人たちの支えによって伊勢参りができたようでした。
私も伊勢本街道を歩きたいと思うのですが、今回下見をしてみて、ちょっと難しいなと感じました。
※訪問日 2020.1.19
榛原を出てからしばらく鉄道の駅はありませんでしたが、興津にはJR名松線(めいしょうせん)の駅がありました。
伊勢奥津駅です。車止標識が見えるように、ここが名松線の終点です。
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名松線は、松坂と伊勢奥津を結ぶ路線です。当初は、名張と松坂を結ぶ予定だったので、名松線と名付けられました。
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赤字路線として廃線の危機もありました。また、2009年台風により甚大な被害を受けましたが、沿線自治体の支援により2016年に再開しました。地元の人々に支えられているのがわかります。列車も撮りたかったのですが、なにぶん本数が少なくチャンスがありませんでした。
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古いコンクリート製の給水塔がありました。蒸気機関車が走り、にぎやかだった頃がしのばれます。
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伊勢本街道のパンフレットをもらったので、旧街道を少しだけ歩いてみました。
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日用百貨とあります。「タバコ」の看板が歴史を感じさせます。
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パンフレットによれば、「奥津はお伊勢参りの宿場町としてたいそう繁盛した。」そうです。
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「昭和初期は材木の出荷で活気に満ち、30年頃までは映画館・料理旅館・芝居小屋などが軒を並べ繁栄を極めた。」とありました。
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今は往時の賑わいはありませんが、雰囲気は感じることができます。
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この先、もう少し家並みが続き、やがて難所の飼坂峠(かいさかとうげ)へと向かいますが、私は車で国道のトンネルを抜けて行きます。
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飼坂トンネルを抜けると、旧街道が見えました。左が走って来た国道368号線で、右に見えるのが旧街道です。
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道の駅美杉を過ぎたあたりから、国道368号線が一段と狭くなって来ました。「大型車通行不可」の看板もあったのですが、そのまま進むと、いよいよ酷道になってしまいました。Uターンもできないので進むしかありません。途中で2台の車とすれ違いましたが、対向車がバックしてくれたので助かりました。この峠は櫃坂(ひっさか)といって、当時から難所の一つだったようです。
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15〜20分だったのでしょうか。長く感じましたが、なんとか酷道を脱出することができました。もう二度と走りたくありません(笑)
このあたりは上仁柿という所です。
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このまま伊勢をめざしてもよかったのですが、今回は松阪から伊勢自動車道で帰路につきました。
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伊勢へは現在は車で日帰りができますが、江戸時代は、大阪から往復で8日〜10日を要したようです。自分の足だけで山越え谷越え、昔の人たちはよく頑張ったものです。
また、「抜け参り」の時には、沿道の人々の援助もあったようで、そうした人たちの支えによって伊勢参りができたようでした。
私も伊勢本街道を歩きたいと思うのですが、今回下見をしてみて、ちょっと難しいなと感じました。
※訪問日 2020.1.19