国道169号線を、桜井から北側に進むと大神神社の大鳥居があり、さらに進むと右手に美しい古墳が見えてきます。これが箸墓(はしはか)古墳です。
箸墓古墳は、宮内庁が孝霊天皇の皇女ヤマトトトヒモモソヒメの墓として管理している、墳丘長が280メートルもある大きな前方後円墳です。
(箸墓古墳と三輪山)
この古墳が、あの「魏志倭人伝」に登場する卑弥呼の墓ではないかと考えられているのです。
そう考えているのは、古墳研究の第一人者、白石太一郎さんです。『天皇陵古墳を考える』(学生社 2012年)によると、 「「日本書紀」には、ヤマトトトヒモモソヒメが三輪山の神に仕えた巫女(みこ)であったことが書かれている。この巫女であったということから、卑弥呼ではないかと、考える学者もいたが、当時(大正時代)の古墳研究のレベルでは、箸墓古墳の造られた時期が不分明なため、仮説の域を出なかった。ところが、戦後の研究の成果によって箸墓古墳の造営年代が明らかになり、3世紀の中葉過ぎと考えられるようになってきた。卑弥呼は実在した人物であろうと考えられていて、没したのは247年と考えられる。それでも、造営年代と没年の間には、10年近くの差がある。しかし、大規模古墳造営に10年近くの年月を要したことを考えれば、ほぼ一致する。残念ながら、考古学では墓誌でも出ない限り確定はできない。ただ、これまでの話から、その蓋然性(がいぜんせい)は大きいと考える。」 と述べられています。
この古墳の中に卑弥呼が眠っているのかと考えると、遠い存在であった卑弥呼がぐっと近づいた感じがしませんか。
箸墓古墳の近くに巻向遺跡(まきむくいせき)があり、ここも最近の発掘調査などから、邪馬台国の遺跡ではないかと考えられている所です。そんなことを考えると、箸墓古墳が卑弥呼の墓である可能性は大きいですね。
(山の辺の道から見た箸墓古墳)
歴史のロマンを大いに感じさせる箸墓古墳のお話でした。
おまけです。箸墓古墳のすぐ前に、三輪そうめんの山本があります。おいしいそうめんが食べられますよ。(冬場はにゅうめんです。)少し離れた所にある池利もおいしいですよ。
(にゅうめんと柿の葉寿司 4.11)
(山本のすぐ前に箸墓古墳が見えます)
箸墓古墳は、宮内庁が孝霊天皇の皇女ヤマトトトヒモモソヒメの墓として管理している、墳丘長が280メートルもある大きな前方後円墳です。
(箸墓古墳と三輪山)
この古墳が、あの「魏志倭人伝」に登場する卑弥呼の墓ではないかと考えられているのです。
そう考えているのは、古墳研究の第一人者、白石太一郎さんです。『天皇陵古墳を考える』(学生社 2012年)によると、 「「日本書紀」には、ヤマトトトヒモモソヒメが三輪山の神に仕えた巫女(みこ)であったことが書かれている。この巫女であったということから、卑弥呼ではないかと、考える学者もいたが、当時(大正時代)の古墳研究のレベルでは、箸墓古墳の造られた時期が不分明なため、仮説の域を出なかった。ところが、戦後の研究の成果によって箸墓古墳の造営年代が明らかになり、3世紀の中葉過ぎと考えられるようになってきた。卑弥呼は実在した人物であろうと考えられていて、没したのは247年と考えられる。それでも、造営年代と没年の間には、10年近くの差がある。しかし、大規模古墳造営に10年近くの年月を要したことを考えれば、ほぼ一致する。残念ながら、考古学では墓誌でも出ない限り確定はできない。ただ、これまでの話から、その蓋然性(がいぜんせい)は大きいと考える。」 と述べられています。
この古墳の中に卑弥呼が眠っているのかと考えると、遠い存在であった卑弥呼がぐっと近づいた感じがしませんか。
箸墓古墳の近くに巻向遺跡(まきむくいせき)があり、ここも最近の発掘調査などから、邪馬台国の遺跡ではないかと考えられている所です。そんなことを考えると、箸墓古墳が卑弥呼の墓である可能性は大きいですね。
(山の辺の道から見た箸墓古墳)
歴史のロマンを大いに感じさせる箸墓古墳のお話でした。
おまけです。箸墓古墳のすぐ前に、三輪そうめんの山本があります。おいしいそうめんが食べられますよ。(冬場はにゅうめんです。)少し離れた所にある池利もおいしいですよ。
(にゅうめんと柿の葉寿司 4.11)
(山本のすぐ前に箸墓古墳が見えます)