緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

子育て講演会

2009年01月29日 17時46分58秒 | 子育て

平成21年1月29日(木)のち午後から

昨日に引き続き朝方は佳い空模様でしたが、天気予報の通り下り坂で

午後から雨が降り始めました。

日中の気温は3月並に上がってきて、15℃でした。

今日は、お忙しい中、多数の方がご来園くださいました。

 母の会主催の『子育て講演会』

そして『第7回オヤジ講座』

それに『第237回子育て教室』として

親育ち・子育ち『子育てセミナー』講演会開催

午前9時40分:受付開始、10時:開会 2階ホールでありました。

講演テーマは『子育て~親育て』と題して、ご自身の貴重な体験を

講師の藤井美由紀先生からお伺いしました。

(福津市在住、二男一女の母親、作家活動やヘルパーやボランティア活動他)

年齢不詳で、姫地蔵の作家として有名な福岡県下で ご活躍中の方です。

丸い顔にピンク色のほっぺ。

ニッコリほほ笑む「姫地蔵」の色紙や絵はがきが、静かな人気を集めている。

作品が展示されている福津市宮司地区の宮地嶽神社境内、

民家村の「くらしの館」を訪れた人は

http://www.miyajidake.or.jp/midokoro/minkamura/index.html

口々に「癒やされる!」と足を止める。

心の潤いを与える不思議な魅力があるようだ。

 作者は同地区に住むホームヘルパーで、

「お客さんから姫地蔵にそっくりと言われる」

という藤井美由紀さん(昭和17年生まれ)。

最も気を使う姫地蔵の長く大きな目は一筆で描き、

愛らしい笑顔のチャームポイントになっている。

 姫地蔵に添えられたユーモアあふれる言葉も味わい深い。

「シャネルよりシャボンの匂(にお)うママが好き」

「墓参り行かぬ理由に千の風」

「輪っはっは話っはっは和っはっは」

などさまざま。

中でも一番人気は

「すてきな出逢(あ)いをありがとう」。

 初めて訪れ、絵はがきを買った北九州市八幡西区の

帆足宏子さん(60)は「絵を見てつい顔がほころんだ。心が和む」。

同市若松区の塩屋支満夫さん(67)も

「言葉を見るだけで楽しい」と話す。

通信教育で独学で勉強した習字と水墨画の筆遣いを生かして、

藤井さんが2004年から描き始めた姫地蔵は、口コミで人気が広がった...

http://tosirou.asablo.jp/blog/2008/06/15/3579126

 ※ 先生の作品が、園の玄関とホールに飾ってあります。

在園児の保護者の方々や、地域の住民の方々も熱心に集中して

拝聴していただきました。

http://www.h3.dion.ne.jp/~haney/honey/honey-gallery/etegami/index.htm

お話の中味の一部を以下、ご紹介。

最初に、私が、

毎年『子育て文集』に寄せている駄文の中から

白銀も黄金も玉もなにせむに 

 まされる宝 子にしかめやも (山上憶良)

この万葉集の歌を採り上げてくださり、声高らかに朗詠。

この歌を愛していたご自身のお父様との思い出を語りつつ、

自己紹介をしてくださいました。

           

大分県豊後高田市で誕生、二男一女の母。

高校生までは、父方の祖母と両親と7人の兄弟と一緒で10人家族で

助け合って暮らしていたそうで、兄弟で家事の手伝いもしっかりと分担して

子どもたちもそれぞれにゆたかな自然の中に逞しく育っていたそうです。

そのうちに八幡製鐵に勤務することになった父とともに

北九州市八幡東区に引っ越して来たそうです。

最初は、台良町や祇園町に住んでいた。

その後24歳でお見合い。

夫君は熊本ご出身。

(同じ八幡製鐵に勤務するご縁でお見合い結婚)

ふりだしは、陣山の製鐵アパートで新婚生活。

1ヶ月150円の家賃だった。但し共同の台所・共同のトイレで、

風呂が無いので 銭湯に2年間以上通ったそうです。

その当時は、陣山は空気が汚れていたので

洗濯物は煤煙で汚れるため絶対に外には干せなかった。

当時、長男3歳、次男1歳だった。

ところが、大気汚染がひどかったので、長男が5年目に喘息に罹った。

そこで、空気の良い津屋崎へ引っ越したのです。

玄界灘に沈む雄大な夕日を見ながら

ここではスクスクとおおらかに子どもたちが成長した。

子どもは、あまりに迫力のある美しい夕日を海辺で見ながら

「コワイ!」と言ったことも…

   < ここで 『津屋崎讃歌』を謡ってくださった。>

そのとき 昭和45年に、3人目の子ども(娘さん)を授かったそうです。

夫君は新日鐵へ通勤、甲乙丙の3交代勤務になり、

日中でも睡眠をとらなくてはならない日も ちょくちょくあったので、

子どもたちをぐずらせないように、神経を使っていたそうです。

その頃は、宮地嶽神社の年中行事が楽しみになり、近隣の方々との

ふれあいで、子育てものびのび出来た。

乳飲み子と、3歳と5歳の幼児をかかえて…

度々男の子が悪戯したり、ご近所に迷惑をかけることがあったが、

まわりの方々が、あたたかく見守ってくださった。

また、近隣の方々の間では、増改築のブームになり

工務店に依頼して、どんどん工事し始めたが、手元が不如意のため

夫君が日曜大工で、ブロック塀を築き、車庫も、犬走りも、ベランダも手作り。

その当時を振り返ってみると

次第次第に 3人の子育てに疲れて

所謂 ノイローゼ気味になっていたそうです。

下関に住んでいる兄弟3人が心配して、

顔色が悪い…一体どうしたの?と様子を見に来てくれた。

とにかく

「早く!早く!」と子どもをせき立てて

そんなに慌てなくてもいいのに目を吊り上げ

「早く○○しなさい!」を連発し、

朝から険しいこわい顔。

持ち前の笑顔が全然消えていた。

「ゆっくりしなさい。」

「あわてなくていいのよ。」

「味わって食べなさい。」

と、言うべきでした…と反省。

  過ぎ行きし 時をたぐりて おさなごの 

    わらべの顔が 今に重なる。

「早く早く!」は、誰も一時期 ついつい言い勝ちな禁句ですが、

「味わって食べなさい。」

となぜ言えなくて、

「早く食べなさい!」

とばかり言ってしまったのか… とても後悔していると述懐。

そんなにあせって あわてることはなにも無かったのです。 

             

その頃 誘われ勧められて 

地元の活動に参加するようになって来た。

お母様は、子どもを連れてお寺参りに連れて行ってくれていた。

そして趣味は、和歌を作ることだった。

その影響を受けて、自分も… 自然に、アドレナリンが湧いて

ひとの役に立つことをしたいと

幼稚園の母親学級と地域の公民館活動へ出かけ初めて、

月に1~2回講演会や料理、和裁教室、植木園芸教室、習字教室、

それに町の郷土史編纂にも参加。

1年間学んだことを原稿用紙4枚に書き綴り、最後に学ぶ仲間を代表して

町長に謝辞を述べたのだそうです。

「ものを学ぶということは、遠ざかる謙虚な心を思い出させてくれる。」

「学級でふれあう友人や同志のきずなは、全く大きな収穫でした。」

など…感謝でいっぱいの気持ちを、そっくりそのまま、率直に述べた。

それが広報に掲載されて34歳の自分は

一躍、皆様に声をかけていただける存在になっていました。

それがご縁で、町会議員さんが2人、

きたる町長選挙の 某候補のうぐいす嬢にとの依頼にやって来た。

母方の伯父が中津で市会議員をしていた。

その時20歳で 初めてF氏のうぐいす嬢を務めた経験があったが、

全く知らない人の選挙応援をするのは最初やや躊躇した。

とにかく依頼されたからには 自分への信頼を裏切らないように、

そのU氏になりきってうぐいす嬢をしようと決心し、

「あなたの力で、あなたの清き一票で、…

 …お忙しい中、わざわざご声援ありがとうございます。」 

結局そのU候補は、3期町長職をつとめたのだそうです。

なんとその次のO氏の町長選のうぐいす嬢も依頼されてつとめた。

そして、仕出し弁当屋の販売の手伝いやパートもしたり、

いつも心の中には次の思いがあったそうです。

 わたしが幸せであることの、絶対的な条件、

それはあなたが幸せでいてくれること。

 そうこうするうちに、58歳の時に町会議員の補欠選挙があり、

周りの皆さんから是非立候補を…と推薦されて、

公示3日前に一念発起。

立候補し一週間の選挙運動。

兄弟全員が選挙事務所に駆けつけて応援し、

1574票を獲得したが、残念ながら落選。

だが、この間、応援してくださった方々全員に何としてもお礼の気持ちを届けたいと 

色々と考えた挙句に、誕生したのが、この『姫地蔵』の絵だったのだそうです。

 小学校2年生の頃から目が悪くて、メガネをかけている。

「ひんがら目」 でもあり、そのことが気になり 内気で恥ずかしがりや。

幼児期も寡黙で、いつも黙り込んでぬりえばかりしていた。

暇があると、時間つぶしにぬり絵をしていた。

カラフルで明るい色使いが好きだった。大人になったら絵描きになると決心。

母親がいつも褒めてくれていた。

ある日、コンクールに絵を出す時に、代表に選ばれた。その絵は『金賞』だった。

緑ヶ丘・第二幼稚園は、『心を育てる』情操教育に力を入れている園と

聞いていたが、一歩足を入れて、本当に他の園とは全然雰囲気が違い

情操教育が熱心に出来ていて素晴らしい成果が上がっていることが

直ぐによくわかりました。

子ども達には、よい環境が大事ですよ。

私は、油絵を習いに行きたいと思いましたが、お金が無いので

新聞配達や牛乳配達のアルバイトをして、

1本800円の油絵の具を12本買いました。

でも、経済的に続かず、結局油絵は止めました。

でも、絵描きになる夢は持ち続けていました。

そこで、お金がかからない水墨画を通信教育で独学で学びましたから、

選挙の後も直ぐに絵手紙の方法で絵が描けるようになっていました。

ある人のアドバイスで、画題を決めました。

故郷大分豊後高田市は、仏の里だから、『お地蔵さん』を描き始めました。

ある人は、1000枚描いたら、きっと売り物になる…と予言。

津屋崎の町のおまつり『よっちゃんさい』というのがあり、

その時、田中薬局さんが、当時、『津』のつく所に薬を卸しに来られ、到る所に

金の看板が何枚もあったが、そこに絵を展示してくださった。

徐々にお客さんの口コミで『姫地蔵』の絵を愛好する人が増えてきた。

宮地嶽神社は、商売の神様で、年間とおしてイベントがあり、特に

4月1日~10日の桜まつりや

6月の花菖蒲まつりは、売店に『姫地蔵』の絵を置いてもらい、喜ばれている。

あるファンの方が、以下の歌を藤井先生にお礼の印に送られたそうです。

  花菖蒲 宮地嶽(みやぢ)で出会う 姫地蔵 

             ちいさな愛の こぼれるところ

 

最後に、これだけは憶えて帰って欲しい言葉 を唱和した。

  花よりきれいな 母の愛

  咲いてしぼまぬ 母の愛

  鳥の声より 優しくて

  いつも変わらぬ 母の歌

  星のごとくに 輝いて

  行く手を照らす 母の顔

そして、参考資料として、全員にお土産の手描きの『姫地蔵』の絵と、

 『親も子も明るく伸びる12章』をくださった。

1)毎日の親を手本に子は育つ

2)育ちゆく姿を知ってよい指導

3)きまりよい暮らしがつくる 丈夫な子

4)むつまじい 家庭の中の 明るい子

5)親の愛 おぼれず かれず 子に注ぎ

6)こごとより ほめて 認めて 励まして

7)感謝する 心豊かな子に育て

8)親と子の 心を結ぶ 話し合い

9)能力に 合った期待で 子を伸ばし

10)伸びる子と 共に学ぶ 父と母

11)両親も 子ども心で仲間入り

12)子は十色 みな それぞれの色に咲き

   ~千の蔵より子は宝~

 

    今後の子育て教室の予定は…?

2月12日(木)第238回 自尊感情を高めましょう

2月23日(月)第239回 (今まで参加した方のみで)野菜中心の本格簡単中華料理教室

                韓 紅 先生

2月26日(木)第240回 一年を振り返って

                西村倭子(にしむらしずこ)先生の講演会

                『子どもと心 つないでいますか』ビデオ視聴学習

3月12日(木)第241回 (今まで参加した方のみで)茶話会

どうぞ、学びたい方は、誘い合ってご参加ください。  

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 年長組さん【防火豆まき大会... | トップ | 新入園保護者説明会がありま... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

子育て」カテゴリの最新記事