緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

ロシアのソチでパラリンピック開会

2014年03月08日 01時34分24秒 | Weblog

平成26年3月8日(土) 


未明、パラリンピック開会式が行われました。


パラリンピック(英語: Paralympic Games)は、国際パラリンピック委員会


(英語: International Paralympic Committee、略称:IPC)が主催する


主に肢体不自由の身体障害者(視覚障害を含む)を対象とした競技大会の中で


世界最高峰の障害者スポーツ大会。


 


2014年3月7日から16日まで、


ロシア・ソチでオリンピックの会場にて開催される予定の


冬季パラリンピック第11回大会です。 


開会式が始まりました。


 


ロシア国旗入場!


8人のレジェンドが国旗を掲げて入場。


それを、迎えるのは、プーチン大統領。


 


チャイコフスキーのバレー曲『くるみ割り人形』から『雪のおどり』の曲は、


グラスに水を入れて音程を作り演奏され、クリアでエレガントな響きが


曲の感じにピッタリでした。それに合わせて優雅にバレーを踊る子ども達。


 


選手入場。


それぞれの国旗を手に中央部の坂から上がってきて


各国の選手の笑顔が弾けている。


初めて参加する国もかなり有ります。


冬季には今まで参加者がいなかった赤道直下の国からも!


 


そこに一人、ロシア軍との紛争勃発で参加が危ぶまれていた


ウクライナの選手が入場すると 同時にいきなり


大きな歓声があがりました。


 


それぞれの国旗の色にちなんで、下がったイルミネーションの色が変わります。


 


最後から二番目が日本、


3大会連続出場の太田渉子(日立ソリューションズ)


が旗手となり、元気に行進した。


 


最後は開催国ロシアが入場。


 


選手達は、全員着席しました。


 


すると、真っ暗な氷の世界になり、静かな湖に穴を開けて釣りをする人たち。


ユリア・サモイロワさんが歌う歌に合わせて、95人の車椅子で踊る男女。


 


空中を飛びながら羽ばたく紅色の火の鳥たち。


地上の人は渦巻きになり、最後は、ベガサスが現れ、


涙が溢れる歌姫。


 


1948年、ロンドンで、最初の車椅子での競技が始まりました。


私は、炎です!


 


1960年ローマオリンピックの後から、同じ施設を使って


パラリンピックが開かれるようになってきました。


 


バリアフリーな街づくり、ソチで


勇気、平等、努力、


ボランティアの皆さんの献身的な努力、


ありがとうございました!


 


国際パラリンピック委員会のクレイバン会長のスピーチ


変化の触媒。誇り高い人たち。


平等の意識で、選手はフェアプレイを!


 


パラリンピックの開会宣言と同時に、白いパラリンピック旗


心と、肉体と、魂の象徴が、一緒に入場。掲揚。


さて、その後は、


大人数で足並みをそろえて行進などをする「集団行動」を


ロシアのダンサーが披露。


 


これは、清原伸彦日体大名誉教授による指導で


126人が一糸乱れぬパフォーマンスで大観衆を魅了した。


 開会式の前半では赤、青、白の衣装をまとって


ロシアの三色旗を作り、鮮やかなウエーブなどを演じた。


後半では赤、緑、青の曲線を描き、


パラリンピック旗を作って 大きな拍手を受けた。


 素晴らしい!


 


選手宣誓、審判宣誓、コーチ宣誓。


民族衣装のさまざまな民族代表の人々の合唱。


 


コサックダンス、結婚式の祝宴が始まりました。


 


あら、嵐?


視線の方向に、巨大な44メートルもある船、平和号という名前の船。


未来の象徴。


 


「一緒に!」という、言葉が、手に持ったカードで


最後は、パラリンピックの文字やシンボルマークが浮き上がった。


 


そして、聖火入場。


アレクセイ・アシャパートスさん。聖火台に灯った明るい聖火!


同時に無数の花火が、会場の内外に華やかに打ち上げられました。


 


 


 冬季パラリンピックの開会式が終わりました。


11回目を迎える障害者スポーツの冬の祭典が開幕。


冬季としては過去最多となる45カ国の約550人が選手登録しており、


16日まで、5競技72種目で熱い戦いを繰り広げる。


 


 日本からはアルペンスキー、ノルディックスキー距離、


バイアスロンの3競技に20人の選手が参加予定。


10個以上のメダル獲得を狙う。


 


 2月のソチ五輪と同じ臨海部会場のフィシュト五輪スタジアムで行われた開会式。


日本選手団の旗手太田選手は


 式典後、インタビューに答えて、以下のように


「スクリーンに映し出される自分自身の姿を見て、すがすがしさと背筋が伸びる思いをした」


と感想を語りました。


太田選手は、さっそく、8日のバイアスロン女子6キロ(立位)に登場。


 


 8日はアルペンスキーの男子滑降(座位)に選手団主将の森井大輝


(富士通セミコンダクター)が出場。


男子座位は、昨季W杯総合優勝を果たした鈴木猛史(駿河台大学)ら


日本人選手が世界をリードしており、初日からメダル獲得の期待が高まる。


 


 森井選手は


「選手一人ひとりが最高のパフォーマンスを発揮できるよう、


チーム一丸となって戦っていきたい」と語った。


 


一方、ロシア軍が圧力をかけている最中、大変緊張状態の続くウクライナは、


南部クリミア半島でのロシアの実効支配に抗議するため、


選手団の出場を見送る方針を示していたが、


国際パラリンピック委員会(IPC)の説得が功を奏し、


開幕日になって、急遽(きゆうきよ)、参加を決定した。


23選手を登録しているが、開会式で行進したのは1人だけ。


7日の会見で、


ウクライナパラリンピック委員会のワレーリー・スシュケビッチ会長は


「もしロシアの軍事侵攻がエスカレートすれば、われわれは大会から去る」


とも語った。


 


 どうか、無事にパラリンピックが、オリンピック同様に


皆様の最高の注目の的となり、


益々、意識を変えるきっかけとなるように願っています。


 


 IPC=国際パラリンピック委員会のフィリップ・クレイバン会長が、


NHKのインタビューに答え、以下のようにおっしゃっています。



「パラリンピックが世界を変化させることを
 ロンドン大会に続いてソチ大会が明確にする」


と述べ、
大会が社会に与える影響を強調しました。

20140307_pararin0001.jpg




Q.1 クレイバン会長は車いすバスケットボールのパラリンアンであり、
    2001年から現職にあります。
    パラリンピックはどのように変化していますか?


2001年末に会長に就任してからをふり返ると、
私にとってのキーワードは、常に「スポーツ」でした。
私の頭の中には「障害」という言葉は一度も存在したことがなく、
その言葉を使う必要はありませんでした。

パラリンピックとはスポーツであり、皆アスリートなのです。
それこそ、この12~13年間、私達がやってきたことです。
このパラリンピックの位置づけは、
ロンドン大会が収めた大成功と今回のソチで 明確になっています。




Q.2 パラリンピックが社会に与える影響とは?


社会は劇的に変化したと思います。



それまで、個々の「機能しない」部分に注目していた人たちが、
一度パラリンピック競技に触れれば、
「機能する」部分に気づかせることができます。



パラリンピック選手にはその力があるのです。



「ネガティブ」な見方から「ポジティブ」な見方へ、
変化が一瞬にして起こる
のです。




Q.3 ソチの何が変わったか、何が変わってほしいでしょうか?
   ロシアの人たちはパラリンピックの競技レベルの高さに驚くでしょう。
オリンピックと違いがなく、
オリンピック選手もパラリンピック選手も、
同じアスリートであることが分かると思います。

さらに、そのスポーツから得る喜びが見る人に伝わり、
人々の考えが変わり、
ついには国の考えまでが変わるのです。



ネガティブからポジティブな方向に変化するのです。

組織委員会とロシア政府は、
バリアフリーの環境を作り出すことに力を入れています。
その結果、社会に属する全ての人々が隔たりなく移動できるようになります。
競技会場やソチの街を訪れると、誰もが感じることですが、
ここではバリアフリー化がすでに達成されています。
大会後はそうした動きが、ロシア全土に広がるでしょう。
ロシアは世界のなかで圧倒的に国土が広い国です。
そのような国の政府が法律を整備して、
バリアフリー化を確約したことは非常に画期的なことです。




Q.4 2020年の東京大会まで6年です。


すでに日本では、考え方の面で劇的な変化が表れています。
パラリンピックがこれまでの福祉を司る省庁ではなく、
スポーツを司る省庁の管轄下になることも変化の一つです。
もちろん、過去に福祉政策のもと、
パラリンピックスポーツが発展したきたことも忘れてはいけません。

こうしたことから、東京で開かれるパラリンピックは、
最高のものになると確信しています。
ソチと同じように、
日本という国に大々的な変化をもたらすことは間違いありません。

東京が2020年大会の開催都市に決まる前に、
日本パラリンピック委員会は、
2030年に向けてのビジョンを打ち出していますが、
2020年の東京大会がその変化を一気に加速させる、
素晴らしい手段になることを願います。



 


                 


2020年東京五輪まで、あと6年になりました。 


皆様、ワクワクしながら、子ども達の未来の可能性を想像しましょう。


 


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