今夜NHKで放送された「その時歴史が動いた」を見ました。
⇒『その時歴史が動いた』公式サイト…バックナンバー平安京誕生
今回は 平安京誕生~千年の都に秘められた苦闘~でした。
◆その時: 延暦13(794)年11月8日
◆出来事: 桓武天皇が新しく開いた都を「平安京」と名づける
平安京誕生といえば、通常、平安京遷都が行われた日として現在の時代祭の日である10月22日を思い浮かべます。
しかし番組公式サイトによると、上記のとおり桓武天皇が「平安京」と命名した11月8日が“その時”として番組が構成されていました。
平安京遷都までの流れとして、長岡京について時間が割かれていたのは嬉しかったです。
都の造営についても興味深かったです。
私は恥ずかしながら長岡京についての知識も皆無なので。
桓武天皇がおそれた祟りは、同母弟の早良親王だけでなく、父・光仁天皇の皇后であった井上内親王や廃太子された他戸親王も含まれたのでは。
早良親王はシロじゃないかと思うのですが、実際はどうだったのでしょう。。。
御霊信仰まで話が及んで上御霊神社や下御霊神社、崇道神社が登場するのではないかと思っていましたが、さすがにそこまで時間はなかったようです。
今、ググってみたら記録の上で初めて神泉苑で御霊会(ごりょうえ)が行われたのが清和天皇の時代 貞観5年(863年)5月20日だそうです。
桓武天皇の死後、だいぶあとになってからなのですね。
番組を見ながら、桓武天皇の衣裳が気になってしょうがなかったです。
ヤタガラスとカメ、北斗七星、四神・・・。
どういったことを暗示させる目的で作られたのでしょう。
【12月24日追記 ここから】
webサイト『京と陰陽道楽』の くたくたさん、webサイト『御匣殿』の しらゆきさんより
番組で桓武天皇が着ていた衣裳が礼服(らいふく)であることを教えていただきました。
どうもありがとうございました
とても嬉しいです。
下記の参考になるサイト様についての情報は、くたくたさんよりお知らせいただきました。
重ねて感謝申し上げます。
===============
NHKクローズアップ現代 放送記録(2002年4月8日放送分)
「再現 キトラ壁画」のページ
●番組で紹介した資料について
(1)御物 孝明天皇礼服(らいふく)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2002/0204-2.html
小池笑芭さんのwebサイト『源氏の部屋』内、
明さんによる「帝の装束 レポート」(5)袞冕(こんべん)
http://evagenji.hp.infoseek.co.jp/0402nisijin007.htm
===============
【12月24日追記 ここまで】
平安京の起こりについて詳しい方、ぜひぜひお教えくださいませ。
また番組の感想などもお聞かせください。
個人的に、桓武天皇の母である高野新笠(たかののにいがさ)自身とそのお墓、桓武天皇の生涯とその陵墓にも興味を持っています。
また、聖武天皇の皇女で光仁天皇の皇后となった井上内親王についても。
光仁天皇と井上内親王との間に生まれた皇女・酒人内親王をキサキとした桓武天皇の心中やいかに!?
酒人内親王の心境も気になります。
酒人親王は桓武天皇との間に朝原内親王を産みます。
井上内親王―酒人内親王―朝原内親王 の3代にわたって伊勢神宮に仕える斎王となったことにも興味を惹かれます。
ああ。話が逸れていきました。(笑)
平安時代初期も追及するとハマリそうです。
桓武天皇陵については、ヨウダさんのwebサイト『平安京探偵団』に「桓武天皇陵」について詳しく紹介されています。
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今回は 平安京誕生~千年の都に秘められた苦闘~でした。
◆その時: 延暦13(794)年11月8日
◆出来事: 桓武天皇が新しく開いた都を「平安京」と名づける
平安京誕生といえば、通常、平安京遷都が行われた日として現在の時代祭の日である10月22日を思い浮かべます。
しかし番組公式サイトによると、上記のとおり桓武天皇が「平安京」と命名した11月8日が“その時”として番組が構成されていました。
平安京遷都までの流れとして、長岡京について時間が割かれていたのは嬉しかったです。
都の造営についても興味深かったです。
私は恥ずかしながら長岡京についての知識も皆無なので。
桓武天皇がおそれた祟りは、同母弟の早良親王だけでなく、父・光仁天皇の皇后であった井上内親王や廃太子された他戸親王も含まれたのでは。
早良親王はシロじゃないかと思うのですが、実際はどうだったのでしょう。。。
御霊信仰まで話が及んで上御霊神社や下御霊神社、崇道神社が登場するのではないかと思っていましたが、さすがにそこまで時間はなかったようです。
今、ググってみたら記録の上で初めて神泉苑で御霊会(ごりょうえ)が行われたのが清和天皇の時代 貞観5年(863年)5月20日だそうです。
桓武天皇の死後、だいぶあとになってからなのですね。
番組を見ながら、桓武天皇の衣裳が気になってしょうがなかったです。
ヤタガラスとカメ、北斗七星、四神・・・。
どういったことを暗示させる目的で作られたのでしょう。
【12月24日追記 ここから】
webサイト『京と陰陽道楽』の くたくたさん、webサイト『御匣殿』の しらゆきさんより
番組で桓武天皇が着ていた衣裳が礼服(らいふく)であることを教えていただきました。
どうもありがとうございました
とても嬉しいです。
下記の参考になるサイト様についての情報は、くたくたさんよりお知らせいただきました。
重ねて感謝申し上げます。
===============
NHKクローズアップ現代 放送記録(2002年4月8日放送分)
「再現 キトラ壁画」のページ
●番組で紹介した資料について
(1)御物 孝明天皇礼服(らいふく)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2002/0204-2.html
小池笑芭さんのwebサイト『源氏の部屋』内、
明さんによる「帝の装束 レポート」(5)袞冕(こんべん)
http://evagenji.hp.infoseek.co.jp/0402nisijin007.htm
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【12月24日追記 ここまで】
平安京の起こりについて詳しい方、ぜひぜひお教えくださいませ。
また番組の感想などもお聞かせください。
個人的に、桓武天皇の母である高野新笠(たかののにいがさ)自身とそのお墓、桓武天皇の生涯とその陵墓にも興味を持っています。
また、聖武天皇の皇女で光仁天皇の皇后となった井上内親王についても。
光仁天皇と井上内親王との間に生まれた皇女・酒人内親王をキサキとした桓武天皇の心中やいかに!?
酒人内親王の心境も気になります。
酒人親王は桓武天皇との間に朝原内親王を産みます。
井上内親王―酒人内親王―朝原内親王 の3代にわたって伊勢神宮に仕える斎王となったことにも興味を惹かれます。
ああ。話が逸れていきました。(笑)
平安時代初期も追及するとハマリそうです。
桓武天皇陵については、ヨウダさんのwebサイト『平安京探偵団』に「桓武天皇陵」について詳しく紹介されています。
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