『社団法人 びわ湖大津観光協会』様のご厚意により、ポスターの画像を頂戴しました。
ブログへの掲載許可もいただいています。
ありがとうございました。
ブログに掲載するにあたって、画像をJPGへ変換しなくてはならず、実際に頂戴した画質よりもやや劣るのですが、それでも素敵なポスターなのです。
(画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。)
※ポスターの下部では、近江大津宮に関する観光情報と地図が紹介されています。
(画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。)
左から
●近江神宮・・・今回行きました!のちほどご紹介します。
●漏刻(ろうこく)・・・近江神宮境内にあります。もちろん見ました。
●近江大津宮錦織遺跡・・・今回行きました!のちほどご紹介します。
●大津宮中枢建物復元模型・・・今回、大津市歴史博物館常設展で見学してきました!
●崇福寺跡(すうふくじあと)・・・今回は行けませんでした。
●国宝「舎利容器」(崇福寺出土)※近江神宮蔵・・・拝見していません。
●南志賀廃寺出土瓦※近江神宮蔵・・・・・・拝見していません。
*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*
建都ほぼ1400年大津。
京都よりも、奈良よりも。
大津はちょっと大人です。
旅慣れた人は、1200年や1300年の隣にある、ここにも来ます。
*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*
↑この「ほぼ1400年」という曖昧さとキャッチフレーズがみごとな感じ。(´∀`)
意外に知られていないようなのですが、天智天皇が「大津京(近江大津宮)」に遷都し、滋賀県大津市が国家の中心となった時期があるのです。
事実、“平安京”があった京都や“平城京”があった奈良にも近いですし、ポスターを見ていると滋賀県大津への旅情を誘われます。
■大津京(近江大津宮)遷都=667年
■平城京遷都=710年
■平安京遷都=794年
※宮(ミヤ)や京(キョウ・ミヤコ)の概念は諸説ありますが、ここでは触れません。
実は・・・こんな系図を旅行の前に作っていました。
ポスターで表記されている「京」に合わせています。
天智朝・天武朝のムズカシイ話は置いといて、系図の親子や子孫の関係から時の流れの雰囲気が伝わるかな、と。
私の旅行記のwebサイトをご覧の方はご存知だと思いますが、私は平安時代も奈良時代も好きです。奈良に行った回数はぐっと少ないですが。
そして、天智天皇ともゆかりの深い、地元・福岡県内の太宰府市<水城(みずき)・大宰府政庁跡>や朝倉市<斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」跡>にも興味を持っています。(リンク先はそれぞれ私が過去に作成したページです)
※斉明天皇=天智天皇・天武天皇の母。
そのため、今回、滋賀県を観光するにあたって、天智天皇がミヤコを置いた大津市に行きたいと思ったのでした。
さて。
旅のお話に戻します!
(↓この画像は帰宅後、撮影。1日目にいただいたものの一部。)
JR「大津」駅ビル1階・2階でたくさんのチラシやパンフレットをいただき、いざ出発です。
JR「大津」駅ビルを出た私、見覚えがあるものと遭遇しました。
車石(くるまいし)だー!!!!!
大津と京都を結ぶ「逢坂越(=逢坂山<京都へ行くために越える道>)」で江戸時代に大掛かりな道路整備が行われました。
車の轍(わだち)に合わせて溝を掘った石を設置されたそうです。
石のくぼみに沿って、物資を運ぶ牛車の車輪が通ったのだとか。
当時としては画期的な事業です。
今回、逢坂の関(おうさかのせき)ゆかりの場所にも行きたかったのですが時間と体力の都合で叶わず残念無念。
よろしければ、2009年4月に訪ねた「逢坂の関記念公園」の車石(くるまいし)(リンク先はそれぞれ私が過去に作成したページです)をご覧ください。
2008年11月13日に蝉丸神社から石山寺までを訪ねたことがあります。紅葉が綺麗でした♪
JR「大津」駅から徒歩で、京阪「上栄町」駅へ。
京阪「上栄町」駅から京阪電車に乗って、「浜大津」駅へ移動します。
大津城跡~京極高次と初(はつ)が籠城~へ
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●近江神宮・・・今回行きました!のちほどご紹介します。
●漏刻(ろうこく)・・・近江神宮境内にあります。もちろん見ました。
●近江大津宮錦織遺跡・・・今回行きました!のちほどご紹介します。
●大津宮中枢建物復元模型・・・今回、大津市歴史博物館常設展で見学してきました!
●崇福寺跡(すうふくじあと)・・・今回は行けませんでした。
●国宝「舎利容器」(崇福寺出土)※近江神宮蔵・・・拝見していません。
●南志賀廃寺出土瓦※近江神宮蔵・・・・・・拝見していません。
*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*
建都ほぼ1400年大津。
京都よりも、奈良よりも。
大津はちょっと大人です。
旅慣れた人は、1200年や1300年の隣にある、ここにも来ます。
*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*
↑この「ほぼ1400年」という曖昧さとキャッチフレーズがみごとな感じ。(´∀`)
意外に知られていないようなのですが、天智天皇が「大津京(近江大津宮)」に遷都し、滋賀県大津市が国家の中心となった時期があるのです。
事実、“平安京”があった京都や“平城京”があった奈良にも近いですし、ポスターを見ていると滋賀県大津への旅情を誘われます。
■大津京(近江大津宮)遷都=667年
■平城京遷都=710年
■平安京遷都=794年
※宮(ミヤ)や京(キョウ・ミヤコ)の概念は諸説ありますが、ここでは触れません。
実は・・・こんな系図を旅行の前に作っていました。
ポスターで表記されている「京」に合わせています。
天智朝・天武朝のムズカシイ話は置いといて、系図の親子や子孫の関係から時の流れの雰囲気が伝わるかな、と。
私の旅行記のwebサイトをご覧の方はご存知だと思いますが、私は平安時代も奈良時代も好きです。奈良に行った回数はぐっと少ないですが。
そして、天智天皇ともゆかりの深い、地元・福岡県内の太宰府市<水城(みずき)・大宰府政庁跡>や朝倉市<斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」跡>にも興味を持っています。(リンク先はそれぞれ私が過去に作成したページです)
※斉明天皇=天智天皇・天武天皇の母。
そのため、今回、滋賀県を観光するにあたって、天智天皇がミヤコを置いた大津市に行きたいと思ったのでした。
さて。
旅のお話に戻します!
(↓この画像は帰宅後、撮影。1日目にいただいたものの一部。)
JR「大津」駅ビル1階・2階でたくさんのチラシやパンフレットをいただき、いざ出発です。
JR「大津」駅ビルを出た私、見覚えがあるものと遭遇しました。
車石(くるまいし)だー!!!!!
大津と京都を結ぶ「逢坂越(=逢坂山<京都へ行くために越える道>)」で江戸時代に大掛かりな道路整備が行われました。
車の轍(わだち)に合わせて溝を掘った石を設置されたそうです。
石のくぼみに沿って、物資を運ぶ牛車の車輪が通ったのだとか。
当時としては画期的な事業です。
今回、逢坂の関(おうさかのせき)ゆかりの場所にも行きたかったのですが時間と体力の都合で叶わず残念無念。
よろしければ、2009年4月に訪ねた「逢坂の関記念公園」の車石(くるまいし)(リンク先はそれぞれ私が過去に作成したページです)をご覧ください。
2008年11月13日に蝉丸神社から石山寺までを訪ねたことがあります。紅葉が綺麗でした♪
JR「大津」駅から徒歩で、京阪「上栄町」駅へ。
京阪「上栄町」駅から京阪電車に乗って、「浜大津」駅へ移動します。
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