晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※文章や写真の無断転載は禁止!

亀屋廣房 その2 ~今井兼平ゆかりの『兼平餅』~

2010年10月17日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
亀屋廣房 その1の続き。

亀屋廣房
今井兼平ゆかりの「兼平餅」

『亀屋廣房』公式サイト⇒http://www.e510.jp/kame1623/




事前予約のお電話をして購入した今井兼平ゆかりの「兼平餅」のご紹介です。
※一緒に買った「源氏窓」については後日コチラでご紹介しています。




「兼平餅」6個入り。
予約を受けてから、作られているというお菓子です。




紫色の包装紙が綺麗~。




お餅は1包みに2個入っています。
たっぷりの黄粉(きなこ)がまぶされた蓬餅の中には黒砂糖餡が入っています。
見た目は小さく見えるかもしれませんが、1個を口にふくむとボリューミー!

甘さもほどよく、とても美味しかったです。

エネルギー補給にもぴったり。
私は帰宅後、コーヒーと一緒にいただいたのでした。



 今井兼平と「兼平餅」について

『平家物語』などで知られていますが、
平安時代末期、木曾義仲<源義仲>は都で一時的に権力の頂点にのぼりますが、源義経と源範頼の軍に追われ、粟津の松原で名もない郎等に討たれます。

木曾義仲の忠臣であった今井兼平は義仲の死を知り、自害するのでした。

後世、今井兼平の武勇にあやかりたいと東海道を行きかう旅人や文化人が茶屋で食していたお餅が「兼平餅」だったそうです。

アノ松尾芭蕉や勝海舟も食べたのだとか

明治時代の国鉄開通により「兼平餅」を扱っていた三軒茶屋が廃業しました。
その約100年後に、『亀屋廣房』さんが「兼平餅」を復興され現在にいたるそうです。

京阪・JR「石山」駅の近くに“今井兼平の墓”があります。→同日、のちに訪ねます。


 今井兼平と木曾義仲

系図:今井兼平と木曾義仲の関係は“乳兄弟(ちきょうだい)”
木曾(長野県)の豪族・中原兼遠(なかはらのかねとお=兼平の父)の一族が義仲に仕えていました。



※木曾義仲<源義仲>を育てた乳母(めのと)が中原兼遠の妻でした。
当時は乳母(めのと)といっても、お乳をあげる役目だけではでなく、一族で養育・後見していました。
中原兼遠の子どもたちは義仲の乳兄弟(ちきょうだい)として、義仲の近くで仕えています。




旅のお話に戻ります。




『亀屋廣房』さんの最寄駅、京阪「中ノ庄」駅に戻って京阪電車に乗って移動します。



粟津 ~木曾義仲の最期・瀬田川リバークルーズ・松尾芭蕉像~へ続く!


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亀屋廣房 その1 ~膳所城のおもかげ~

2010年10月17日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
亀屋廣房

■住所:滋賀県大津市本丸町3番7号
■交通:京阪「中ノ庄」駅下車
公式サイト⇒http://www.e510.jp/kame1623/



城下町膳所(ぜぜ)に位置し、旧東海道に面してある和菓子店です。
お電話で事前予約していた今井兼平ゆかりの「兼平餅」を購入しに伺いました♪
※「兼平餅」については次の記事にてご紹介しています。


店内の様子。



亀屋廣房さんでは、「兼平餅」のほか、「石山寺源氏窓」・「粟津の里」・「膳所城六萬石もなか」・「ふやき煎餅近江八景」・「にほの菊」・「夕なみ」など、大津にゆかりの深い銘菓をつくられています。
※一部のお菓子は大津市内のホテルでも取り扱われているようです。


(↓画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。)


店内には膳所城と城下町の様子を描かれた絵が掲げてありました
すごい!お城というか要塞みたいですね。

膳所城は、徳川家康が天下を治めて最初に造った城として知られています。
築城の計画は、藤堂高虎(とうどうたかとら)が担当。

徳川家康は、2011年放送の大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』の主人公・江(ごう)が嫁いだ徳川秀忠の父でもあります。


 膳所城について

本丸には、四層四重の天守、各郭に櫓(やぐら)があり琵琶湖につきだした姿は“湖上の浮城”と呼ばれ大変美しかったそうです。
初代城主は、戸田一西。以後、本多氏→菅沼氏→石川氏と変わり、1651年から1870年(明治3年)までの間は、本多氏が13代にわたり城主をつとめました。

現在、膳所城本丸跡は「膳所城跡公園」として整備され、春は花見の名所として憩いの場となっています。
膳所城の城門や櫓(やぐら)などは、膳所神社・篠津神社のほか市内数ヶ所に移築されているそうです。

今回、「膳所城跡公園」を訪ねることはできなかったのですが、旅行2日目に訪ねた「大津市歴史博物館」の常設展示室で膳所城とその城下町の様子がわかる模型を見ることができました。
立体的な模型で見ると、より迫力がありました!





亀屋廣房さんで膳所城で実際に使われていた瓦を見せていただきました。
膳所城の城主・本多氏の家紋です。
細い茎が特徴的な葵の葉をかたどっています。




本多神社(大津市御殿浜)の祭礼でおさめる薯蕷饅頭を作る際の木枠だそうです。
本多神社のご神紋もまた「本多立葵」。


亀屋廣房さんの銘菓「膳所城六萬石もなか」は、本多葵の紋のもなか<こしあん・ゆずあん>です。
公式サイトからお取り寄せもできるそうですよ♪


お店の方から、いろいろなお話をうかがうことができてよかったです。
お忙しいところ、ありがとうございました!



さて。
長くなりましたので、私が買わせていただいた「兼平餅」(事前に要予約)については次回でご紹介します。





亀屋廣房 その2 ~今井兼平ゆかりの「兼平餅」~


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明智左馬之助湖水渡りの碑

2010年10月17日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
明智左馬之助湖水渡りの碑

■住所:滋賀県大津市打出浜地先(琵琶湖文化館の横)
■交通:京阪「島ノ関」駅下車



琵琶湖文化館の横に「明智左馬之助湖水渡りの碑」があります。

“明智左馬之助”は、明智光秀の重臣・明智秀満(あけちひでみつ)のこと。


秀満は謎に満ちた人物で

1、光秀の娘婿
2、光秀の弟
3、光秀のいとこ

などなど、諸説あるようです。


そんな“明智左馬之助”が打出浜から馬を湖に乗り入れ、柳が崎に上がり、坂本城(明智光秀の居城)へ向かったという伝説(?)があるのでした。




説明板。
こちらの説明では、明智左馬之助=光秀の弟 となっています。




柳の木が目印です!!




本当に琵琶湖文化館の前というか横にあるのでした。



次は、事前にご連絡さしあげていた和菓子屋さんの「亀屋廣房」へ行きます。

京阪「島ノ関」駅から京阪電車に乗って「中ノ庄」駅下車。
徒歩数分のところにあります。


亀屋廣房 その1 ~膳所城のおもかげ~


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滋賀県立琵琶湖文化館(休館中)

2010年10月17日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
滋賀県立琵琶湖文化館

■住所:滋賀県大津市打出浜地先
■交通:京阪「島ノ関」駅下車
公式サイト⇒http://www2.ocn.ne.jp/~biwa-bun/


今年2010年に開館50周年を迎えた「滋賀県立琵琶湖文化館」(2008年4月1日から休館)へ立ち寄りました。
※こちらに立ち寄りたかった私の個人的な思いは、後述します。


琵琶湖文化館にいたるまでの、琵琶湖畔の景色をお楽しみください。



琵琶湖文化館へ行くための橋のように見えますが、琵琶湖文化館までは、まだちょっと距離があります。



山並みと琵琶湖が美しい。




本当にお城みたいな建物です。




海だー!・・・もとい、淡海(おうみ)だーーー!!
やっぱり琵琶湖は広い!!←私は海ばかり見ているので。




琵琶湖畔の水面にて、初めて(?)見る薄紫色の花を発見
何という名前の植物なのかしら。あとで調べます。

※10月31日追記:ブログをご覧の方から「ホテイアオイ」では?と教えていただきました。
確かに「ホテイアオイ」のようです。ありがとうございました。




滋賀県立琵琶湖文化館。
開館50周年ということですから、完成当時はもっと素晴らしかったのでしょうね。

今の姿も、カッコイイですよ。



文化館前庭の池中に歌碑がありました。
歌の説明はあるかな・・・



ありました!
“うつしよの 夢をうつつに 見せしめぬ 琵琶湖のうへに うかぶ美の城”
琵琶湖文化館のマスコットキャラクター「あきつ君」もいます。




休館中とのことですが、催し案内の掲示板は、綺麗にポスターや案内が掲示されていてほっとします。
※館内での展示公開はなくとも、公式サイトの更新や講座・友の会の活動など盛んになさっているようです。
琵琶湖文化館の収蔵品は膨大であり、他施設で展示公開されているのだとか。



ん・・・!?




九州国立博物館<福岡県太宰府市>で開催された「―最澄がつないだ近江と太宰府― 湖の国の名宝展」のポスターが
ポスターを拝見して、感慨深いものがありました。
本当に福岡県から滋賀県まで来ちゃったよ・・・。

押しかけ妻になった気分。(笑)


(↓画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。)


“浮城(うきしろ)”の名にふさわしい威厳ある姿です。
画像の右側に小さく琵琶湖観覧船「ミシガン」がちらっと映っています。
偶然、遊覧船が大津港に帰ってきているようだったので1~2分程度待って撮影☆

この姿を見ることができてよかったです。




 個人的な思い。

『九州国立博物館』<福岡県太宰府市>で2010年6月11日(金)~9月5日(日)に開催された

九州国立博物館開館5周年・滋賀県立琵琶湖文化館開館50周年記念
「―最澄がつないだ近江と太宰府― 湖の国の名宝展」

を見に行き、当方のブログ記事“「湖の国の名宝展」@九州国立博物館”(2010年8月20日)でごく簡単に感想を書いています。

この時はまだ、自分がのちに滋賀県の観光ブロガーに当選するとは思いもよらず。
滋賀県にあるという仏像・仏画・仏具やもろもろが見たい♪という気軽な気持ちで展覧会へ行ったのですが、時間を忘れるくらい見入ってしまい、とてもよかったです。

展示図録も素晴らしかったですよ。
図録の裏表紙に「琵琶湖文化館」の全景写真が掲載。



しかし、滋賀県立琵琶湖文化館は現在、休館中とは!
恥ずかしながら、九州国立博物館での展示があるまで、福岡県に住む私は琵琶湖文化館の存在も休館中であることも知りませんでした。
いろいろとご事情がおありとは思いますが、個人的にとても寂しい気がします。

今回、滋賀県を訪ねるにあたってせめて外観だけでも拝見したいと思い、訪ねてみたのでした。



偶然、お会いした方に撮影いただきました。
ありがとうございました!



次は、琵琶湖文化館の横にある“明智左馬之助湖水渡りの碑”をご紹介します。



明智左馬之助湖水渡りの碑


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