粟津(あわづ)
■住所:滋賀県大津市別保一丁目
■交通:京阪「粟津」駅下車
京阪「粟津」駅でふらっと降りてみました。
乗り放題の「1dayきっぷ」を持っている気安さから、ぷち散策。
粟津といえば、
平安時代末期、木曾義仲<源義仲>が矢で射られ
最期を遂げた“粟津の松原”があったところですよね。
(↑帰宅後、町名の“粟津”最寄り駅は、ひとつ隣りの京阪「石山」駅だと知るのでした。)
私が数年前に買った源平史跡案内の本にて、このあたりに“粟津の番所跡”がこの近くにあると書いてあったのをなんとなく覚えていたのでそこも訪ねてみようかと。
しかし、本当にうろ覚え。
偶然、お会いした方に
“粟津の番所跡”がどこにあるかご存知ですか?
とお尋ねしたところ、ご存じなかったのでした。
よし!今回は、諦めよう。(´∀`)
(帰宅後、大津市御殿浜の“瀬田口総門跡”に“粟津番所跡”があることを知りました。
場所が違っていました。/笑)
道を歩いているうちに琵琶湖が見えてきちゃった・・・って、
ん・・・!?
瀬田川リバークルーズの外輪汽船「一番丸」の姿が!!
近江大橋有料道路の下あたりを航行していますよー。
※『瀬田川・琵琶湖リバークルーズ』公式サイト:http://www.lakewest.jp/
あれ?今日って運航日じゃなかったはず。←しっかり調べていた。(笑)
貸切船かしら。いいなぁ。
2008年11月に瀬田川リバークルーズに乗船しました。水上から見る景色も船もすごく良かったのでオススメです♪
湖畔には松並木がありました。
“粟津の松原”を思いながら、散策するのもよさそうですね。
風が気持ちよかったです。
木曾義仲の最期<粟津の戦い>について
源義経・源範頼の軍に敗れ、京都から追われた木曾義仲。
1184年1月20日、粟津の松原にて馬がぬかるみに足をとられ身動きがとれなくなったところを、矢で射られ絶命したのでした。
『平家物語』巻九 木曾最後 より
※大津市馬場に、木曾義仲ゆかりの義仲寺(ぎちゅうじ)があります。
義仲の墓や義仲の愛妾・巴御前の塚、さらに江戸時代の俳人・松尾芭蕉の墓や句碑もあるこのお寺。
今回は立ち寄ることはできませんでした。
木曾義仲と源頼朝・義経
系図:木曾義仲と源頼朝・義経たちとの関係は“いとこ”。
木曾義仲の父である源義賢は、義仲が幼い時に源義平の襲撃によって討たれました。
(画像をクリックされますと、やや大きなサイズでご覧いただけます。)
*********
京阪「粟津」駅に戻り、京阪電車に乗って一駅隣の「石山」駅へ移動しました。
「石山」駅前(JR「石山」駅前でもあります)で、
松尾芭蕉像に遭遇
(画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。)
京阪電車の湖都周遊「湖都古都・おおつ1dayきっぷ」パンフレットに掲載されている地図には、各地の「松尾芭蕉句碑」も示されていました。
句碑めぐりするのも面白そう♪
芭蕉ファンにはたまらないと思います。
次は、木曾義仲の忠臣・今井兼平の墓を訪ねます。
今井兼平の墓~木曾義仲の忠臣~へ続く!
近江路・歴女ブロガー旅紀行(ブログ「晴れのち平安」編) INDEXに戻る
⇒web拍手を送る
<HP『花橘亭~なぎの旅行記~』に戻る> <コメントをくださる方は掲示板へ>
■住所:滋賀県大津市別保一丁目
■交通:京阪「粟津」駅下車
京阪「粟津」駅でふらっと降りてみました。
乗り放題の「1dayきっぷ」を持っている気安さから、ぷち散策。
粟津といえば、
平安時代末期、木曾義仲<源義仲>が矢で射られ
最期を遂げた“粟津の松原”があったところですよね。
(↑帰宅後、町名の“粟津”最寄り駅は、ひとつ隣りの京阪「石山」駅だと知るのでした。)
私が数年前に買った源平史跡案内の本にて、このあたりに“粟津の番所跡”がこの近くにあると書いてあったのをなんとなく覚えていたのでそこも訪ねてみようかと。
しかし、本当にうろ覚え。
偶然、お会いした方に
“粟津の番所跡”がどこにあるかご存知ですか?
とお尋ねしたところ、ご存じなかったのでした。
よし!今回は、諦めよう。(´∀`)
(帰宅後、大津市御殿浜の“瀬田口総門跡”に“粟津番所跡”があることを知りました。
場所が違っていました。/笑)
道を歩いているうちに琵琶湖が見えてきちゃった・・・って、
ん・・・!?
瀬田川リバークルーズの外輪汽船「一番丸」の姿が!!
近江大橋有料道路の下あたりを航行していますよー。
※『瀬田川・琵琶湖リバークルーズ』公式サイト:http://www.lakewest.jp/
あれ?今日って運航日じゃなかったはず。←しっかり調べていた。(笑)
貸切船かしら。いいなぁ。
2008年11月に瀬田川リバークルーズに乗船しました。水上から見る景色も船もすごく良かったのでオススメです♪
湖畔には松並木がありました。
“粟津の松原”を思いながら、散策するのもよさそうですね。
風が気持ちよかったです。
木曾義仲の最期<粟津の戦い>について
源義経・源範頼の軍に敗れ、京都から追われた木曾義仲。
1184年1月20日、粟津の松原にて馬がぬかるみに足をとられ身動きがとれなくなったところを、矢で射られ絶命したのでした。
『平家物語』巻九 木曾最後 より
※大津市馬場に、木曾義仲ゆかりの義仲寺(ぎちゅうじ)があります。
義仲の墓や義仲の愛妾・巴御前の塚、さらに江戸時代の俳人・松尾芭蕉の墓や句碑もあるこのお寺。
今回は立ち寄ることはできませんでした。
木曾義仲と源頼朝・義経
系図:木曾義仲と源頼朝・義経たちとの関係は“いとこ”。
木曾義仲の父である源義賢は、義仲が幼い時に源義平の襲撃によって討たれました。
(画像をクリックされますと、やや大きなサイズでご覧いただけます。)
*********
京阪「粟津」駅に戻り、京阪電車に乗って一駅隣の「石山」駅へ移動しました。
「石山」駅前(JR「石山」駅前でもあります)で、
松尾芭蕉像に遭遇
(画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。)
京阪電車の湖都周遊「湖都古都・おおつ1dayきっぷ」パンフレットに掲載されている地図には、各地の「松尾芭蕉句碑」も示されていました。
句碑めぐりするのも面白そう♪
芭蕉ファンにはたまらないと思います。
次は、木曾義仲の忠臣・今井兼平の墓を訪ねます。
今井兼平の墓~木曾義仲の忠臣~へ続く!
近江路・歴女ブロガー旅紀行(ブログ「晴れのち平安」編) INDEXに戻る
⇒web拍手を送る
<HP『花橘亭~なぎの旅行記~』に戻る> <コメントをくださる方は掲示板へ>