晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※文章や写真の無断転載は禁止!

近江神宮 ~祭神:天智天皇~

2010年10月21日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
近江神宮

■住所:滋賀県大津市神宮町1-1
■交通:京阪「近江神宮前」駅下車
公式サイト⇒http://oumijingu.org/

近江神宮のご祭神は、「天智天皇(てんじてんのう)」
またの名を「天命開別大神(あめみことひらかすわけのおおかみ)」といいます。



1940年(昭和15年)に創祀され、今年、2010年11月に御鎮座70年をむかえられます。
神苑には、歌碑や句碑が多いので、興味がある方には魅力もさらに倍増だと思います。




朱塗りの楼門!



黒木の「外拝殿」。
楼門の華やかさとのギャップ萌え!(という言葉は不適切かな






「内拝殿」を参拝します。(-人-)
緑色のシートがかぶせられているところで、舞楽奉納があったりするのでしょうか♪



■漏刻(ろうこく=水時計)模型

(↓画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。↓)


飾りではなくて、本物の水時計です。
流れ落ちる水の量によって時間を計ります。
671年、天智天皇が近江大津宮において初めて「漏刻(ろうこく)」を設置し、時刻制度を開始したことにちなんで作られたそうです。

ちなみに、6月10日の「時の記念日」は、天智天皇が時刻制度を始めた日を太陽暦に換算して制定されました。



「漏刻」あたりから楼門を見た景色↑
手前には、2種類の日時計が並んであります。


「古代日時計」 ロレックス製


■時計館・宝物館



京阪電車の「湖都古都・おおつ1dayきっぷ」の提示で、割引料金で入館できました。
いろいろな時計があって面白かったです。
宝物館は駆け足で見学してしまいました。次回(?)はゆっくり観覧したいです。


■天智天皇歌碑



神苑内にたくさんある歌碑の中からひとつだけ選ぶならば、この歌碑でしょう!
藤原定家によって撰ばれた『小倉百人一首』の第1首目の歌が天智天皇の歌であることは知られていますよね☆

“秋の田の 刈穂の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ”

毎年、近江神宮では「競技かるた」のチャンピオンを決める“名人位・クイーン位決定戦”がお正月に開催されています。
今年はテレビでの放送を見ていました。



 おさらい。天智天皇とは

・即位する前は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の名で知られる。
・中臣鎌足(のちの藤原鎌足)とともに蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こす。→乙巳の変(いっしのへん)。
・天皇中心の国家にするため「大化の改新」を行った。→大化は日本初の元号
・663年の「白村江の戦い」での大敗後、国の防衛のために水城(みずき)や烽火(のろし)・防人(さきもり)を設置。
・667年、大津京<近江大津宮・近江京>遷都。
・全国的な戸籍「庚午年籍(こうごねんじゃく)」を作成。

などなど、活躍されました。

※天智天皇の御陵は、京都市山科区にあります。






時計を見ると、ちょうど正午近く。
お昼ごはんタイムです♪



近江神宮神苑内にある「善庵」さんでお蕎麦をいただくことにしました。


善庵 宮そば(十割そば)へ続く!



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大津京シンボル緑地 ~天智天皇・額田王・柿本人麻呂・藤原鎌足・平忠度~

2010年10月21日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
大津京シンボル緑地

■住所:滋賀県大津市錦織
■交通:京阪「近江神宮前」駅下車



京阪「近江神宮前」駅で降りて、近江大津宮錦織遺跡を通り過ぎ、近江神宮にいたる前に「大津京シンボル緑地」があります。



一見、ただの駐車場ですが、「大津京シンボル緑地」には、天智天皇・額田王・柿本人麻呂・藤原鎌足(中臣鎌足)・平忠度 の歌碑があるので、ご興味がある方は要チェックなのです!!

平忠度(たいらのただのり)だけ、生きていた時代が違いますが、彼の歌もまたすごく好きなので歌碑があることが嬉しかったです。


(↓歌碑の画像はそれぞれクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧になれます。)

●天智天皇



 秋の田のかりほのいほの苫を荒み
  わが衣手は露に濡れつつ

 

●額田王(ぬかたのおおきみ)



 君待つとわが恋ひ居ればわが宿の
  すだれ動かし秋の風吹く



●柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)



 近江の海夕波千鳥汝が鳴けば
  心もしのに古思ほゆ



●内大臣藤原卿(藤原鎌足)
安見児(やすみこ)という女官との結婚を許されたことを喜ぶ歌



 吾者毛也 安見兒得有
 皆人乃 得難尓為云
 安見兒衣多利


(吾はもや安見児得たり皆人の 得かてにすとふ安見児得たり)



●平忠度(たいらのただのり)・・・平安時代末期




 さざ浪や志賀のみやこはあれにしを
  むかしながらの山ざくらかな


※平忠度は、歌人の藤原俊成と交流がありました。
この歌は藤原俊成が編纂した『千載和歌集』に撰ばれており、その経緯のエピソードは『平家物語』の“忠度都落”に記されています。




 大津京シンボル緑地のベンチに座ってひとやすみ。

 

「ことゆう」さんでのチェックアウト時にいただいた飴玉をパクリ☆
甘さにほっとします~。

すぐ隣りにある近江神宮の参道へ入ります。


近江神宮へ続く!



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近江大津宮(おうみおおつのみや)錦織遺跡

2010年10月20日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
国指定史跡
近江大津宮(おうみおおつのみや)<大津京・近江京・志賀宮>
錦織(にしこおり)遺跡

■住所:滋賀県大津市錦織
■交通:京阪「近江神宮前」駅下車


667年旧暦3月19日、のちの天智天皇<中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)>が飛鳥から近江(現在の大津)に都を遷しました。
近江大津宮<大津京・近江京・志賀宮>の誕生です

672年、天智天皇が崩御し、皇位継承をめぐって「壬申(じんしん)の乱」<天智天皇の息子:大友の皇子vs天智天皇の弟:大海人皇子>勃発。
勝者である天智天皇の弟・大海人皇子は、都を「飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)」に遷し、天武天皇として即位するのでした。

つまり、短期間とはいえ、かつて滋賀県大津市の一部が政治の中心地になった期間があったのです。
ココで、内裏(だいり)の正殿(せいでん)跡が発見され、長年不明だった近江大津宮<通称:大津京>の場所が明らかになりました。
※当ブログ内の記事ポスター「建都ほぼ1400年大津。」大津は古津だった。も合わせてどうぞ☆

京阪「近江神宮前」駅を降りて、近江神宮へ行く途中の道沿いに、錦織地区に近江大津宮(おうみおおつのみや)<大津京>跡をしめす遺跡が点在しています。

たくさん撮った写真のうちの数枚を掲載します。









近江大津宮跡は住宅地の中にありますが、近江大津宮跡から見た山並みの景色は、当時とさほど変わらないはず。
ちょこっと、天智天皇や中臣鎌足<藤原鎌足>の気分に♪

※同日午後に訪ねた大津市歴史博物館の常設展示室で近江大津宮<大津京>の復元模型や出土品・パネルなどで詳しい展示を見ることができました。
藤原鎌足の人形もありましたよ!




「志賀宮址碑」高さ 2,57メートル。
志賀宮=近江大津宮のこと。
碑文をよみとることができませんでした。


(↓画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。)
 

「志賀皇宮遺跡」碑/「錦織(にしこおり)」の地名の由来について


(↓画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。)


万葉歌人として知られる柿本人麻呂(かきのもとのひろまろ)が詠んだ長歌(ちょうか)の歌碑です。

近江大津宮<大津京>が存在した期間は短くとも、後世の文化人たちによって、荒廃した近江大津宮<大津京>をしのぶ歌が多く詠まれました。
この柿本人麻呂の歌もそうしたひとつです。

近江大津宮を追慕する歌枕として、琵琶湖をのぞむ景勝地として“志賀(しが)”が頻繁に詠まれるようになります。


次に訪ねる大津京シンボル緑地に近江大津宮ゆかりの歌人たちに詠まれた歌碑が建立されています。
※大津京シンボル緑地は近江神宮に隣接。
ちょっと立ち寄ってみました。

(↓近江大津宮錦織遺跡は点在しています。画像はクリックで拡大。)




大津京シンボル緑地へ続く!



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JR「大津京」駅と万葉歌碑(額田王・大海人皇子)

2010年10月20日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
JR「大津京」駅

■住所:滋賀県大津市皇子が丘二丁目8-1
■交通:JR湖西線「大津京」駅

2008年(平成20年)3月15日 に「西大津」駅から「大津京」駅へ改称されました。




JR「大津京」駅の構内には、展示コーナーがあります。
琵琶湖の貝塚や「大津京(近江大津宮)」について、どーんと紹介。

“ようこそ、いにしえの都、大津京へ”
のフレーズにときめきます。

一人でバシバシ写真を撮っていました。


私が駅に降り立った日は、駅構内に臨時の観光案内所(?)が設けられていました。


ポスター「建都ほぼ1400年大津。」も掲示されていますよ。

案内所(?)の方に、「こちらには、いつもおられるのですか?」と伺ったところ「来月までです」とおっしゃっていたので11月いっぱいまで・・・なのかな。
JR「大津京」駅を中心とした万葉集や近江大津宮に関するパンフレットやチラシをGETしたい方はGO!です。

ちなみに、前日の午前中、JR「大津」駅1階に入っている “滋賀県観光物産情報センター”にて 東おうみの万葉ロマンと渡来文化『よみがえる額田王と渡り来た人びと』というパンフレット(発行:東近江行政組合・東近江観光振興協議会/監修:井上満郎)をいただきました。
とても面白い内容で読み応えありました。



■万葉歌碑

JR「大津京」駅を出て、すぐそばにある京阪「皇子山(おうじやま)」駅へ行こうとしたら、歌碑発見

(↓画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。)


額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(おおあまのみこ)<のちの天武天皇>の「万葉集」に収められている歌じゃないですかー!!
きゃぁぁぁぁああ!


額田王

 あかねさす紫野行き標野行き
  野守は見ずや君が袖振る



大海人皇子

 紫草(むらさき)のにほへる妹をにくくあらば
  人嬬(ひとづま)故(ゆえ)に吾恋ひめやも






JR「大津京」駅と歌碑の位置関係。
万葉歌碑は、駅前のココにあります!



 額田王と大海人皇子について



※額田王(ぬかたのおおきみ)は最初、大海人皇子との間に、十市皇女(とおちのひめみこ)を出産。
のちに、額田王は、天智天皇の寵愛を受けるようになったのだとか。
※歌碑にもなっている額田王と大海人皇子の歌は、昔の恋が再燃して不倫!?とか昔の恋人同士による宴会での座興!?とか、解釈が様々です。





歌碑をみつけたことで
朝から、テンション上げ上げで京阪「皇子山」駅へ。

京阪電車の「湖都古都(ことこと)1dayきっぷ」<500円>を購入し、今日も元気に歩きます。
※「1dayきっぷ」の提示で割引がある施設も多いのです。





『龍馬電』という坂本龍馬ラッピングの電車を見たり電車に乗ったりしました。


京阪「皇子山」駅から、京阪電車に乗って「近江神宮前」駅で下車。
近江神宮へ行く道すがら、近江大津宮(おうみおおつのみや)錦織遺跡を訪ねます。


近江大津宮錦織遺跡へ続く!


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瀬田の唐橋

2010年10月20日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
瀬田の唐橋(せたのからはし)

■住所:滋賀県大津市唐橋町~瀬田一丁目
■交通:京阪「唐橋前」駅下車

数々の歴史の舞台となった瀬田川に架かる大きな橋です。
“勢多(せた)の唐橋”や“瀬田の長橋”と表記されることもあります。

現在見られるような大橋・小橋の形になったのは、織田信長が架け替えて以来の姿だそうです。
※現在はコンクリート製。

「急がば回れ」の諺(ことわざ)の発祥もココだとされています。



西側から見た唐橋(からはし)

それでは橋を渡ってみましょう♪
夕方なので車の往来が多いです。



橋を歩きながら北を見たところ。この川上に琵琶湖があります。


 

橋の欄干についている擬宝珠(ぎぼし)は、よく見ると修理補正したあとが各所で見られるものもありました。
年季が入っていますが、これらの修理をされた職人さんがスゴイと思います。




西の空はだんだん、日がおちていきます。



東側から見た唐橋(からはし)



日本三代名橋「瀬田の唐橋」碑




瀬田唐橋の東詰には、俵藤太(たわらのとうた)こと藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が百足(むかで)退治をした故事にちなむ絵が掲げられています。

絵の裏面は唐橋の解説がされています。
(↓画像をクリックされると大きな画像でご覧になれます)


■古代の瀬田橋
・ 671年、 大友皇子と大海人皇子の皇位継承を争う壬申の乱、最後の決戦場に。
・ 764年、 藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)により瀬田橋を焼く。
・ 940年頃、俵藤太(たわらのとうた)による百足退治。<伝説>

■中世の瀬田橋
・1184年、木曾義仲軍、源義経・源範頼軍と戦う。
・1221年、承久の乱。後鳥羽天皇が鎌倉幕府と戦う。
・1582年、本能寺の変。瀬田橋が焼かれる。




交通の要所・軍事の要衝として
「瀬田橋を制する者は天下を制する」
と呼ばれてきました。




瀬田川ではカヤックの練習(?)をされている方々もお見かけしました。
カッコイイ!!

座ってぼーっと橋を行きかう車や人を眺めていたら、どんどん周囲が暗くなっていきました。(笑)



福岡県で生活している時よりも日の入りが早い気がします。
・・・って当たり前ですね。滋賀県のほうが東にあるんですもの。





こののち、京阪「唐橋前」駅から京阪電車に乗って「皇子山(おうじやま)」駅へ移動。
京阪「皇子山」駅近くのJR「大津京」駅から「おごと温泉」駅へ。




「大津京」という名に憧れていたのでJR「大津京」駅で切符を買えたことが嬉しくて、写真を撮ってしまいました。(笑)


本日のお宿、「ことゆう」さんへ向かいます。



宿泊:雄琴 天然温泉の宿「ことゆう」での夜へ続く!


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