植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-1 袋町、下新町、主計町、観音町、並木町、下石引町

2020-03-02 04:08:25 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1759)

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-1 袋町、下新町、主計町、観音町、並木町、下石引町

石川県ウオーキング協会は2月23日(日)金沢駅地下もてなしドーム発着の「金沢の復活した旧町を歩く」を開催した。
心配した天候も小雨が時々降る程度で、この時期にしては恵まれたなか、最高気温8度とウオーキングに最適で、参加者は楽しくいい汗を流し、藩政期に思いを馳せた。



◇金沢市の旧町名復活
昭和38年(1963)に実施された住居表示変更で、金沢では藩政期からの由緒
ある343(金沢市資料)の小さな町の名前が消えた。平成11年1月に主計町(あずえまち)が復活し、
現在(2002.2)計20の旧町名が復活した。

◇金沢市の旧町名標柱
明治22年(1889)に市制となった金沢市は、昭和54年(1979)度から
市制90周年記念事業の一つとして「金沢市歴史のまちしるべ標示事業」を開始。
旧町名やその由来等を記した標柱をこれまで224基設置(平成22年3月31日現在)されており、
標柱には町名の由来や読み方が刻まれています。



1)袋町(尾張町2丁目)

藩政期の本町の一つで、この町筋が北国街道であった。道の両端が曲って袋のようであったところから、この名がついたという。
〇復活日:平成19年(2007)3月1日



2)下新町(尾張町2丁目)
藩政初期からの町名で、尾張町に家屋が増え、町地が狭くなったので、新しく町立てされたため、この名がついた。
〇復活日:平成21年(2009)11月1日



3)主計町(尾張町2丁目)
大阪夏冬の両役に功をたてた加賀藩士、富田主計の邸地があったところなので、この名がついたといわれる。
〇復活日:平成21年(2009)11月1日





4)観音町1丁目(東山1丁目)
〇復活日:令和元年(2019)9月1日

4)観音町2丁目(東山1丁目)
〇復活日:令和元年(2019)9月1日

4)観音町3丁目(東山1丁目)
〇復活日:令和元年(2019)9月1日
元和二年、観音院が卯辰山から移されたとき、観音院から浅野川大橋までの道を拡張し、この通りを観音町と称した。
1~3丁目併せて1本の標柱



5)並木町(橋場町)
藩政時代、浅野川の護岸のために川沿いに植えられた松並木にちなんで、この名がついたという。 並木町 材木町
〇復活日:平成17年(2005)10月1日



6)下石引町(石引1~4丁目、笠舞2丁目)
藩政の初め、金沢城の石垣を築くため、戸室山から切り出した戸室石を引いて運んだ道筋であったのでこの名がついたという。いしびきちょうとも呼ばれた。
石引4?3?1
〇復活日:平成12年(2000)4月1日

□旧町名標柱のリスト

□金沢市旧町名復活区域地図

□地図金沢市ホープページより

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-2 飛梅町、柿木畠、木倉町、南町、上堤町

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-3 金石通町、金石下本町、金石味噌屋町、金石新町、金石今町、金石海禅寺町

(つづく)