植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-2 飛梅町、柿木畠、木倉町、南町、上堤町

2020-03-04 17:31:06 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1760)

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-2 飛梅町、柿木畠、木倉町、南町、上堤町

石川県ウオーキング協会は2月23日(日)金沢駅地下もてなしドーム発着の「金沢の復活した旧町を歩く」を開催した。
心配した天候も小雨が時々降る程度で、この時期にしては恵まれたなか、最高気温8度とウオーキングに最適で、参加者は楽しくいい汗を流し、藩政期に思いを馳せた。

◇金沢市の旧町名復活

昭和38年(1963)に実施された住居表示変更で、金沢では藩政期からの由緒ある343(金沢市資料)の小さな町の名前が消えた。平成11年1月に主計町(あずえまち)が復活し、現在(2002.2)計20の旧町名が復活した。



◇金沢市の旧町名標柱

明治22年(1889)に市制となった金沢市は、昭和54年(1979)度から
市制90周年記念事業の一つとして「金沢市歴史のまちしるべ標示事業」を開始。
旧町名やその由来等を記した標柱をこれまで224基設置(平成22年3月31日現在)されており、
標柱には町名の由来や読み方が刻まれています。



7)飛梅町(石引3丁目、東兼六町)
前田対馬守長種にはじまる藩の老臣一万八千石前田氏の下屋敷(家中町)があったところで、同家の家紋「角の内梅輪」にちなみ、明治2年、この名がつけられた。
〇復活日:平成12年(2000)4月1日



8)柿木畠(広坂1丁目、片町1丁目)
寛永8年・12年の火災の教訓から、この一帯を火除地とするため、藩士の邸宅を移転させ空き地にし、柿の木を植えた。万治年間から再び藩士の邸地となったが、地名として残った。

〇復活日:平成15年(2003)10月1日



9)木倉町(片町2丁目)
藩政の初めころ、藩の材木蔵があったのでこの名がついた。もとは木町、また一時期、西側半分は出大工町とも呼ばれていた。
〇復活日:平成15年(2003)8月1日



10)南町(高岡町、香林坊1・2丁目)
佐久間盛政が城主のころ城の南にあったので、この名がついた。文禄元年この地に移転したが、寛永12年の移転説もある。
〇復活日:平成20年(2008)11月1日



11)上堤町(高岡町・尾山町の各一部)

藩政期以前にできた寺内町の一つで、堀り上げた土の堤上に町地ができたことから、この名がついた。寛永十二年の火災を機に西内惣構堀の内からこの地に移された。標柱はありませんでした。
〇復活日:平成21年(2009)11月1日



12)六枚町
藩政前期からある町人町で、この町の宅地税である地子銀が年間6枚であったところから、この名がついたと伝えられている。
〇復活日:平成16年(2004)6月1日

□旧町名標柱のリスト

□金沢市旧町名復活区域地図

□地図は金沢市のホームページより

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-1 袋町、下新町、主計町、観音町、並木町、下石引町

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-3 金石通町、金石下本町、金石味噌屋町、金石新町、金石今町、金石海禅寺町

(つづく)