植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇兼六園の梅林2020-3 オウシュク、ベニシダレ、ミチシルベ、カゴシマベニ

2020-03-09 04:11:51 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1764)

◇兼六園の梅林2020-3 オウシュク、ベニシダレ、ミチシルベ、カゴシマベニ

〇梅林の歴史

兼六園の梅林は、藩政時代には竹沢御殿や馬場などがあった跡で、明治には長谷川準也の屋敷となった。戦後は兼六園広場として野外催事に使用され、その後金沢大学が城内に移ってからは、昭和43年(1968)明治百年記念事業として「兼六園梅林」が造営された。ところが、長年の放置と踏圧された荒地に植えられた梅株は育ちが悪く、昭和48年(1973)改めて樹間に深溝を掘り、堆肥を補い、高く盛土して勢いを再生させた。

開園時には太宰府天満宮、防府天満宮、北野天満宮、道明寺天満宮、湯島天神、偕楽園、七塚町、兼六園観光協会などより、白梅13種・160本、紅梅13種120本が寄贈され、昭和50年(1975)ロータリークラブより白梅25本が寄贈された。



9)オウシュク(鶯宿)

野梅性、実梅、一重。果実は固いのでジュースに最適。果実は中くらいで豊産性、梅酒に向く。樹勢は強い。同じ名称で八重のものは花梅。梅林には2本ある。
原産は中国で、歴史は古く平安時代から存続しており、「大鏡」に村上天皇のエピソードが伝えられている。天慶年間(10世紀、平安時代)第62代村上天皇の御代、清涼殿の左側にあった梅が枯れ、代替木として紀貫之の娘「紀内侍」の庭の梅が選ばれた。その梅の枝に「勅なれば いともかしこし鶯の 宿はと問はばいかが答えむ」の詩が結ばれているのを天皇が見つけ深く感じ、その梅を紀内侍の庭に返したとのエピソードの梅。以後、その梅は「鶯宿梅」と呼ばれ、清涼殿前は左近の桜となった謂われのある梅である。





■写真はオウシュク



10)ベニシダレ(紅枝垂)

唐梅性、花梅、枝垂、中輪。梅林には2本ある。







■写真はベニシダレ



11)ミチシルベ(道知辺)

野梅性、花梅、一重、大輪、萼、花弁は茶色。中国原産で開花時は淡い紅色で、咲き進むと濃い紅色になる。梅林には2本ある。
芳香が強いので、夜間でも開花が分かり「道標」的役割を果たすのでこの名がついた。





■写真はミチシルベ



12)カゴシマベニ(鹿児島紅)

緋梅性、花梅、八重、中輪。平開き雄蕊の数多い。花弁には波が無く平たく見える。梅林には3本ある。







■写真はカゴシマベニ



■写真は梅林


◇兼六園の梅林2020-5 ブンゴ、ヤエハクバイ、ケンキョウ、ヤバイ

◇兼六園の梅林2020-4 マヤコウ、リョクガクシダレ、ヤエハクバイ、ギョクエイ

◇兼六園の梅林2020-2 アオジク、シロカガ、コウメ、リョクガク

◇兼六園の梅林2020-1トウジウメ、ヤエカンコウ、ヒノツカサ、ヤエトウバイ

(つづく)