植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇兼六園の梅林2020-4 マヤコウ、リョクガクシダレ、ヤエハクバイ、ギョクエイ

2020-03-11 04:19:31 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1765)

◇兼六園の梅林2020-4 マヤコウ、リョクガクシダレ、ヤエハクバイ、ギョクエイ

〇梅林の歴史

兼六園の梅林は、藩政時代には竹沢御殿や馬場などがあった跡で、明治には長谷川準也の屋敷となった。戦後は兼六園広場として野外催事に使用され、その後金沢大学が城内に移ってからは、昭和43年(1968)明治百年記念事業として「兼六園梅林」が造営された。ところが、長年の放置と踏圧された荒地に植えられた梅株は育ちが悪く、昭和48年(1973)改めて樹間に深溝を掘り、堆肥を補い、高く盛土して勢いを再生させた。

開園時には太宰府天満宮、防府天満宮、北野天満宮、道明寺天満宮、湯島天神、偕楽園、七塚町、兼六園観光協会などより、白梅13種・160本、紅梅13種120本が寄贈され、昭和50年(1975)ロータリークラブより白梅25本が寄贈された。



13)マヤコウ(麻耶紅)

豊後性、花梅、八重、中輪径。大きな葉が特徴で、秋には葉柄と枝先が紫紅色になる。中国原産で、日本へは古代に渡来 した。葉は楕円形で、互い違いに生える。梅林他に19本ある。











■写真はマヤコウ



14)リョクガクシダレ(緑萼枝垂)

野梅性、実梅、八重、中輪、平開き。花弁の先に細かな波を打つ。萼が緑色のため黄白色に見える。 梅林に1本のみ。









■写真はリョクガクシダレ



15)タマウメ(玉梅)
 
青軸性、実梅、一重、中輪、若い枝と萼は緑色。花梅としても楽しめる。梅林に1本のみ。





■写真はタマウメ



16)ギョクエイ(玉英)

野梅性、実梅、一重、大輪。花弁は波を打つ。青梅市二俣尾原産。果実は大きく良質で梅酒に向く。梅林に1本のみ。







■写真はギョクエイ


◇兼六園の梅林2020-5 ブンゴ、ヤエハクバイ、ケンキョウ、ヤバイ

◇兼六園の梅林2020-3 オウシュク、ベニシダレ、ミチシルベ、カゴシマベニ

◇兼六園の梅林2020-2 アオジク、シロカガ、コウメ、リョクガク

◇兼六園の梅林2020-1トウジウメ、ヤエカンコウ、ヒノツカサ、ヤエトウバイ

(つづく)

◇兼六園の梅林2020-3 オウシュク、ベニシダレ、ミチシルベ、カゴシマベニ

2020-03-09 04:11:51 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1764)

◇兼六園の梅林2020-3 オウシュク、ベニシダレ、ミチシルベ、カゴシマベニ

〇梅林の歴史

兼六園の梅林は、藩政時代には竹沢御殿や馬場などがあった跡で、明治には長谷川準也の屋敷となった。戦後は兼六園広場として野外催事に使用され、その後金沢大学が城内に移ってからは、昭和43年(1968)明治百年記念事業として「兼六園梅林」が造営された。ところが、長年の放置と踏圧された荒地に植えられた梅株は育ちが悪く、昭和48年(1973)改めて樹間に深溝を掘り、堆肥を補い、高く盛土して勢いを再生させた。

開園時には太宰府天満宮、防府天満宮、北野天満宮、道明寺天満宮、湯島天神、偕楽園、七塚町、兼六園観光協会などより、白梅13種・160本、紅梅13種120本が寄贈され、昭和50年(1975)ロータリークラブより白梅25本が寄贈された。



9)オウシュク(鶯宿)

野梅性、実梅、一重。果実は固いのでジュースに最適。果実は中くらいで豊産性、梅酒に向く。樹勢は強い。同じ名称で八重のものは花梅。梅林には2本ある。
原産は中国で、歴史は古く平安時代から存続しており、「大鏡」に村上天皇のエピソードが伝えられている。天慶年間(10世紀、平安時代)第62代村上天皇の御代、清涼殿の左側にあった梅が枯れ、代替木として紀貫之の娘「紀内侍」の庭の梅が選ばれた。その梅の枝に「勅なれば いともかしこし鶯の 宿はと問はばいかが答えむ」の詩が結ばれているのを天皇が見つけ深く感じ、その梅を紀内侍の庭に返したとのエピソードの梅。以後、その梅は「鶯宿梅」と呼ばれ、清涼殿前は左近の桜となった謂われのある梅である。





■写真はオウシュク



10)ベニシダレ(紅枝垂)

唐梅性、花梅、枝垂、中輪。梅林には2本ある。







■写真はベニシダレ



11)ミチシルベ(道知辺)

野梅性、花梅、一重、大輪、萼、花弁は茶色。中国原産で開花時は淡い紅色で、咲き進むと濃い紅色になる。梅林には2本ある。
芳香が強いので、夜間でも開花が分かり「道標」的役割を果たすのでこの名がついた。





■写真はミチシルベ



12)カゴシマベニ(鹿児島紅)

緋梅性、花梅、八重、中輪。平開き雄蕊の数多い。花弁には波が無く平たく見える。梅林には3本ある。







■写真はカゴシマベニ



■写真は梅林


◇兼六園の梅林2020-5 ブンゴ、ヤエハクバイ、ケンキョウ、ヤバイ

◇兼六園の梅林2020-4 マヤコウ、リョクガクシダレ、ヤエハクバイ、ギョクエイ

◇兼六園の梅林2020-2 アオジク、シロカガ、コウメ、リョクガク

◇兼六園の梅林2020-1トウジウメ、ヤエカンコウ、ヒノツカサ、ヤエトウバイ

(つづく)

◇兼六園の梅林2020-2 アオジク、シロカガ、コウメ、リョクガク

2020-03-08 04:18:59 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1763)

◇兼六園の梅林2020-2 アオジク、シロカガ、コウメ、リョクガク

〇梅林の歴史

兼六園の梅林は、藩政時代には竹沢御殿や馬場などがあった跡で、明治には長谷川準也の屋敷となった。戦後は兼六園広場として野外催事に使用され、その後金沢大学が城内に移ってからは、昭和43年(1968)明治百年記念事業として「兼六園梅林」が造営された。ところが、長年の放置と踏圧された荒地に植えられた梅株は育ちが悪く、昭和48年(1973)改めて樹間に深溝を掘り、堆肥を補い、高く盛土して勢いを再生させた。

開園時には太宰府天満宮、防府天満宮、北野天満宮、道明寺天満宮、湯島天神、偕楽園、七塚町、兼六園観光協会などより、白梅13種・160本、紅梅13種120本が寄贈され、昭和50年(1975)ロータリークラブより白梅25本が寄贈された。



5)アオジク(青軸)

青軸性、実梅、一重、中輪、若い枝と愕は緑色。花梅としても楽しめる。花色は緑がかった白。果色は緑黄色の大粒の早生種。梅酒、梅干、梅ジャムなどに利用できる。梅林に6本ある。







■写真はアオジク



6)シロカガ(白加賀)

野梅性、実梅、一重、中・大輪。江戸時代からの歴史ある実梅。現在は群馬県を中心とした関東での栽培が多い。花も美しく観賞用として楽しめ、香りもいい。樹勢は強いが花粉少なく自家不結実性。







■写真はシロカガ



7)コウメ(小梅)

野梅性、実梅、一重、小輪。樹勢がかなり弱っている。梅林に1本のみ。



■写真はコウメ



8)リョクガク(緑萼)

青軸性、実梅、八重。中輪。枝や萼は緑色で、つぼみも緑。白色、花弁は波型。緑愕は随身坂料金所手前(金沢神社近く)にある。園内に1本のみ。



■写真はリョクガク


◇兼六園の梅林2020-5 ブンゴ、ヤエハクバイ、ケンキョウ、ヤバイ

◇兼六園の梅林2020-4 マヤコウ、リョクガクシダレ、ヤエハクバイ、ギョクエイ

◇兼六園の梅林2020-3 オウシュク、ベニシダレ、ミチシルベ、カゴシマベニ

◇兼六園の梅林2020-1トウジウメ、ヤエカンコウ、ヒノツカサ、ヤエトウバイ

(つづく)

◇兼六園の梅林2020-1トウジウメ、ヤエカンコウ、ヒノツカサ、ヤエトウバイ

2020-03-07 04:23:21 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1762)

◇兼六園の梅林2020-1トウジウメ、ヤエカンコウ、ヒノツカサ、ヤエトウバイ

〇梅と桜

もともと奈良時代までは花見は梅が中心で、その時代に桜は野生の山桜を鑑賞していたと考えられる。その後、9世紀前半に嵯峨天皇(在位809年~823年)が南殿に桜を植えて,宴を催したのが最初といわれる。
・万葉集(8世紀後半)の梅の句は110首、桜の句43首。
・古今和歌集(10世紀)の梅の句18首、桜の句70首。
となっており、このことからも平安時代後期期には桜が花見の中心になったと考えられる。出展:日本の桜(川崎哲也)、NHK放送



〇梅林の歴史

兼六園の梅林は、藩政時代には竹沢御殿や馬場などがあった跡で、明治には長谷川準也の屋敷となった。戦後は兼六園広場として野外催事に使用され、その後金沢大学が城内に移ってからは、昭和43年(1968)明治百年記念事業として「兼六園梅林」が造営された。ところが、長年の放置と踏圧された荒地に植えられた梅株は育ちが悪く、昭和48年(1973)改めて樹間に深溝を掘り、堆肥を補い、高く盛土して勢いを再生させた。

開園時には太宰府天満宮、防府天満宮、北野天満宮、道明寺天満宮、湯島天神、偕楽園、七塚町、兼六園観光協会などより、白梅13種・160本、紅梅13種120本が寄贈され、昭和50年(1975)ロータリークラブより白梅25本が寄贈された。現在は約200本があるとされている。



1)トウジウメ(冬至梅)

野梅性、実梅一重、中輪。兼六園では一番早く咲く。樹高は3メートルから6メートルくらいで、枝は細い。早咲きの品種。梅林に1本のみ。



■写真はトウジウメ



2)ヤエカンコウ(八重寒紅)

野梅性、花梅、八重、中輪、早咲き。代表的な紅梅。花弁は波打ち、萼は濃いこげ茶色。樹勢は強い。早咲きのため正月の盆栽に向く。梅林に4本ある。





■写真はヤエカンコウ



3)ヒノツカサ(緋の司)

紅梅性、実梅、八重、中輪。花弁はへら型で抱え咲き、雄蕊は長い。雄しべは長くきれいに開く。樹勢は強い。梅林に1本のみ。







■写真はヒノツカサ



4)ヤエトウバイ(八重唐梅)

唐梅性、実梅、八重、中輪。丸い花弁、花弁に赤筋入り、花弁は下向きに咲く。栽培品種の1つで、樹高は3メートルから6メートルくらい。早咲きの品種。梅林に1本のみ。





■写真はヤエトウバイ

◇兼六園の梅林2020-5 ブンゴ、ヤエハクバイ、ケンキョウ、ヤバイ

◇兼六園の梅林2020-4 マヤコウ、リョクガクシダレ、ヤエハクバイ、ギョクエイ

◇兼六園の梅林2020-3 オウシュク、ベニシダレ、ミチシルベ、カゴシマベニ

◇兼六園の梅林2020-2 アオジク、シロカガ、コウメ、リョクガク

(つづく)

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-3 金石通町、金石下本町、金石味噌屋町、金石新町、金石今町、金石海禅寺町

2020-03-05 19:25:39 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1761)

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-3 金石通町、金石下本町、金石味噌屋町、金石新町、金石今町、金石海禅寺町

3月1日金石方面の撮影に行きました。



◇金沢市の旧町名復活

昭和38年(1963)に実施された住居表示変更で、金沢では藩政期からの由緒
ある343(金沢市資料)の小さな町の名前が消えた。平成11年1月に主計町(あずえまち)が復活し、
現在(2002.2)計20の旧町名が復活した。
その町名は下記の通りです。

◇金沢市の旧町名標柱

明治22年(1889)に市制となった金沢市は、昭和54年(1979)度から市制90周年記念事業の一つとして「金沢市歴史のまちしるべ標示事業」を開始。旧町名やその由来等を記した標柱をこれまで224基設置(平成22年3月31日現在)されており、標柱には町名の由来や読み方が刻まれています。



13)金石通町(金石西3、4丁目)
町全体の中心的役割を担う町人や商人が、多く居住していた「本町」へ行くため、多くの人が往来したことから付けられた。
江戸時代には上通町と下通町にわかれていて、 大店もあり人の通りも多く賑わった町であった。
〇復活日:平成30年(2018)11月1日





14)金石下本町(金石西3、4丁目)
本町の下に連なった町で店屋も多く賑わった町 であった。
〇復活日:平成30年(2018)11月1日





15)金石味噌屋町(金石西2、4丁目)
重要な調味料であった「味噌??」を商う有力な商人が居住したと推測される。元禄時代に書かれた宮腰絵図に記されている由 緒ある町名である。
〇復活日:平成30年(2018)11月1日





16)金石新町(金石西2丁目)
藩政時代に人口や家が増えて、町の中心から、新しく町建てされたことにより「新町」と付けられた。元禄時代に書かれた宮腰絵図に記されている由 緒ある町名である。
〇復活日:令和元年(2019)11月1日





17)金石今町(金石西2丁目)
藩政時代に人口や家が増えて、町の中心から、さらに、新しく町建てされたことにより「今町」と付けられた。
〇復活日:令和元年(2019)11月1日





18)金石海禅寺町(金石西1、2丁目)
藩政期に「海禅寺」があったことから、付けられた。 この寺がいつ頃に上越前町に移転したかはさだ
かではない。
〇復活日:令和元年(2019)11月1日

□旧町名標柱のリスト

□金沢市旧町名復活区域地図

□地図は金沢市ホームページより

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-1 袋町、下新町、主計町、観音町、並木町、下石引町

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-2 飛梅町、柿木畠、木倉町、南町、上堤町


(つづく)

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-2 飛梅町、柿木畠、木倉町、南町、上堤町

2020-03-04 17:31:06 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1760)

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-2 飛梅町、柿木畠、木倉町、南町、上堤町

石川県ウオーキング協会は2月23日(日)金沢駅地下もてなしドーム発着の「金沢の復活した旧町を歩く」を開催した。
心配した天候も小雨が時々降る程度で、この時期にしては恵まれたなか、最高気温8度とウオーキングに最適で、参加者は楽しくいい汗を流し、藩政期に思いを馳せた。

◇金沢市の旧町名復活

昭和38年(1963)に実施された住居表示変更で、金沢では藩政期からの由緒ある343(金沢市資料)の小さな町の名前が消えた。平成11年1月に主計町(あずえまち)が復活し、現在(2002.2)計20の旧町名が復活した。



◇金沢市の旧町名標柱

明治22年(1889)に市制となった金沢市は、昭和54年(1979)度から
市制90周年記念事業の一つとして「金沢市歴史のまちしるべ標示事業」を開始。
旧町名やその由来等を記した標柱をこれまで224基設置(平成22年3月31日現在)されており、
標柱には町名の由来や読み方が刻まれています。



7)飛梅町(石引3丁目、東兼六町)
前田対馬守長種にはじまる藩の老臣一万八千石前田氏の下屋敷(家中町)があったところで、同家の家紋「角の内梅輪」にちなみ、明治2年、この名がつけられた。
〇復活日:平成12年(2000)4月1日



8)柿木畠(広坂1丁目、片町1丁目)
寛永8年・12年の火災の教訓から、この一帯を火除地とするため、藩士の邸宅を移転させ空き地にし、柿の木を植えた。万治年間から再び藩士の邸地となったが、地名として残った。

〇復活日:平成15年(2003)10月1日



9)木倉町(片町2丁目)
藩政の初めころ、藩の材木蔵があったのでこの名がついた。もとは木町、また一時期、西側半分は出大工町とも呼ばれていた。
〇復活日:平成15年(2003)8月1日



10)南町(高岡町、香林坊1・2丁目)
佐久間盛政が城主のころ城の南にあったので、この名がついた。文禄元年この地に移転したが、寛永12年の移転説もある。
〇復活日:平成20年(2008)11月1日



11)上堤町(高岡町・尾山町の各一部)

藩政期以前にできた寺内町の一つで、堀り上げた土の堤上に町地ができたことから、この名がついた。寛永十二年の火災を機に西内惣構堀の内からこの地に移された。標柱はありませんでした。
〇復活日:平成21年(2009)11月1日



12)六枚町
藩政前期からある町人町で、この町の宅地税である地子銀が年間6枚であったところから、この名がついたと伝えられている。
〇復活日:平成16年(2004)6月1日

□旧町名標柱のリスト

□金沢市旧町名復活区域地図

□地図は金沢市のホームページより

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-1 袋町、下新町、主計町、観音町、並木町、下石引町

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-3 金石通町、金石下本町、金石味噌屋町、金石新町、金石今町、金石海禅寺町

(つづく)

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-1 袋町、下新町、主計町、観音町、並木町、下石引町

2020-03-02 04:08:25 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1759)

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-1 袋町、下新町、主計町、観音町、並木町、下石引町

石川県ウオーキング協会は2月23日(日)金沢駅地下もてなしドーム発着の「金沢の復活した旧町を歩く」を開催した。
心配した天候も小雨が時々降る程度で、この時期にしては恵まれたなか、最高気温8度とウオーキングに最適で、参加者は楽しくいい汗を流し、藩政期に思いを馳せた。



◇金沢市の旧町名復活
昭和38年(1963)に実施された住居表示変更で、金沢では藩政期からの由緒
ある343(金沢市資料)の小さな町の名前が消えた。平成11年1月に主計町(あずえまち)が復活し、
現在(2002.2)計20の旧町名が復活した。

◇金沢市の旧町名標柱
明治22年(1889)に市制となった金沢市は、昭和54年(1979)度から
市制90周年記念事業の一つとして「金沢市歴史のまちしるべ標示事業」を開始。
旧町名やその由来等を記した標柱をこれまで224基設置(平成22年3月31日現在)されており、
標柱には町名の由来や読み方が刻まれています。



1)袋町(尾張町2丁目)

藩政期の本町の一つで、この町筋が北国街道であった。道の両端が曲って袋のようであったところから、この名がついたという。
〇復活日:平成19年(2007)3月1日



2)下新町(尾張町2丁目)
藩政初期からの町名で、尾張町に家屋が増え、町地が狭くなったので、新しく町立てされたため、この名がついた。
〇復活日:平成21年(2009)11月1日



3)主計町(尾張町2丁目)
大阪夏冬の両役に功をたてた加賀藩士、富田主計の邸地があったところなので、この名がついたといわれる。
〇復活日:平成21年(2009)11月1日





4)観音町1丁目(東山1丁目)
〇復活日:令和元年(2019)9月1日

4)観音町2丁目(東山1丁目)
〇復活日:令和元年(2019)9月1日

4)観音町3丁目(東山1丁目)
〇復活日:令和元年(2019)9月1日
元和二年、観音院が卯辰山から移されたとき、観音院から浅野川大橋までの道を拡張し、この通りを観音町と称した。
1~3丁目併せて1本の標柱



5)並木町(橋場町)
藩政時代、浅野川の護岸のために川沿いに植えられた松並木にちなんで、この名がついたという。 並木町 材木町
〇復活日:平成17年(2005)10月1日



6)下石引町(石引1~4丁目、笠舞2丁目)
藩政の初め、金沢城の石垣を築くため、戸室山から切り出した戸室石を引いて運んだ道筋であったのでこの名がついたという。いしびきちょうとも呼ばれた。
石引4?3?1
〇復活日:平成12年(2000)4月1日

□旧町名標柱のリスト

□金沢市旧町名復活区域地図

□地図金沢市ホープページより

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-2 飛梅町、柿木畠、木倉町、南町、上堤町

◇金沢市旧町名復活標柱巡り-3 金石通町、金石下本町、金石味噌屋町、金石新町、金石今町、金石海禅寺町

(つづく)

◇寺町寺院群巡り2019’INDEX(No.1-17)

2020-03-01 05:28:50 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1758)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り2019’INDEX(No.1-17)

今回、寺町寺院群巡りをしてみて、加賀藩三代藩主利常が一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院を集めた時代に思いを馳せた。
現在(2019.12)65寺院、3神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。中には時代の変化に耐えきない寺院もあったが 、楽しくめぐることができた。

〇寺町寺院群巡り2019バックナンバー



◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺



◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺



◇寺町寺院群巡り-11 興徳寺、宝集寺、桂岩寺、闕野神社

◇寺町寺院群巡り-12 永福寺、融山院、玄光院、昌柳寺

◇寺町寺院群巡り-13 善隆寺、妙法寺、実成寺、本性寺

◇寺町寺院群巡り-14 法光寺、立像寺、大円寺、妙福寺 

◇寺町寺院群巡り-15 本因寺、長久寺、高岸寺、妙典寺

◇寺町寺院群巡り-16 本妙寺、諏訪神社、伏見寺、松月寺

◇寺町寺院群巡り-17(完)浄安寺、妙慶寺、成学寺、常徳寺