かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

英米人も知っている~大宝寺に行って来ました~

2013年02月13日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
太山寺の後は、大宝寺へ。



太山寺本堂とは違って小ぶりなお堂。

正面はすべて蔀戸(しとみど 仕組みはここを)で、落ち着いた雰囲気です。

加えて、軒下がすっきりしているからでしょう。

寺院建築は軒を深くするために、柱の上に組物(くみもの)と呼ばれる構造のものがあって、屋根を支えています。

複雑なものだとこんなものがありますが・・・

仁和寺二王門(重文)

大宝寺の場合は、柱の上に屋根が乗っています。



正面は3間ですが、側面は4間。

 

でも、太山寺本堂と違って平面はほぼ正方形です。

裏山は墓地になっているのですが、そこからはこんな感じで見下ろせます。



この建物も国宝ですが、国宝を見下ろせるなんてあまりできないかも。

ところで、ここにも創建時の言い伝えが残されています。

解説板を引用します。

  昔、ある長者が子どもに恵まれず、松山の西のふもと、
 大宝寺のお薬師様に願かけをした。願いがかなって、
 女の子が生まれ、露と名づけた。大事に育ててきた乳母の
 お乳が急に出なくなったが、お薬師様のおかげでなおり、
 そのお礼に長者はお堂を建てた。
  それが、大宝寺の本堂だという。
  お露は美しい娘に成長したが、十五歳の時に病にかかった。
 乳母は、わが命にかえてもお嬢様をお助けくださいと、
 お薬師様においのりした。お露は元気になったが、そのお祝いの
 席で、乳母は倒れ床についた。乳母はお薬師様との約束ですと
 いって、薬も口にせず、「お薬師様に、お礼として桜の木を植えて
 下さい」といい残して死んでしまった。
  長者は、乳母のことば通り、桜を本堂の前に植えた。不思議な
 ことに、サクラは枝なしに幹から二・三輪花が咲いた。その花の
 色は、母乳のような色で、花はまるで乳母の乳房のようであった
 という。
  この話は明治時代に、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の手で、
 英語に訳され、英国・米国で出版された『怪談』にも収められている。



これがそのうば桜の子孫でしょうか。

読んで、何だか鼻の奥がツンとしてしまいました。

今まで訪れたお寺の話で、一番感動したかもしれません。

八雲もきっとそうだったのだと思います。

コメント
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