太山寺の後は、大宝寺へ。
太山寺本堂とは違って小ぶりなお堂。
正面はすべて蔀戸(しとみど 仕組みはここを)で、落ち着いた雰囲気です。
加えて、軒下がすっきりしているからでしょう。
寺院建築は軒を深くするために、柱の上に組物(くみもの)と呼ばれる構造のものがあって、屋根を支えています。
複雑なものだとこんなものがありますが・・・
仁和寺二王門(重文)
大宝寺の場合は、柱の上に屋根が乗っています。
正面は3間ですが、側面は4間。
でも、太山寺本堂と違って平面はほぼ正方形です。
裏山は墓地になっているのですが、そこからはこんな感じで見下ろせます。
この建物も国宝ですが、国宝を見下ろせるなんてあまりできないかも。
ところで、ここにも創建時の言い伝えが残されています。
解説板を引用します。
昔、ある長者が子どもに恵まれず、松山の西のふもと、
大宝寺のお薬師様に願かけをした。願いがかなって、
女の子が生まれ、露と名づけた。大事に育ててきた乳母の
お乳が急に出なくなったが、お薬師様のおかげでなおり、
そのお礼に長者はお堂を建てた。
それが、大宝寺の本堂だという。
お露は美しい娘に成長したが、十五歳の時に病にかかった。
乳母は、わが命にかえてもお嬢様をお助けくださいと、
お薬師様においのりした。お露は元気になったが、そのお祝いの
席で、乳母は倒れ床についた。乳母はお薬師様との約束ですと
いって、薬も口にせず、「お薬師様に、お礼として桜の木を植えて
下さい」といい残して死んでしまった。
長者は、乳母のことば通り、桜を本堂の前に植えた。不思議な
ことに、サクラは枝なしに幹から二・三輪花が咲いた。その花の
色は、母乳のような色で、花はまるで乳母の乳房のようであった
という。
この話は明治時代に、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の手で、
英語に訳され、英国・米国で出版された『怪談』にも収められている。
これがそのうば桜の子孫でしょうか。
読んで、何だか鼻の奥がツンとしてしまいました。
今まで訪れたお寺の話で、一番感動したかもしれません。
八雲もきっとそうだったのだと思います。
太山寺本堂とは違って小ぶりなお堂。
正面はすべて蔀戸(しとみど 仕組みはここを)で、落ち着いた雰囲気です。
加えて、軒下がすっきりしているからでしょう。
寺院建築は軒を深くするために、柱の上に組物(くみもの)と呼ばれる構造のものがあって、屋根を支えています。
複雑なものだとこんなものがありますが・・・
仁和寺二王門(重文)
大宝寺の場合は、柱の上に屋根が乗っています。
正面は3間ですが、側面は4間。
でも、太山寺本堂と違って平面はほぼ正方形です。
裏山は墓地になっているのですが、そこからはこんな感じで見下ろせます。
この建物も国宝ですが、国宝を見下ろせるなんてあまりできないかも。
ところで、ここにも創建時の言い伝えが残されています。
解説板を引用します。
昔、ある長者が子どもに恵まれず、松山の西のふもと、
大宝寺のお薬師様に願かけをした。願いがかなって、
女の子が生まれ、露と名づけた。大事に育ててきた乳母の
お乳が急に出なくなったが、お薬師様のおかげでなおり、
そのお礼に長者はお堂を建てた。
それが、大宝寺の本堂だという。
お露は美しい娘に成長したが、十五歳の時に病にかかった。
乳母は、わが命にかえてもお嬢様をお助けくださいと、
お薬師様においのりした。お露は元気になったが、そのお祝いの
席で、乳母は倒れ床についた。乳母はお薬師様との約束ですと
いって、薬も口にせず、「お薬師様に、お礼として桜の木を植えて
下さい」といい残して死んでしまった。
長者は、乳母のことば通り、桜を本堂の前に植えた。不思議な
ことに、サクラは枝なしに幹から二・三輪花が咲いた。その花の
色は、母乳のような色で、花はまるで乳母の乳房のようであった
という。
この話は明治時代に、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の手で、
英語に訳され、英国・米国で出版された『怪談』にも収められている。
これがそのうば桜の子孫でしょうか。
読んで、何だか鼻の奥がツンとしてしまいました。
今まで訪れたお寺の話で、一番感動したかもしれません。
八雲もきっとそうだったのだと思います。