ご飯を食べたり買い物したりしましたが、まだ時間があったので帰り道は釜石大観音に立ち寄りました。

胎内のらせん階段を昇り、観音様が抱く魚の所まで行くと・・・

釜石湾が一望できます。
ここに来るまで知らなかったのですが、最初に日本人によって作られた海図は、1872年の「陸中国釜石港之図」なんだそうです。
釜石港が選ばれたのは、東京と函館の中間補給地点で、官営製鉄所が建設される予定だったためだとか。
そうした重要地点だからでしょうか、釜石は第2次世界大戦末期にはアメリカ軍による艦砲射撃を受けています。
釜石駅近くの鈴子広場にはこんなモニュメントがあり、そばにある石碑にはこんな文章が刻まれています。

2011年7月11日撮影
『あすに向かって
我々釜石市民は、幾多の困難を不屈の意志を持って乗り越えてきた。
先人たちが築いてきた歴史の継承と、次世代のたゆまざる発展を願い、
その思いを天空に舞い上がる鳥の姿に託し、市制施行六十周年を記念し
造形作家岩間正男氏により、制作され建立したものである。
平成9年9月 釜石市』
この碑文の通りになってほしいと心から願っています。
桜の季節に大槌と一緒に釜石にまた来ます。
地酒の浜千鳥は刺身によく合いますし、釜石ラスクのほたて味はビールにぴったりだから。


胎内のらせん階段を昇り、観音様が抱く魚の所まで行くと・・・

釜石湾が一望できます。
ここに来るまで知らなかったのですが、最初に日本人によって作られた海図は、1872年の「陸中国釜石港之図」なんだそうです。
釜石港が選ばれたのは、東京と函館の中間補給地点で、官営製鉄所が建設される予定だったためだとか。
そうした重要地点だからでしょうか、釜石は第2次世界大戦末期にはアメリカ軍による艦砲射撃を受けています。
釜石駅近くの鈴子広場にはこんなモニュメントがあり、そばにある石碑にはこんな文章が刻まれています。

2011年7月11日撮影
『あすに向かって
我々釜石市民は、幾多の困難を不屈の意志を持って乗り越えてきた。
先人たちが築いてきた歴史の継承と、次世代のたゆまざる発展を願い、
その思いを天空に舞い上がる鳥の姿に託し、市制施行六十周年を記念し
造形作家岩間正男氏により、制作され建立したものである。
平成9年9月 釜石市』
この碑文の通りになってほしいと心から願っています。
桜の季節に大槌と一緒に釜石にまた来ます。
地酒の浜千鳥は刺身によく合いますし、釜石ラスクのほたて味はビールにぴったりだから。

