ここ数日間、、我が家ではイベント(?)続きで、私はとても多忙な日々でした。
イベントだけで、さっさと帰宅すればよいものを、その足で高島屋や、日本橋の三越に足を延ばしたりしたものですから、疲れるのが当然。
この一両日、体調が今ひとつで、妹家族と会食した翌日は、何と三時間もお昼寝。
十分休養を取ったにもかかわらず、相変わらず疲労が抜けず、久しぶりにちょっと息苦しい。
タートルセーターのネックまわりが煩わしいといった感じなんです。
最近の疲労の一番の原因には、思い当たることがあります。
お出かけ前は、女性は、朝の家事、身支度とそれなりに時間がかかります。
ところが二日続けて、その忙しい時間帯に、旦那さまの人工肛門のトラブルがあり、その世話で小一時間費やす事に。
今後のことが、また新たに思いやられ、心身共に少々疲れてしまったようです。
この事については、又いつか日を改めて詳しく綴らせて頂きますね。
今日は、また前回に引き続き、親愛なる友について述べることに致します。
綴っているうちに、若かりし頃の記憶が蘇り、きっと元気復活してくれることでしょう。
全く構想を練っていませんし、思い出が走馬灯のように駆け廻り、これはまとめるのは大変、と少々戸惑い気味ですが。
さて、これからが本文です。
依頼心の強いところもあった私は、海外に在住するまでは、母に頼っているところがかなりありました。
何かとよく面倒をみてくれ、孫達の可愛いがり様、世話の焼き方も、それはそれは言葉では言い尽くせないほど愛情深いものでした。。
それ故の、親娘のいさかいも無きにしも非ずでしたけれどね。
育児観は、世代の相違で違って当然でしたから。
でも今はすべてが、良き思い出。
母の厳しさのお陰で成長できたところも大いにあり、、両親には感謝の気持ちのみでいます。
そんな私が、突然親元を離れ海外移住となり、まさに大海原に放り出されたような感じでした。
前述の理由から、私が真の自立を果たしたのは、結婚より海外在住以降かもしれません。
ロサンゼルスに渡るまでは大変不安でしたが、異国の生活が始まると割と早く、スムーズに溶け込むことができました。
それは一重に、その地で巡り会った素晴らしい友人達のお陰です。
特に親密なお付き合いをさせていただいたのは、Kさん、Aさん、Iさん、Nさんでした。
Nさんは夫の同僚の奥様でしたが、他の三名の友人達は、いずれも別会社の方ばかり。
夫の退院に当たりKさんが届けて下さった蘭の花
Kさんとの運命的出会いがなかったなら、私たち親子にとって海外暮らしは、もっと不安なものだったかもしれません。
英語が堪能で、その地域の日本人駐在員の奥様方の中でもリーダー的存在で、日本人とアメリカ人の橋渡し的ボランティアにも熱心な方でした。
優しくて前向きで、行動力のあるお人柄。
そして実にチャーミングで笑顔の素敵な方です。
私は尊敬して止まず、溢れるような親愛の情を抱いていました。
その方と親しくお付き合いさせていただいた事で、異国の生活を、どんなに心安らかに楽しく過ごせたか分かりません。
私達は、まるで身内のように親しくなり、娘達を子供同然のように可愛がって下さいました。
日本人学校送迎も日々交代でやったものです。
その輪に、さらに加わって下さったのが、AさんとIさんでした。
私ほどのKさんとの交流はなかったかもしれませんが、いろいろなイベントを共に楽しんだものです。
皆さん、品性が高く、麗しいご性格。
その上、向上心が旺盛で、良妻賢母の典型のような素敵な方ばかりでした。
Iさんとは日本人学校のPTA役員でご一緒に働き、週末の教会もいつも共に過ごしました。
堂々とした風格で、幾分男勝りな気質の匂い漂う方でしたが、心は清らかでまっすぐ。
筆跡にも、そのご性格がよく現れています。
実に美しい端正な字を認められます。
手にするたびに、私は見惚れてばかり。
幼稚園の卒園式における、PTA会長としてのIさんの式辞の何と感動的だったことか。
今でもその内容を覚えている程です。
今年頂いた年賀状とお見舞いのお便り
Aさんは、とても美しい華のある方で、私はKさんと同様くらい親しくなりました。
長女の友人のお母様で、凛としたたたずまいと振る舞いに、私は憧憬の念すら抱いたほどです。
主人の同僚の奥様も素敵な方で、家族同士のお付き合いを楽しみ、旅行も再三ご一緒しました。
ご主人様は、幼い娘達の憧れ的存在でした。
夫には内緒ですが、私も同様だったかもしれません。(笑)
家族同士の気の置けないお付き合いは、余生の暮らしまで続くものと期待していましたが・・・・・
残念ながら、退職後、郷里の四国に戻られ、遠出の外出がままならないお体になられ、思うようにはまいりません。
ロス在住のころは、私達はまだ30代で、若く輝いていて、一番活力に満ちた夢多き幸せな時代でした。
その後、それぞれ時期は違いこそすれ、帰国した私達。
その後の暮らしは、年を重ねるに連れ、人生の色々な課題に直面せざるを得ず、ロス時代の華やぎと輝きとは違った色を放つようになっていきました。
それは、誰しも受け入れざるを得ない、人生の宿命と言えば宜しいのでしょうか。
旦那さまがお亡くなりになったり、自らの病、親の介護など・・・・・・
私も、まだ介護保険がないころ、寝たきりの両親の世話で、熟睡できない毎夜を過ごした苦労の時代がありました。
しかし、他の方々は、専業主婦に甘んじてのほほ~んと暮らしてきた私とは異なります。
その友人達は、帰国後も、それぞれ御活躍で、ほんとに頭が下がることばかりです。
Kさんは、つい最近まで、堪能な英語を生かして、主に新興国を支援する国際機関にお勤めでした。
大変裕福な御家庭でいらっしゃいますのに、90歳近くになられる両家のお母様のお世話もなさりながらのお仕事。
海外出張をされたり、いろんな国際的イベントに参加され、ご活躍でした。
大使に会わせてあげるから、と私もお招きいただいた事もありましたが、英語力にも自信が持てず、出かける勇気が沸かなくて・・・・・
自己実現のための意欲と情熱を思うにつけ、月とすっぽんのような友人関係と常々思う私です。
Kさんからの贈り物のランチョマット
アメリカの女性雑誌の一年間購読のプレゼントをして下さった事もありました。
お住いも割と近くですが、これまでは、余りにご多忙な様子で、お電話は遠慮することがほとんどでしたが・・・・・
Kさんはこまめにメールで近況を知らせて下さっていました。
そのKさんが待ちに待った御退職。
こんなことを言っては少々失礼かしら。
途端に、私達の密な交流が復活。
お互いに電話のやり取りも再三しています。
お買い物は、私がして届けてあげるから、と相変わらず優しいKさん。
無論そんなご迷惑をかける訳にはまいりませんが。
Iさんは、帰国後しばらくして、ご主人様を亡くされ、その思い出を偲ぶ自著の書籍を出版されました。
高校の英語教師としてその後ご活躍で、お嬢様は、娘達の母校の大学で、確か教鞭をとっておられるはずです。
Aさんは、帰国後ボランティアに精を出しておられたようですが・・・・・・・
その後お母様のご介護、さらに数年前、夫と同じ肝臓がんでご主人さまを亡くされました。
そして奥様も、心臓の手術をなさったり、最近、また体調を崩されご苦労が絶えないようですが。
東京女子医大にお見舞いに伺った時の事。
凛としたたたずまいと優しさ、優雅さは、ロス時代と全くお変わりなく、二人でロス時代を振りかえり、しみじみと語りあったものです。
帰国後、四人が揃って、おしゃべりできたのは、5~6年前、我が家にお招きした時だけですが。
皆さん、それぞれ人生の課題に直面し、大変なお暮らしであるけれど、もう一度ロス時代の親密な関係を取り戻し、友情を深められれば、どんなに幸せな事でしょう。
お互いに元気なうちに、と願うばかりです。
今回の記事で友についてのお話は締めくくる予定でしたが、まだ終わりに届きませんでした。
ご覧下さる方々は、とんでもない長文で、さぞご退屈なさったのでは、と心苦しく思います。
でも、宝物のように心に大切にしまっていた友についての良き想い出。
ブログと言う媒体のお陰で、その思い出を綴り保存できる幸せを、今感じています。
そのため、もうひと頑張りし、そのことについてすべて書き終えたいと。
大変な長文で、個人的記録以上の何物でもありませんので、どうぞスル―で宜しくお願い致します。
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