今回で、友に関する自分史は終了と思うと、一気に肩の力が抜けてしまいそうです。
最初、友のことを語り始めた時は、こんなつもりでは全くなく、一回の記事で終了するつもりでした。
ところが書くにつれ思いが溢れ、、延々と続くことに。
今回に限ったわけではありませんが・・・・・・。
「この表現では、私の思いが的確に伝えられていないな~」と感じ、書き直す事が、いつも以上に多かったように思います。
私が親しくしている友人は、私が心から尊敬し、見習うことが多い人達ばかりです。
ゆえに、つい美辞麗句の表現になりがちで・・・・・・
語彙が貧弱な私は、素敵、清らか、といった言葉を安易に使用してしまいます。
でも事実、私の友人の共通した長所は、心が清らかで優しさあふれる人柄であることなんですけれど。
言葉を選ぶのに苦労しましたが、拙い文章は相変わらず。
友へ抱く私の親愛の情を、正確に伝えられたとは、思っていません。
いよいよこの一連の記事も、今日で終了です。
書き終わる充足感が殊の外あり、改めてブログとの出合いに、感謝しています。
さて皆さまは、去年の過去記事で私が、親友の突然の逝去について綴ったことをご記憶でしょうか。
11月の初旬のことでした。
高校時代の親友のIさんです。
遠い想い出ですが・・・・・・
結婚式にお招き頂いたのに伺えず、祝電を打った覚えがあります。
「知性と優しさと優雅さを兼ね備えられた薫様、云々」といった文章で。
亡くなられた年の前年の秋、箱根の同窓会で会い、心行くまで語り明かした私達でした。
ですから、私には彼女の死が信じられず、訃報に接した時、呆然としたものです。
未だに信じられない気持でいます。
ますます美しくなられ、健康に輝いていらっしゃるようにお見受けしていたのですが。
それ以来、人の命のはかなさを一層思うようになりました。
但し、彼女との親交は高校時代のみで、その後は同窓会その他で、たまに会う程度でした。
度々会食の誘いを受けたことはあるのですが、ほとんど夜で、歳を重ねてからは、それは無理と感じお断りばかりしてきました。
今更ながら、それが悔やまれますが・・・・・・
私は奥手な性格でしたから、高校時代は、友情の固い絆を結ぶほど成長していなかったようにも。
ですから友人の有難さも、さほど感じていなかったのでしょう。
彼女の素晴らしさと相性の良さを感じるようになったのは、50代以降の同窓会からでしょうか。
亡くなられる数年前からは特に、もっともっと親交を深め、人生の来し方行く末を語りたい、と心から願うようになりました。
ゆえに、彼女の葬儀後、小学校からのクラスメートで私より親しかったOさんが、
「Iさんは、あなたの事がとても好きだったと思うわ」
と言われた時は、涙が溢れ・・・・・・。
私も同じ思いでしたから。
願いを果たさなかった後悔の念で、胸がいっぱいになりました。
彼女の訃報を知って、郷里の市政で活躍をされた同窓生のH君からの突然の便りがありました。
そこに綴られた文句に下記のような一節があります。
「これからは一期一会の思いで、友達と会いましょう」
しみじみこの言葉を噛みしめる昨今です。
さて高校を卒業後、私は京都の大学へ。
最初の二年間は寮生活でしたが、そこで素晴らしい友二人に巡り会い、親友として共に四年間の大学生活を送ることができました。
私は友人が出来るにあたって、特別努力をした覚えはほとんどありません。
磁石のようにお互いに自然に惹きつけられ、成り行きながらしばらく経過すると離れ難い絆で結ばれています。
相性という表現が、一番適切かもしれませんが、運命的な出会いがこの一言で言いあらわせるものでしょうか?。
私の友人すべてに共通した性格は、優しさが際立っていること。
そして心がとても清らかなこと。
私は別として(笑)、他人の陰口を聞く事がまたくなかったと言っていいほどです。
とはいえ学生時代は、お互いに未熟で価値観も確立しておらず、信念何ていった大それたものはなかったでしょう。
特に私はそうで、まだ幼さの残った欠点だらけの人間でした。
思い出すに、とても謙虚で優しかった大学時代の親友たちに、短所なんてあったかしら?
思い出せないほど、素敵で魅力的な人達でした。
親元を離れての四年間の学生生活が、親友たちの友情と優しさに如何に支えられていたことか。
改めて感謝の思いが沸いてきます。
寝食を共にしたことは数知れず、北海道、四国一周など、旅行にも再三、三人で一緒に出かけました。
果てしなく続く賀茂川の土手を、楽しいおしゃべりに花を咲かせ歩いた事も数知れずです。
「あっちゃん」との愛称だった瞳の実に清らかで美しい親友は、京大生と恋愛関係に。
絵にかいたような素敵なカップルで、私達が羨むほどでしたが・・・・・
一人娘さんで、家を継ぐことが当然と期待された身だったため、親の猛反対に遭い、それを押しきっての結婚でした。
夏休みなどの帰省中に、手紙のやり取りをしたくても、彼女はそれが許されない身。
そのため、我が家に届いて彼の手紙を、私の名前で彼女宅に転送する、といったこともしたものです。
私に性格が似たところも多々あり、いつも二人で行動すると珍道中気味で、笑いが絶えなかった、「やっこちゃん」。
今では、名古屋のかの有名ながんセンターを離れ、開業された旦那さまの右腕となり、多忙ながら幸せで有意義な日々を暮らしておいでです。
最近の電話で、外国旅行に誘われたけれど、今の私の体力と状況では・・・・・・。
京都御所の緑を庭のように享受して過ごした大学生活は、思い出深く、私の心の中で今も輝いています。
今の私なら、もっともっと充実できたのに、といった反省点もたくさんあるのも学生時代。
若かりし頃の暮らしは、いたってそんなものなのでしょう。
私の欠点もすべてよしと懐深く受け止め、親友として付き合ってくれた友人達に、今更ながら改めて、感謝の気持ちが沸いてきます。
今日の友についての文章を始めるに当たり、高校時代の親友の逝去について書きましたが。
実は彼女のみならず、私は大事な親友を、数十年前にも失っています。
先程から綴ってきた大学時代の親友の二名の一方、あっちゃんです。
最愛の旦那様とお子様達を残して、あっちゃんが慕ってやまなかった神様のもとに、早々と召されてしまいました。
大学時代、澄んだあっちゃんの深い瞳は、いつも神様を見つめて暮らしているように感じられた私です。
クリスマスシーズンに、美しイルミネーションの瞬く荘厳なカトリック教会で執り行われた葬儀のミサ。
はるばる名古屋から赴いたやっこちゃんと二人で、最後のお別れを棺の前でさせて頂きました。
思い出して綴るうちに、涙がホロリの私です。
去年、妹に高校時代の親友の訃報を知らせた際、
「お姉さまは、親友を早く失うわね~」としみじみと語ったAちゃんです。
他にも友人は多い私ですが、別れは本当に辛く・・・・・・
その上、情けないことに、後悔の念がいつも付きまといます。
そのやるせなさは、たとえようがありません。
家事に追われてばかりで余生を暮らしていては、友情を深めることはままならないでしょう。
体力は益々衰えていく一方ですが、何とか時間を効率的に過ごし、素敵な友人達との交友を一層深められないものか、と。
私を必要とする今の夫の病を思うと、それを叶えるには、相当の努力が必要と思わずにはいられませんが。
電話をかけたり、ささやかな贈り物を届けたり、と感謝の気持ちを表す手立ては色々ありますから。
会う機会が少なくても、そのような心遣いを忘れないようにしたいものです。
五回にわたって長々と、友との想い出を語らせていただいた私でしたが。
綴るうちに、しみじみとした感慨に浸ることとなりました。
今回の記事で、すでに幾度も使用した言葉ですが、私の人生は、如何に多くの友人達によって美しく彩られ、支えられてきた事かと。
親愛なる友への溢れる感謝の思いを胸に抱きつつ、友にまつわる私の人生史を終わりと致します。
長い間、この一連の記事をお読み下さった皆様に、心よりお礼を申し上げます。
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