夫が病の身で(とはいえ、とても元気です)、個人的には外出もままならない平凡な暮らしながら、なぜかブログの話題には全く事欠きませんでした。
けれど、ここ数週間は、決して平凡とは言えませんでしたね。
ソチ冬季オリンピックが始まり、大雪にも二度、見舞われました。
感動と困惑で心が揺さぶられた日々と、と言えばいいのでしょうか。
私は、静かな生活が好き、と言うより、それに慣れてしまったので、余りに心を動かされる出来事には、心身共に弱いところがあります。(笑)
一昨日は、ライブではありませんでしたが、女子フィギアースケートのフリ―演技に感動の余り、朝から少々疲労気味。
選手たちの迫真の華麗な舞を、息を呑む思いで見入ってしまった私です。
結果は分かっていたので、緊張しないで済みましたが、浅田真央さんの完璧な演技には、心が震えるほど感動。
彼女の前日の苦悩とプレッシャーを思い、そこからよく立ち直れたもの、と。
その逞しさと一途さに、目頭が熱くなってしまいました。
彼女のみならず、上位の選手達は、いずれも、素晴らしい氷上の舞いで、僅差の闘いでした。
予定外の事で、2時間近く朝の時間をつぶしてしまった私。
日頃のリズムを取り戻すのに、少々時間はかかりましたが・・・・・
真央ちゃんの素晴らしい演技と、終了後の涙にぬれた清々しい喜びの表情が忘れられず、しばらく感激の余韻に浸っていました。
妹・夢路のブログ(プラチナのように輝いて)から拝借の画像です。
彼女のフリー曲のラフマニノフ・ピアノ協奏曲第二番は、私が大好きな曲の一つです
ですからその曲が使用されたことも、とても印象的で嬉しい事でした。
今後はこの曲を聴く度に、彼女のオリンピック最後の舞が浮かんでしまいそうです。
私達は、スポーツにおいてドラマ的シーンに出逢うと、日頃は絶対味わえないような感動の渦の中に巻き込まれてしまう事がよくありますね~
何故でしょう?
思うにスポーツの成果は、日々のたゆまない努力、鍛錬、忍耐を伴う練習の末の昇華だからかもしれません。
特にオリンピックの選手達の日頃の心身錬磨は、人間の肉体の限界に挑むほどの過酷な物のはずです。
それが実を結び大輪の花を咲かせた時、観る者も、その苦労を思い、感極まってしまうのでしょうか。
今回のフリーの浅田真央さんの演技は、前日の経緯から、それ以上の感動を覚えたのは当然のことのように思います。
オリンピック参加となると、アスリートたちは、突然国代表と言う大きな責任と重荷を負わされてしまいます。
その重圧たるや、大変なものでしょう。
参加することに意義がある、本来は個人技を競うスポーツの祭典(団体戦もありますが)のはずなのに、マスメデイアの盛り上げ方はそれを許しませんね。
私たち国民も、国を意識してみるのは止むをえないことで、当然の成り行きかもしれません。
但し日本人は、スポーツの選手には、懐が深く優しい国民のように思います
勝ち負けで、選手を差別したり、糾弾はしませんよね。
数年前のこと、テレビで耳にしたのですが、国際試合で負けると、殺される危険性さえある国もあるようです。
ワールドカップのサッカー試合の話でしたが。
そこまでの緊張を強いられた選手達は、気の毒としか言いようがありません。
負け、期待に添えないと、途端に冷遇する国は、確かにあるのかもしれません。
選手の自主性を重んじず、国によっては、才能ある個人を、オリンピック選手に長年にわたって仕立てあげる風潮もあるでしょうから。
そうなると、オリンピックの平和の祭典の意義も、次第に薄れてしまいそうです。
オリンピックも、時代の流れとともに、多少の変化はあるのでしょう。
商業主義が強く出た時もありましたね。
今はどうなのでしょう。
オリンピックにおける裏外交は慎むように、との訓示もありましたが。
理想は、最近の記事で一度述べたように、国を問わず、素晴らしい演技をしたすべての選手に同等の拍手が贈られれば、それが一番、オリンピック精神にかなうはず。
オリンピックに参加できた時点で、アスリート達の素晴らしい実績に、心からの賛辞を贈りたい。
東京オリンピック時は、観衆がその精神を大事にして観戦することを心がけたなら、類ない素晴らしい雰囲気のオリンピックになる、と私は確信します。
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