今日(3日)は立春。
今後は、春の微笑みが至る所で、そこはかと感じられてくるのでしょうか。
嬉しい限りです。
昨日の予報では、今朝から寒波が襲ってくるとのことでしたが、5時過ぎの我が家の室温は16度。
心配したほど寒くなく、ほっとしていますが、日中は如何に?
(予報通り、日が昇るとともに、次第に寒さが厳しくなり、午後には淡い初雪が舞い落ちました。)
立春の日に、友についての最終章を綴れることに、さほどの理由があるわけではないのですが、単純に嬉しく感じてしまう私です。
懐かしい友人達のことを日々綴るうちに、私の心はほっこりと温まり、一足早い春を迎えたかのような心境でしたから。
さて、今日は帰国後に恵まれた親愛なる友人達について書くことに致します。
帰国して我が家が落ち着いた場所は、東横線の渋谷から数駅の鷹番に所在した家族寮。
経堂の時と同様に閑静な住宅地のなかにあり、、広大な敷地に数棟の四階建ての建物が立ち並んでいました。
この寮で、私はまた尊敬して止まない素晴らしい友人に巡り会うことができました。
お名前は、Hさん。
更にその友を通して、家族寮の方ではありませんでしたが、同様のお人柄の友人Kさんにも巡り会えたのです。
我が家にも数度お招きし、細く長くその後も親交が続いています。
Hさんは、ご家族そろって敬虔なクリスチャンで、奥様の心の清らかさはたとえようがないほど。
その上、天性の明るさを備えた方ですから、いつも周りを照らし、私もどんなに多くの元気を頂いたかわかりません。
次女の受験期には、同年齢のお子様がHさんにもいらっしゃいました。
偶然にも、ほとんど時期を同じくして、マイホームを建築し、引っ越しまししたが・・・・・・
お互いに、厚い信頼感で、その後も結ばれていた私達です。
娘の家庭教師をご紹介したり、次女が大学生になった時は、三女の方の家庭教師をさせていただいたり、と色々と密な交流が、寮を出てからも続きました。
マイホームの建築前後に、私はさらに運命的な出会いがあり、そのお付き合いは、何と25年間、続いています。
次女が受験中のこと。
その学校最寄りの喫茶店で、子供達の試験が終了するまでの時間を共に過ごした数人の母親達。
その私達が発起人となり始めた会が、名称はよつば会となり、25年間経つ今も、中断することなく続いています。
このブログにも、その集いについて幾度か綴ってきた私です。
同じ価値観を共有する人達の集まりは、何と心地よい事でしょう。
まるで真綿に包まれたような優しい時間がいつも流れます。
その時の話題も年相応に変化し、多くのことを皆さんから学ばせて頂きました。
そして、そのメンバーのお一人でいらっしゃるNさん。
とてもお美しくて、態度はいつも控えめ。
けれど、芯は実にしっかりした方です。
私は、ほかの方同様、敬愛して止まないNさんですが、その方の私への信頼は並はずれていらっしゃり・・・・・・
本当に見め麗しく清らかな雰囲気のお嬢様を、長女婿の弟さんに、ご紹介して数カ月で嫁がせてしまい、遠縁の親戚関係に。
共に中学受験したのは、そのお姉さまで、次女とは大学まで一緒でした
病院にも、お母様とお二人でお見舞いに来て下さいました。
お嬢様の幸せに満ちたお話しを伺い、責任を果たせた喜びを改めてかみしめ、胸が熱くなったものです。
この記事も綴り、草稿のままで保存しているのですが、過去記事の公開を途中でやめてしまったものですから、そのままになっています。
近日中に、数ヶ月前の過去記事ですが、公開しようかしら。
この会のお付き合いは、二十数年にも及ぶゆえ、その間に、身につまされるような悲しい出来ごとを耳にするのはやむを得ないことですね~
病を患われたり、、ご主人様を亡くされたり、と。
その度に支え合い励まし合ってきた私達の温かな交流は、今後も途絶えることはないでしょう。
そして残すは、近所の信頼する友と学生時代の親友についてとなりました。
私は、これまで環境が変わるたびに、幸いにも、親友といってよいほどの親密な関係を築くことのできる友に、その都度恵まれてきました。
しかし今までは仮住まいでしたから、物理的なお別れはどうすることもできませんでした。
皆さん、介護やお孫さんのお世話で忙しく、再三お会いする事は叶わなくなりましたが、心の絆はゆるぎないものであ事を確信できます。
一方、マイホームを構えてから、またもや、私は良き友に恵まれています。
率直にお伝えするなら、私は今住む地域で、生まれて初めて人間関係の難しさ、煩わしさをを思い知ることになりました。
自治会の班長をしている時から、価値観の異なる人達の理解に苦しむ言動に悩んだものでしたが、今は当たらず障らずで、穏やかな人間関係を築いています。
最近も、そのグループのお一人の方が寄っていらっしゃり、ご近所の旦那さまの浮気について噂話をなさろうとされました。
私が、「他家の内情が他人に分かるはずはないでしょう。
単なるうわさでしょう」
と言って一笑に付したところ、
「本当なのよ~」
と言いながら、さすがに恥ずかしそうに、私のもとを離れて行かれました。
他にも、理解できない言動が再三あり、少々住みにくさを感じないわけではありませんが・・・・・・
私より一回りお若く、とても才能豊かな奥様が、私を信頼して下さり、最良の理解者として、斜め向かいにお住まいです。
娘時代には海外に留学され、その時出逢った方と結ばれ、実に堅実でお幸せな結婚生活を築いていらっしゃいます。
三人のお子様を立派にお育てになり、最近は、お母様の介護でお忙しくていらっしゃるようですが。
私に厚い信頼を寄せて下さり、私はその期待に十分応えられないまま、歳を重ね、
今では心もとなくなってきた私が、この方を頼っているのが現状です。
Fさんの存在が、どんなにか私の日々の心の支えになっていることでしょう。
折々で、優しいお心遣いを頂戴し、、最近ではお買い物をいつでもするので、遠慮なく声をかけるように、と再々おっしゃって下さいます。
東日本大震災直後は、成城石井のス―パの前に朝早く並ばれ、毎回そこからお電話を頂きました。
足りないものを買って届けますから、と。
その時は、あまりに厳しい状況でしたから、そのお言葉に甘えさせてもらったものです。
近所で嫌なことがたまにあっても、同じ価値観同士の私達は、語り合う事で、いつもすぐ元気復活。
たちまち前向きのの暮らしに私は戻れます
ご近所で巡り会えた良き友は、一生のお付き合い故、本当に心強く、Fさんの友情への感謝の気持ちは、言葉で言い尽くせないほどです。
終の棲家に至るまで、環境が変わるたびに親友が出来た私は、果報者なのでしょう。
このような友情の原点は、やはり学生時代の友達。
私にとり、学生時代の交友は、友情の原風景で、ここからその後のお付き合いが発展していきました。
ゆえに、その頃の友人は、今なお輝きを失うことなく、、私の人生の貴重な宝物です。
その友のことについて、取って付けたようにこれ以上最後に綴るのは、なんだか忍びなくなってきました。
ここまで、ひたすら忍耐しお読み下さった皆さまには、心よりお詫び申し上げますが、もう一章付け加えさせて下さい。
次回の記事で、友人にかかわる私の自分史は本当に終わりといたします。
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