週末の夜、大学の同級生が集まった。
昨年の夏に、同級生の一人が呼びかけてくれて、再会したのだが、
その時に彼が「毎年恒例にするよ」と言っていたのが実現した。
ちょうど、大阪在住の同級生が上京する、という「きっかけ」があったことも大きい。
今年も、その彼が大阪から参加。
人数も昨年より増えて、11人。
このペースでいけば来年はまた増えることだろう。
ここ数年、数か月ごとに舞台鑑賞に付き合ってくれている友人も、同じく同級生のダンナ様と一緒に参加。
彼女のダンナ様に会うのは彼女の結婚式以来ではないだろうか。
卒業してから初めて会う、っていう友人も何人かいたが、そしてそれは昨年も同じだったが、
ホントにあっという間にあのころにタイムスリップする。
ルックスはそれなりに経年変化しているが、本質的なところって変わらない。
私達は工業大学の建築学科を卒業したのだが、当時、女子はホントに少なかった。
120人余りの中、たったの4人。
一人は途中で学校を辞め、もう一人は不慮の事故で20代で亡くなってしまい、
二人だけになってしまった。
たまたまだったのかもしれないが、私たちの周りにいた男子学生は、浪人していて年上、って人が多かった。
そのせいか、田舎から出てきて危なっかしい私たちを、妹を見るかのように見守っていてくれたように思う。
この日、みんなの話を聞いていると、ホントにいろんなことを思いだす。
優しく寛大な人たちだったとしみじみ思う。
そしてそれは今も変わっていない。
あのころの私は、人生のどん底にいたと思う。
二十歳そこそこの小娘は、それまで優しかったはずの大人たちのむき出しの悪意にさらされ、途方に暮れていた。
けれど、いっしょに途方にくれながらも、力をあわせて切りぬけてくれた妹や、
支えてくれた恋人、大学生活の送るためのさまざなフォローをしてくれた女友達、
まるで兄のように暖かく見守ってくれた男友達、課題の提出の前日には深夜に駆けつけて手伝ってくれた後輩たち、
バイト先で知り合った大人たちが与えてくれた善意の数々・・・に助けられていた。
そして、この友人達の一人は後に私の夫となり、今に至っている。
人の優しさ・暖かさを一番感じたのもまぎれもなくあのころだ。
とりわけ、この日も参加していた女友達にはどれほど助けられたことか。
彼女がいなければ卒業できなかったにちがいない。
彼女の屈託のない明るさのおかげで私は「普通」を忘れずにいられた。
感謝の気持ちでいっぱいだ。
あのころ、私は本当にハードな日々を送っていて、いつもいつもなんだか大変って思っていた。
けれど「不幸」ではなかったんだ、と思う。
私や妹を取り巻く暖かい人たちのおかげで、私たちは「寂しく、悲しい人」にならずにすんだ。
もし、あの日々を不幸と思っていたなら、そして、今も不幸な日々を送っていたなら、
こうやって当時の友人たちに会おうなんて思えないはず。
私達は出会う人に恵まれていたと思う。
遠く離れていても、折に触れ、心配し、気にかけてくれていた幼馴染たちは、今も変わらずあたたかい。
中学のサマースクールで出会った友人たちに会うと、とてつもないパワーを充電できる。
高校の友人たちに会うと、将来の不安などみじんも考えずに前だけを見ていた時のキラキラした気持ちを思い出し、
心がリセットされて、また前向きな気持ちになる。
仕事で出会った友人達は、同じ世界でなければわからないことのよき理解者であり、
同じ目的に向かう同志だ。
それぞれの場所で出会った たくさんの人たちは一生の宝物だとしみじみ思う。
さて、この日、大阪から来た友人が、私にプレゼントをくれた。
それは落款印。
彼は建築関係の仕事から転身して、奥様のご実家の家業であるハンコ屋さんになっている。
http://www.meiko-han.co.jp/
落款印は彼が自身でわざわざ彫ってくれたもの。
ホントにうれしい
どうしても押して見たくなったので、数日後、ちょっと書いて押してみた。
ハンコがいいと字が上手に見える。
これを彼に見せたところ、彼の師匠でもあるお義父さまが、仮名に合うものを、とデザインしてくださった。
そして彼がこれを彫ってくれるという。
めちゃめちゃかわいいし、もったいなさすぎる。
こんなことなら、もっと書道を精進しておくんだった。
などと、楽しいこと満載の同期会でした。
みなさん、ありがとう。
また、来年もお会いしましょう
昨年の夏に、同級生の一人が呼びかけてくれて、再会したのだが、
その時に彼が「毎年恒例にするよ」と言っていたのが実現した。
ちょうど、大阪在住の同級生が上京する、という「きっかけ」があったことも大きい。
今年も、その彼が大阪から参加。
人数も昨年より増えて、11人。
このペースでいけば来年はまた増えることだろう。
ここ数年、数か月ごとに舞台鑑賞に付き合ってくれている友人も、同じく同級生のダンナ様と一緒に参加。
彼女のダンナ様に会うのは彼女の結婚式以来ではないだろうか。
卒業してから初めて会う、っていう友人も何人かいたが、そしてそれは昨年も同じだったが、
ホントにあっという間にあのころにタイムスリップする。
ルックスはそれなりに経年変化しているが、本質的なところって変わらない。
私達は工業大学の建築学科を卒業したのだが、当時、女子はホントに少なかった。
120人余りの中、たったの4人。
一人は途中で学校を辞め、もう一人は不慮の事故で20代で亡くなってしまい、
二人だけになってしまった。
たまたまだったのかもしれないが、私たちの周りにいた男子学生は、浪人していて年上、って人が多かった。
そのせいか、田舎から出てきて危なっかしい私たちを、妹を見るかのように見守っていてくれたように思う。
この日、みんなの話を聞いていると、ホントにいろんなことを思いだす。
優しく寛大な人たちだったとしみじみ思う。
そしてそれは今も変わっていない。
あのころの私は、人生のどん底にいたと思う。
二十歳そこそこの小娘は、それまで優しかったはずの大人たちのむき出しの悪意にさらされ、途方に暮れていた。
けれど、いっしょに途方にくれながらも、力をあわせて切りぬけてくれた妹や、
支えてくれた恋人、大学生活の送るためのさまざなフォローをしてくれた女友達、
まるで兄のように暖かく見守ってくれた男友達、課題の提出の前日には深夜に駆けつけて手伝ってくれた後輩たち、
バイト先で知り合った大人たちが与えてくれた善意の数々・・・に助けられていた。
そして、この友人達の一人は後に私の夫となり、今に至っている。
人の優しさ・暖かさを一番感じたのもまぎれもなくあのころだ。
とりわけ、この日も参加していた女友達にはどれほど助けられたことか。
彼女がいなければ卒業できなかったにちがいない。
彼女の屈託のない明るさのおかげで私は「普通」を忘れずにいられた。
感謝の気持ちでいっぱいだ。
あのころ、私は本当にハードな日々を送っていて、いつもいつもなんだか大変って思っていた。
けれど「不幸」ではなかったんだ、と思う。
私や妹を取り巻く暖かい人たちのおかげで、私たちは「寂しく、悲しい人」にならずにすんだ。
もし、あの日々を不幸と思っていたなら、そして、今も不幸な日々を送っていたなら、
こうやって当時の友人たちに会おうなんて思えないはず。
私達は出会う人に恵まれていたと思う。
遠く離れていても、折に触れ、心配し、気にかけてくれていた幼馴染たちは、今も変わらずあたたかい。
中学のサマースクールで出会った友人たちに会うと、とてつもないパワーを充電できる。
高校の友人たちに会うと、将来の不安などみじんも考えずに前だけを見ていた時のキラキラした気持ちを思い出し、
心がリセットされて、また前向きな気持ちになる。
仕事で出会った友人達は、同じ世界でなければわからないことのよき理解者であり、
同じ目的に向かう同志だ。
それぞれの場所で出会った たくさんの人たちは一生の宝物だとしみじみ思う。
さて、この日、大阪から来た友人が、私にプレゼントをくれた。
それは落款印。
彼は建築関係の仕事から転身して、奥様のご実家の家業であるハンコ屋さんになっている。
http://www.meiko-han.co.jp/
落款印は彼が自身でわざわざ彫ってくれたもの。
ホントにうれしい
どうしても押して見たくなったので、数日後、ちょっと書いて押してみた。
ハンコがいいと字が上手に見える。
これを彼に見せたところ、彼の師匠でもあるお義父さまが、仮名に合うものを、とデザインしてくださった。
そして彼がこれを彫ってくれるという。
めちゃめちゃかわいいし、もったいなさすぎる。
こんなことなら、もっと書道を精進しておくんだった。
などと、楽しいこと満載の同期会でした。
みなさん、ありがとう。
また、来年もお会いしましょう