ゆるゆるらいふ

とりあえず、今日も一日機嫌よく・・・

桜Spring

2016年03月19日 | フラワーアレンジメント

 

今月のシーズンフラワーは「桜Spring」

この季節ならではのアレンジだ

花材は春いっぱいの花たち。

まだつぼみの桜。



ピンクのスイトピー



2種類のチューリップ



今回の器は、300円ショップの布製のBOX
この中に新聞紙を丸めて入れて底上げをし、セロファンを敷いてオアシスをセット。



この中に花を挿していく。

BOXにピンクのリボンをあしらったらできあがり。



玄関に飾ります。




さて、レッスン日当日はまだまだ蕾だった桜も、2日も過ぎると、ほぼ満開に。



ここから先は散るのが早いけれど。

世の中ではちらほら桜が咲き始めたようだ。

我が家の庭の桜は、まだまだ堅い蕾。



4月が待ち遠しい。





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【観劇メモ】逆鱗

2016年03月06日 | 演劇
野田秀樹さんの舞台はいつも私にはちょっと難しくて、
観終ったあとに???ってことが多く、ここしばらくの間離れていたけれど、
今回は友人と「そろそろ行ってみる?」ってことになった。

劇場の入り口前にはこんな模型が。



あとでわかるのだけれど、紐で引っ張られてるのが瑛太クン、引っ張ってるのが松たか子さん。
人魚の世界に引っ張り込まれるシーンだ。

オープン間近の水族館の空っぽの水槽の前から物語は始まる。
言葉遊びや時事ネタ、モノマネで観客がドッと笑ったり、くすくすしたり・・・。
あれ?今回はドタバタコメディ?なんて思いながら観ているうちに、
いつのまにか重苦しい空気に徐々に変化していく。

電報を配達に来た、瑛太クンが演じる「モガリ サマヨウ」なる人物が
NINGYOの松たか子さんに人魚の世界に連れていかれたり、
水族館で潜水夫(劇中では潜水鵜と呼ばれてる)にさせられたり・・・。
このときに配達するはずだった電報は「バシャハカエリミチ」
この電報が届かないまま話が進んで・・・後の悲劇へとつながっていく。

人魚の長老は銀粉蝶さん。
人魚は子供の方が先に死ぬ・・というセリフがこの後の出来事の伏線になっていることはもちろんわからない。

阿部サダヲさんが演じる「サキモリ オモウ」と言う人物は、
なんとなく人々の中間にいて、自分の意思を貫けず、上からの圧力に屈し、
あくまでも自分の意志で次にすることを決定しているかのように誘導されていく。

水族館の館長 鵜飼綱元の池田成志さん、その娘で人魚の研究をしているという鵜飼ザコを演じる井上真央さん、
ザコの先生である柿本魚麻呂(かきのもとのさかなまろ)の野田秀樹さんら3人が後に人々を操っていく。
だけど柿本魚麻呂はお飾りで、首謀者はザコ?なんて思いながら観て行くと、やがて人魚は人間魚雷へと姿を変えて行く。
その昔、「花より男子」で真っ直ぐな女の子だった真央ちゃんが、冷たく不敵な笑みを浮かべている。
ああ、こんなに大人になったのね

ザコの言うことを、子供のようなキラキラとした瞳でなんでも聞いてしまう「イルカくん」に満島真之介さん。
サカナクンのような帽子をかぶり、イルカの調教をするはずだった彼は、疑うことなく人間魚雷に・・・。


舞台の上にずらっと並んだ、魚雷は太平洋戦争末期の人間魚雷「回天」を想像させて、
ついさっきまで笑っていたのに、背中がうすら寒くなってくる。

標的となっている沖の船は、すでに積み荷(爆弾)をおろし、帰路についているから、撃沈しても無駄、
と言うことは上層部は承知しているが、作戦はやめられない。

それをうすうすわかりつつ、葛藤しつつ粛々と発射命令を出し続けるサキモリ。
粗末な人間魚雷からは爆音も聞こえず、ただただ海の藻屑となっていく。
迷い、自問自答しながら、悲壮感を漂わせて発射命令を下す阿部さんを見てると、
「お願いだからもうやめて!」と心が痛くなる。

人間魚雷一基を、それぞれ一人の人魚が押して消えて行くのだけれど、
少し前まできらきらと美しかった人魚達が、目の周りを黒く塗った悪魔のような形相に変わっていて、
一段と恐ろしさと絶望感を誘う。
人魚は人間魚雷そのものだったのか。

最後の一人の瑛太クンの乗った人間魚雷が発射され、一人残った阿部さんの頭上から玉音放送が流れてくる。
海の底に知らせが来るのに時間がかかり、戦争は3日前にすでに終わっていたのだ・・・。

瑛太クンの魚雷が発射される時に一緒に海に飛び出す、人魚の松たか子さんが最後に叫ぶ絞り出すような声が耳について離れない。

あんなに笑っていたのに、最後は涙をこらえ、終わった後も何とも言えない虚脱感に襲われる。


ほんの数日前、朝日新聞の1面のすみっこにこんな言葉が載っていた。



劇中「自分で考えて、自分で決めたのだろう?」というような念押しが何度も繰り返されていたときに、
この言葉を思い出していた。

恐ろしい・・・。

今、この国の偉い人たちの動きがなにやら胡散臭い。
いろいろな「リアル」知らない人たちの議論ってホントに違和感があって、気持ちが悪い。

こういう人たちにこそ観てほしい、と心から思った。

久々の野田秀樹さんの舞台は、やっぱり難しかったけれど、行ってよかった。

一緒に行った友達は、今まで頻繁に観劇に付き合ってくれていたのだけれど、
昨年後半から、遠距離介護がはじまり、11月に「ブロッケンの妖怪」に一緒に行って以来、久しぶり。

一時期は毎週末 山形まで帰っていた彼女は、かなり疲れていて、ずっと風邪をひいている。

フルタイムで普通の人よりかなり忙しく働いている彼女だが、介護の現実の前にはなすすべもない。
一億総活躍できる社会ってなんだろう。

戦争中に遥か上から命令を下していた人たちも、今この時も上のほうでよくわからない理想を議論している人たちも、
もう少し下界に降りてきて、「リアル」を感じていただきたいものだ。

と憤りを感じつつ、久々のゆっくりとした観劇を楽しんだ私たちは、地元に帰り、日付が変わる直前まで、
飲んで食べてしゃべり倒したのでした。















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春の気配

2016年03月05日 | 季節
すっかり春めいてきた青空にひこうき雲。

まるで、じゃあまたね~と別々の方向に飛び立っていくようだ。

このところの暖かさで、茶色くくすんでいた庭が、少しずつ彩りを増す。

足元にはいつのまにか土筆がいっぱい。



春の花があちこちに。



 

夏みかんは今年も豊作。



この季節の楽しみは何と言ってもクリスマスローズ。

 

地植えにしたら、毎年じわじわと増えている。

ヤマボウシの木の足元に



ツルニチニチソウにまみれて、グダグダに咲いているクリスマスローズもけなげでかわいい。

ウンナンオウバイも咲き始めた。




息子二人の我が家では、ちゃんとしたお雛様はないけれど、自分のために小さなお雛様をあちこちに飾る。

春の気分が一気に盛り上がる。

床の間や



玄関

 

トイレのニッチ



テレビの上のごちゃごちゃコーナー



明日は、片付けないと・・・。


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バカ田大学

2016年03月02日 | ガーデニング
かの東京大学の一角にバカ田大学が開校した。
早稲田の隣、じゃない。

赤塚不二夫生誕80周年のイベントだ。

各界の著名人が日替わりで1時間の講義をする。
鴻上尚史さんの講義に行きたかったのだけれど、チケットが取れず、第二希望の茂木健一郎さんの講義に夫と出かけて行く。

東大に行くのはもちろん初めて。
平日なので、赤門前で夫と待ち合わせ。

地下鉄の駅を降りて、こっちかな、と見切り発車で歩き出す。
駅からすぐ、をイメージしていたので歩きながら不安になり、
佐川急便のお兄さんにこの方向でいいかどうかをついつい尋ねてしまう。
お兄さんは、「あってますよ。もう少し行くと右に見えてきます」とちょっとクスって感じで教えてくれた。

初めての東大の印象は、とにかく広い
都心にこの面積って固定資産税はいったいとか下世話なことを考えてしまう。
以前、学習院に行ったときも、あまりの広さに驚いたものだ。
都心の駅前に馬場まであって、夜なら遭難しそう、なんて感じたくらい。

暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる安田講堂を見ながら、そのすぐ右手の山上会館へ。



受講票とノートを受付でいただき、席に着く。



もっと、満席状態なのかと思ったら意外とそうでもなかった。

そうこうしているうちに、ラフな姿の茂木先生が登場し、「天才とはなにか」についての講義が始まる。
そもそもの共通認識を、ってところから、むずかしくてついていけない。

茂木先生はどうやら、がりがりと勉強をして努力で東大に入ったり、
その上を目指して地位を確立した人たちを天才とは認めないらしい。

天才とまでは行かなくても、東大に入れるくらい努力できるってことがそもそも才能なんじゃないか、
などど超凡人は思ってしまう。

勉強をし続ける、とか集中力を持続させる、とか、そのことを苦と思わないっていう才能もあるはずだ。
少なくとも私にはない・・・。

天才=賢さ×愚かさ

と茂木さんはおっしゃる。

なんとなくわかる気がする、と思ったのは講義終了後の質疑応答の時間。

たくさんお勉強をして、高学歴とお見受けする皆さんが自信たっぷりに放つ質問、と言うか持論がどうも論点がずれている。
そのことを茂木さんが指摘しても、話しは堂々巡り。
自信あふれる皆さんは、自身のお考えをやわらかく否定されていることにいっこうに気付かないご様子。
ご自身を天才かのようにおっしゃっている方や、天才の作り方がわかった、などとおっしゃる方も。

ちょっとヤバい・・・。
確かに成績はいい方々のようだが、あきらかに天才ではないなあ。

苦笑しながらも一人一人に丁寧に答えてらっしゃる茂木さんの様子がいきなり豹変したのは、最後の質問者が手を挙げたとき。

私達の右斜め前、教室の中央にたくさんの荷物を広げて座っている彼女は、確かに最初からちょっと違和感があった。
講義中、一人でぶつぶつ話し出したり、五郎丸のようなポーズをしたかと思えば、お祓いのように手を振ったり・・・。

健一郎さん、と呼びかける彼女に、茂木さんの物言いは冷たい。

なんとなく皆がきょとんとしていると、「彼女は僕のストーカーなんです」とおっしゃる。

茂木さんのサイトに1日に何度も書き込みをし、このテの講演にも顔をだし、よくわからない質問をしているらしい。

ちょっとスリリングな空気が教室内に漂う。

時間も過ぎたことだし、と質問を打ち切って片づけを始めた茂木さんの元へ、花を携えて彼女が近づいて行ったが、
私達はその結果を見ずに教室を後にした。

結果的になんだか不思議なことになってしまったけれど、楽しくも貴重な経験だった。

こんなことでもなければ、東大に足を踏み入れることなんて死ぬまでなかったと思う。

大学生の頃を思い出し、今から学校に行ったらもっとまじめに勉強するのになあ、なんて思った夜でした。








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