ゆるゆるらいふ

とりあえず、今日も一日機嫌よく・・・

【観劇メモ】書く女

2016年01月24日 | 演劇
今年初めての舞台は、永井愛さん作・演出、黒木華さん主演の「書く女」。

樋口一葉のお話だ。

永井さんはこの日もロビーで、ご著書を購入した人にサインをしてらっしゃる。

24歳の若さで亡くなった樋口一葉の太く短い生涯のうちの、もっとも激動の日々、
「奇跡の14か月」と言われる時期にスポットを当てている。

半井桃水に師事し、叶わぬ恋におち、それをエネルギーに書きつづける一葉。
桃水を演じるのは平岳大さん。

テレビドラマの「64」や「下町ロケット」ではなんだかずるくていや~な役だったけれど、
今回は、コミカルないい人。
一葉のことをきっと好きなのに、男友達だと思ってください、なんてとぼけたことを言っちゃう。

一葉が初めて書いた自信たっぷりの小説は、桃水にけちょんけちょんに言われちゃうけれど、
徐々に頭角を現し、やがては売れっ子になっていくが、なんだかずっと貧乏。

遊郭の近くで小間物屋を開いた時にかかわった、遊郭を取り巻く人たちとの交流や、
オトナの社会がそのまま子供に反映されている様子を見たりして、「社会」を感じる一葉は
やがて、「たけくらべ」でその世界を描き出すことになる。

売れたら売れたで、色々な人が周りに集まって、ファンができたり、批判にさらされたり・・・。

極度の近眼で、いつも眉間にしわを寄せ、目を細めて前かがみでぼそぼそ話す一葉が、
自分を批判しにくる評論家気取りの面々の前では、胸を張り、やや見下ろすように
毅然として声高に理路整然と論破する姿は、見ていて気持ちがいい。

士族の誇りをもち、女に学問はいらない、といいつつ、一葉に生活のすべてをゆだねる、という
なんだかやりたい放題の母親、樋口たきに木野花さん。

ものすごく勝手なんだけれど、時折見せる母心がとってもキュート。
木野花さん、はまりすぎ

妹、樋口くに(朝倉あきさん)と母とのどたばたのやり取りがホントに楽しい。

そこに、一葉の友人たちも加わって、ともすれば暗く地味なひたすら書きまくる一葉の日々に
暖かな明るい光がさすようだ。

高熱にうなされ、夢なのかうつつなのか、出会った人たちに感謝して、24歳の生涯を閉じる一葉。

私の息子は今年24歳。
母としては、とても彼に生活のすべてを背負わせることはできない。
そう考えると、それを押し付けちゃった母にもびっくりだし、全部背負った一葉もすごい。
「書く」ということに出会えて本当に良かったな、と思う。
ただ、生活のために好きでもない仕事をして、過労で亡くなったのでは悲しすぎる。

ずいぶん前に「こまつ座」の「頭痛肩こり樋口一葉」を見たけれど、こちらの樋口一葉は、もっと必死でつらそうだった、気がする。

黒木さんのキャラもあってか、今回の一葉はなんだか天然ボケが入ってる感じでチャーミング。

もっと長生きしてたら、たくさんの名作を世に送り出していたのか、それとも短い人生だったから大作が書けたのか。

今となっては知る由もないけれど、とにかくだらだらと人生を過ごすよりは凝縮された人生だったことだろう。

この舞台の奥の方にはピアノが1台。
ピアノの音だけで、楽しい気持ちや不穏な空気が見事に伝わってきて素敵だった。

今回、お付き合いしてくれたのは、大学時代の友人。
彼女とも今年初顔合わせ。

ホントは早めに行ってランチ、って言うのが恒例なんだけれど、急に午前中に打ち合わせが入ってしまい、
観劇後に早めの夕食をいただくことに。

せっかく遠くから出てきてくれたのに、しかも私が誘ったのになんだか申し訳ない

新年早々、こんな風だけど、これに懲りず今年もよろしくお付き合いくださいませ。









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ダブルガーデンアレンジ

2016年01月22日 | フラワーアレンジメント

あっというまにお正月が過ぎ、アレンジのレッスンも春のお花が登場

ラナンキュラス、チューリップ、矢車草、スイトピー、カーネーション、ピンクのマトリカリア、スターチス・・・

何と言っても春の花は色がきれいでふわっと優しい。

こんなブリキの2段の花器に



春のお庭をイメージしてアレンジしていく。

生花はプリザーブドと違って、ワイヤリングなどの下準備もいらないし、今回はニガテな工作っぽい作業もないので
手の遅い私でも、比較的ちゃっちゃと進んだ。

最後に毛糸を巻きつけるのがちょっと手間取ったけど
リボンを巻くとかこういうのがホントにニガテ・・・。

毛糸はビミョーだけど、とりあえず完成。



松がメインのお正月のアレンジを片付けた玄関が一気に春らしくなった。

来月は、普段の「ホビーコース」とかけもちしている「インテリアセレモニーコース」の課題にある
「バースディアレンジ」をやってみようと思う。
レッスン日の3日後が母の83歳の誕生日だから・・・。
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七回忌

2016年01月18日 | イベント

抜けるような青空の下、夫と私は喪服を着て、歩いて5分のお寺へと向かう。

この日は、隣に住んでいた、夫の親戚のおじいさんの七回忌だ。

夫やその家族は「おじさん」と呼んでいたが、実際は伯父ではなく義父のイトコにあたる人。
早くに父親を亡くした義父は義祖母と一緒に、本家であるこのおじさんの家で、大人になるまで兄弟のように暮らしたらしい。

私が夫と結婚したとき、義父はすでに病床についており、そののち20余年間介護が必要な生活を送ることとなる。

その間「おじさん」は夫の家族のことを気にかけてくれ、何かと面倒を見てくれていた。

ひょんなことから「おじさん」の土地に建物を建てるお手伝いをすることになり、
いつのまにか、お隣にすむようになっていた。

ある日、たまたま用事があって声をかけたら、体調を崩してこたつの中でぐったりしていたのを発見して以来3年間ほど、
介護っぽいことをすることになった。

介護と言っても、週に何日かの夕食運びや、病院の送迎、ヘルパーさんの手配など、
世間一般の介護をしている方に比べたらほんのプチ介護だ。

生涯独身で、一人で生きる覚悟を決めていた「おじさん」は決して甘えない。
基本的に自分でできることは自分でやり、いよいよの時だけ私たちが手を貸す。

具合が悪くてもとことんまで我慢するので、即入院って時もあった。

戦争中、シベリアに抑留されていたというから、我慢強さもハンパじゃない。

腰が痛い、と言うので、整形外科に連れて行ったり、内科にも行ったりしたけれど、80歳を過ぎるとだいたい老化で片付けられて
ちゃんと検査もしてもらえないうちに、ある年の大晦日、突然、モノが呑み込めない、と言う。

年越しそばを1cm位のぶつ切りにしてもだめ、飲み物も受け付けない。

お正月が明けて、病院に行ったらそのまま入院。
末期の胃がんだとわかり、1か月もたたないうちに亡くなってしまった。

きっとものすごく痛かったに違いないのに、そんな風に見せなかったのもすごいし、
ほとんど私たちに面倒をかけず、財産の処理もきちんと済ませていてあっぱれな最期だった。

もう丸6年もたったんだな~と月日の流れの早さをじわ~っとかみしめながら、お寺のご住職のお話を聞く。
あのとき中学の合唱大会を途中で抜け出して告別式に参列した次男も成人式を迎えた。

声が大きく、滑舌のいい、浄土宗のご住職が「明るく、楽しく、仲良く」と繰り返しおっしゃっている。

お焼香とは、香を焚いた後の煙が故人を供養しているらしい。

自分の知っている故人だけでなく、そのずっと前に亡くなったたくさんのご先祖の誰が欠けても
あなたがこの世に存在しなかったことを感じて、ご先祖様にも思いを馳せてほしいともおっしゃる。

このお寺のご住職のお話はとても分かりやすい。

お寺は数年前に建て替えたばかりで、新しくて、きれい。

本堂の天井に描かれている現世の季節の花や鳥、極楽の色鮮やかな世界。

ちょっと普段目にしない幻想的な雰囲気にしばし引き込まれていたけれど、
現実的な夫やその家族に「行くよ!」と言われて、本堂を出る。
ここで、写経でも教えていただきたいくらいだ。

お墓にお参りし、11人だけのこじんまりとしたお食事会もあっという間に終わり、七回忌は無事に終了。

お隣はずっと空き家のままだけれど、昨年に引き続き、2月に夫のイトコ会主催の餅つき大会の会場となる。

生前、私が次男と一緒に夕食を運んでいくと、お年寄りにも容赦ないヘビーなおかずでも、
こたつに入ってテレビを見ながら、にこにこと「ありがとう」と言ってくれる。

次男がこたつにもぐりこみ、「こっちの方がおもしろいよ」と勝手にアニメにチャンネルを変えるのを、
これまたにこにこと見ている姿を思い出すと、今でもちょっと切なくなる。

あんなふうに歳をとりたいな~と思う今日この頃である。






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祝・成人

2016年01月12日 | イベント

1月10日の朝、次男と中学の同級生二人は、成人式の式典会場へ向かう。
私達が住む市は、例年成人の日の1日前に式典を催す。

新成人たちは、そのあと、同窓会とかクラス会とか友達同士の飲み会とか、夜遅くまで遊びまわるので、
次の日が祝日でお休みっていうのは気が利いてる、と思う。

案の定、式典から一度帰っては来たものの、そのあとは中学の同窓会へ、そこから中学のクラス会へと流れ、
彼が帰宅したのは深夜1時を回っていた。

でも、そんな時間、我が家にはまだお客様が・・・。

そう、この日の夕方から、親たちも我が家に集まって飲んでいた
ここまで無事に育てたお疲れ様会と新年会をかねて・・・。

長男の保育園時代のお友達の保護者の集まりが今も続いていて、
そのつながりから、お付き合いが広がり、いつのまにか、保育園の枠を超えたメンバーが増えている。

皆、夫婦ともフルタイムで働いているので、子供たちにはあまり手をかけられなかった。
幼少期のトイレトレーニングをはじめ、基本的なさまざまなことは保育園でしつけてもらった、といっても過言ではない。

でも、子供たちはたくましく育ってくれた。
保育園時代の友人は友人と言うより兄弟に近いような。
親たちも保護者同士のお友達というより、お互いの都合の悪いときに助け合ってなんとかその場を乗り切っていた同志のような存在だ。

みんなあまり子供たちのお勉強に力を入れてこなかったので、ずば抜けていい大学に行ったりはしてないけれど、
私達はとりあえず、大きな病気やけがをさせることもなく、無事に生きて20歳を迎えられることを、
同級生やその兄弟姉妹たちが20歳になるたびに祝っている。

そして、親同士、お互いの労をねぎらう。

「私たちもがんばったよね~」と。

今回の宴会には、長男やその友人二人と友人の弟クンも参加している。
弟クンは来年成人式だ。

さて、我が家の宴会はみんなで持ち寄りっていうのが定着している。

私が用意しただけだと



ちょっとスカスカだけど、みんなが揃うと、



一気にどか~んと居酒屋の宴会感が増す。

お料理が上手な友人の一人はお祝いに鯛を煮付けてきてくれる。



物凄く美味しい

こういう集まりを始めたころ、子供たちはとにかくじっとしていなくて、
ばたばた走り回ったり、押し入れなどの中に入ってかくれんぼをしたり、
ケンカして泣いて騒いで、と落ち着いて話なんてしていられなかった。

それが今は、大人たちと同じテーブルで、お酒も飲んじゃったりしている。

私達もあのころはバリバリ仕事していたけれど、少し先には「定年」の二文字が見えてきている。
実際、この日の参加者の男性のひとりはこの3月に定年を迎える。

月日の経つのはホントに早い。

長男は男の子にありがちな小さいころによく熱を出すってくらいだったけれど、
次男に至っては、ここまで来るのが結構大変な道のりだった。

彼がお腹の中にいる妊娠6か月の時、私は運転中に相手が原因の正面衝突事故に遭う。
救急車で運ばれた時には赤ちゃんはもうだめかと思った。

幸いにも、赤ちゃんには何のダメージもなく、私もろっ骨にひびが入ったくらいで済んだ。

妊娠8か月の時には、超音波で腎臓の病気が見つかった。
胎児でもそんなのわかるんだと驚いたものだ。

それから、小学校に入るまではず~っと検査をし続け、途中喘息にもなり、発作で入院することもあった。
入院中、小児科病棟の公衆電話で仕事の打ち合わせをしているところをお医者様にみられ、
「お母さんの顔じゃなかったね」なんて言われたりもした。

それらの病気は成長と共に徐々に良くなり、今の悩みはニキビくらい。

無事に育って本当に良かった

あとはなんとか大学を卒業し、無事就職してほしい。

比較的母性が少ないと言われる私でも、こんなにハラハラするのだから、
ちゃんとしたお母さんたちの心配はどれくらいのものなのだろう。

ともあれ、とりあえず、成人式は無事終わり、本人はものすごく楽しかった、と幸せそうに帰ってきた。

そんな姿をみられれば、もういいかな、と思った成人式の夜でした

月末の期末試験の頃、またハラハラが待っているに違いないけれど










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お正月の風景

2016年01月06日 | 家族

あけましておめでとうございます

それにしてもなんて穏やかで暖かな年末年始だったことだろう。

わが家の年末年始の過ごし方は毎年同じ。

まずは31日。

夫の実家では何故か31日の昼間に「初詣」と称して成田山へ行く。
息子たちが小さいころは一緒について行ったけれど、大きくなった今は「初詣?」と疑問を持つようになり、
ついて行かなくなった。
私もなんとなく初詣感を感じられないのと、おせちなどの準備で忙しいのでついて行かない。
なので、ここ数年は夫と義母と義弟の3人で出かけて行く。

彼らが戻ってきて、夜になったら、夫の実家で一緒に年越しそばをいただきながら、除夜の鐘を聴く。

そして、近所に初詣に出かける。

最初に、車で10分ほどのところにある源心寺。

ここでは除夜の鐘を突かせてくれるので、鐘の周りには長蛇の列。



昔はこんなに人がいなかったので並んで突いていたけれど、最近はお参りだけして、横目で見ながら通り過ぎる。

境内では葬儀屋さんがテントを張って、甘酒、年越しそば、蜜柑などをふるまっている。



お寺の中で葬儀屋さんって・・・。

ここでお参りを終えたら、次は家の近くに戻って、地元のお稲荷様へ。



ここでは、自治会のおじいさんたちが神主さんのように白装束を身にまとい、白いひらひらを振っている。
ご利益はあるのだろうか・・・。

「あけましておめでとうございます」の声が飛び交う中、
自治会の方たちが缶コーヒー、お茶、缶入りのお汁粉などの温かい飲み物やミカンを手渡してくれる。

なんとなくほっこりとした気持ちで家に帰り、順番にお風呂に入って布団にもぐりこむ。

明けて元旦は、やはり暖かくて穏やか。

庭に出てみると、枯れたと思っていた南天が復活している。



坪庭のソヨゴとチロリアンランプの赤い色がなんだかおめでたい。

  

以前にアレンジで使ったスプレーマムを挿し木してみたら、結構立派に咲いている。



母と分担して作ったおせちと買ってきた練り物をお重につめて、お雑煮とお汁粉と一緒にいただきます。

 

少しのんびりしたら、夜は再び、夫の実家へ。

次男がお年玉をもらい、義母と義弟と一緒に、おせちをいただく。

翌2日の夜は私の実家へ。
と行っても徒歩3分。

妹と妹の息子もやってきて、みんなで焼肉パーティ。
お正月感無しだけれど、これはこれで美味しいし楽しい
なにより、誰かが用意してくれたお食事ってだけで、うれしい。

いよいよお正月休み最後の3日はまたまた夫の実家へ。

義兄の実家に行っていた義姉家族が戻ってきて、一緒に新年会。

義兄の実家のある房総の道の駅で買ってきてくれた新鮮なお刺身や、お寿司をいただき、
お正月休みはおしまい。

例年、あと1日か2日くらいどこにも出かけずにのんびりできる日があるけれど、
今年はあっという間にお正月休みが終わってしまった。

大学の冬休みでダラダラしている次男以外は、日常に戻る。

皆さま、今年もよろしくお願いします


















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