ゆるゆるらいふ

とりあえず、今日も一日機嫌よく・・・

秋の実ものアレンジとデザートビュッフェ

2015年09月19日 | グルメ
今日は朝から忙しい。

まずは月に一度のフラワーアレンジのレッスンへ。

今月のシーズンフラワーは実ものを使った秋っぽいアレンジ。
とはいえ、この日の花材には実ものはヒペリカムしかない。
生花で調達がむずかしかったのかしら?
プリザーブドの人は、実がたくさん。
今回に限っては、プリザーブドにしておけばよかったなあ、とちょっと後悔。

このアレンジは、珍しく4個の花器を使う。



今までは、使っても3個。

4個の組み合わせはバランスが難しい。

出来上がりもちょっとビミョー。



でも、キノコが入ると、一気に秋っぽくなった。

まあ、これはこれで・・・。

そうそう、今日はゆっくりはしていられない

なぜなら、これからデザートビュッフェに行くのだから。

ビュッフェ会場は、新浦安にあるオリエンタルホテル東京ベイの「ブローニュの森」
2階、フロント前アトリウムにあって、ホントに森のよう。



このカフェの前にはチャペルもあって、結婚式が行われていたりする。

お隣さんが、このホテルで働いているので、割引料金で連れて行ってくれた。
この日と前日の2日間限りのイベントだ
なんていう幸せ

お隣さんと、そのお嬢さん、ともう一人、スペシャルゲストが。
数年前にオーストラリアにお引越しした、英会話とPCの先生である女性が、今年帰国し、倉敷に住んでいるのだが、
たまたま千葉のご実家に帰省していて、この日一緒に行くことが出来た。
オーストラリア人のご主人は倉敷でお留守番。

ホントはもう一人、友人が来る予定だったのだけれど、前日から体調を崩し、急遽キャンセル。
残念なことこの上ない

14時半の開始時間の少し前にお店に入り、スタートを待つ間、お隣のお嬢さんが写真を撮ってくれた。
彼女は妊娠9か月。
こんなところに来れるのもあと少し。
赤ちゃん誕生まで秒読みだ。

ホテルで働くお隣さんによると、有名なパティシエの方が少し前にこのホテルでスイーツを提供し始めてから、
格段に美味しくなったとか。

今回のイベントはそのシェフによる試験的なものらしく、これがうまくいったら、この先もこういうイベントをやって行こうってことらしい。

そうこうしているうちに、たくさんのスイーツが次々とカウンターに並べられる。  

 

 

 

 

 

壮観 

最後のロールケーキとアイスクリームは、シェフ自ら切り分けてくれる。

ケーキの周りにはいろんなソースも置いてあって、これはどうしたらいいんだろう、なんて考えていると、
シェフがすかさず現れて、こんな風にしたら美味しいですよ、と食べ方のバリエーションを教えてくださる。

こんなにたくさんのスイーツを食べたのは、何十年ぶりだろう。

一つ一つがそんなに大きくないので、いろんな種類が食べられてうれしい。

コーヒーやお茶はお替り自由

残念ながら、アフタヌーンティなどにはよくついている、一口サンドウィッチみたいな口直し的なものはポテトチップスのみ。
だんだん、口が甘くなってきて、最後の方はフルーツポンチとポテトチップスばかりつまんでしまった。

ちょっと甘くないものが交じっているともっと行けたかも。

さすがにおなかがいっぱいになって、夕飯は食べられなかった
しばらくケーキはいいやってくらい食べちゃいました。

最新の超音波でのお腹の中の赤ちゃんの写真を見せてもらい、私たちが子供を産んだ時からの物凄い技術の進歩に驚き、
オーストラリアや、倉敷の色々なお話を聞き、ホントに楽しいひとときを過ごさせていただいた。

次回のビュッフェの開催が楽しみだ。

ダイエットは明日から・・・






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三人寄れば文句の家

2015年09月15日 | 演劇
以前参加していたセミナーでご一緒した女性から劇団を起ち上げた、とお知らせをいただいた。
私より少し年上の女性だが、エネルギーがハンパじゃない。

「今日、お茶しませんか?」とか「今日ランチしませんか?」と突然連絡をくださるので、
都合が合えばのこのこ出かけていき、お勧めのお店を教えていただく。

だいたい有楽町ってことが多い。

さて、1か月ほど前、同じように連絡をいただき、お勧めの甘味屋さんであんみつを食べて、チケットを受け取り、
この日を迎え、一人で銀座に出かけて行く。

銀座みゆき館という小さな劇場は、ソニープラザの近く。
抜群の立地

「三人寄れば文句の家」というタイトルが楽しい。

ご本人ももちろん出演している。

お金持ちのお医者さんを父に持つ3姉妹が、父が亡くなったことから遺産相続のゴタゴタにまきこまれ、
それに絡んで知らなくてよかったみんなの秘密が次々に暴露され・・・、というドタバタコメディー。

彼女は3女の役。
3女と言っても、後妻の連れ子なので、父親や姉二人とは血のつながりはない、というちょっと複雑な役どころ。

ちょっと投げやりな感じの物言いが普段の彼女を彷彿とさせて、くすっと笑える。

お決まりの遺産相続争いに加え、どろどろの不倫やら、部下の裏切りやら、
「渡る世間は~」並みのドタバタ具合。

長女の役者志望の息子の父親は実は大スター、なんてさすがにそこまではっていうくらいの
これでもかのてんこ盛り。

最後は、テレビドラマのラストのようなハッピーエンド。

ごちそうさまでした

それにしても、誘ってくれた彼女のエネルギーたるやハンパじゃない。
いつもいつも前向きで、言いたいことをはっきりと言いつつも、細やかな気遣いも忘れない。

最近、すぐに息切れしてしまう私とはえらい違いだ。

彼女を見習って、私ももう少し軽やかに行動しよう、と思わせてくれた土曜日の午後でした




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悪童 ~はじめてのライブ・ビューイング~

2015年09月07日 | 演劇

こんなにチケットが取れないとは

3年ぶりの舞台だという。

近くの映画館で千秋楽にライブ・ビューイングを上映するというので、申し込んでみたら、当たった

やってみるもんだ

で、珍しく夫と一緒に出かけてみた。

お話の舞台は、かつて町一番のレジャー施設「レジャーセンター竜宮」
今は閉鎖されて、廃墟となったこの建物の中に、一人の男が立てこもった。
男の要求は同級生の仲間4人をそこに連れてくること。
しぶしぶながら集まった仲間たちは、忘れていたり、記憶違いだったことを少しずつ思いだし・・・。

ある程度の年齢の地方出身者なら、思い浮かべるレジャー施設があるのではないだろうか。
ボーリング場とか、ゲームセンターが一緒になったような・・・。
そして、今はつぶれてしまって・・・。

警察に包囲されてるレジャーセンターに立てこもったチャックを演じるのは戸次重幸さん。
地元で家業を継いでいる。
警察に頼まれて、彼の説得を試みる市役所勤務の西クンを音尾琢磨さん。
チャックの要求で、かつての卓球部の仲間に必死で招集をかける。
その呼びかけに応じて一人、また一人と故郷を離れた仲間たちが集まってくる。
エリート会社員の紺ちゃんに森崎博之さん。
投資家として大金持ちになって、なんだか感じの悪い巻くんに安田顕さん。
昔からおちゃらけていて、今はそこそこ有名な芸術家となったエロッチに大泉洋さん。

なんとなく、みんなピッタリだ。

チャックはいつまでも昔の想い出の中に生きていて、心が前に進んでいない。
都会に出て成功しているかに見えるみんなも、実はそれぞれに色々な闇を抱えている。
実直な公務員の西クンは病気を抱え・・・。

そして、全員がかつて傷つけてしまった昔の仲間への苦い思い出がしこりのように残っている。

チャックの要求で昔の遊びをしたり、昔の想い出を話しているうちに、
それぞれが少しずつ記憶違いをしていたことに気が付く。

失意を胸に引っ越したと思っていた仲間が実は自分たちに感謝し、今は成功していることがわかったり、
とそれぞれの傷が少しずつ癒えて行く。


実はライブビューイングは初めて。

以前に舞台をテレビ中継で見たら、なんだかつまらなかったので、ちょっと敬遠していた、が、これがなかなか面白い

なにより映画館だとスクリーンが大きいので臨場感がテレビとは全く違う。
当たり前だ

それに席が後ろでも、よく見える。

舞台と違って、アップになっちゃったりするので、今しゃべってる人の表情がはっきりわかる。
ただ、その間、舞台にいる他の人たちがどんなふうなのかは全くわからない。

これが舞台との大きな違いな気がする。

ライブビューイングやテレビ中継はそこにカメラマンの意図が入ってしまう。
舞台だと、自分の好きなところに目を向けることが出来る。
それが、作者や演出家の意図するところとちがったとしても、だ。

ともあれ、NACSの皆さんの絶妙な間に大笑いしたり、じ~んとしたり。

何より、内容が私の年代にはなんとなくストライクな気がする。

仕事や子育てがひと段落して、ふと昔を振り返ったり、同窓会などで昔の仲間と会うことが多くなったり、
それぞれがそれぞれの「あのころ」を思いだし、胸が暖かくなったり、苦いものがこみ上げたり・・・。

昔の仲間に会うと一瞬にあのころの自分に戻ってしまう。

もしかしたら自分に都合のいいように記憶を違えているかもしれない。
けれど、あのころの自分が今の自分の背中をおしてくれるような。

こんな風に思うなんて歳とっちゃったなあ~、なんて思いながら、また明日も頑張ろうと思う。

演劇だけれど、長編の映画を観たような不思議な感覚になった、初ライブビューイングでした










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國語元年

2015年09月06日 | 演劇

言葉というものは生き物だ、ということをしみじみと感じさせられた舞台だった。

故井上ひさしさんの戯曲なんだから当たり前と言えば当たり前。

私自身も東京に出てきたときに、言葉の違いを実感している一人だ。

時は明治7年の春。

文部省官吏の南郷清之輔の家にピアノの伴奏にのせた歌声が響く。
小学唱歌集編纂の命を受けた清之輔が作った歌を家族や使用人が楽しそうに歌っているのだ。

メロディは「むすんでひらいて」とか「線路は続くよどこまでも」とか
耳慣れたものだけれど、歌詞が全然違う。

讃美歌なども交じっている。

やっとの思いで完成した小学唱歌集は、日の目を見ることなく、上司にスルーされ、
次に命じられたのは「全国統一話し言葉を制定せよ」というもの。
この日から、南郷家はさあ大変

だって、この家は方言のオンパレード。
清之輔本人は長州、妻と舅は薩摩、三人の女中は江戸山の手言葉と下町のべらんめえ言葉と米沢のズーズー弁。
車夫は遠野弁、書生は名古屋、小学唱歌編纂のために迎えた洋楽教授はアメリカ育ちで日本語がビミョー。
大阪から人違いで乗り込んできたお女郎さんは河内弁、国学の押しかけ教授のお公家さんは京ことば。
挙句の果てに押し込んできた強盗は会津訛り。
よくみんな相手につられずに流れるように方言をしゃべれるものだと感心する。
私なんて、相手の言葉にすぐつられちゃうのに・・・。

まじめで人がいい清之輔を演じるのは八嶋智人さん。
家族にも使用人にも分け隔てなく、決して偉ぶらず、どんな小さな意見もちゃんと聞く。
小柄な八嶋さんが、自分の仕事に誇りを持ち、いつも胸を張ってる姿がコミカルでいじらしい。
それがだんだんと自信を無くしていく姿が本当に痛ましい。

そんな清之輔の妻、光に朝海ひかるさん。
八嶋さんより頭一つすらっと背が高く、常に優しい薩摩弁ですべてを「よかよか」と受け入れる。
どんなに大変なことが起こっても、一人だけ話すスピードが変わらず、ゆったりと構えている姿は見習わねば、と思う。
夫の成功を心から喜び、逆境にあっては優しく見守り、使用人たちにも慕われ、親孝行。
世の男性たちの理想の妻なのではないだろうか。

清之輔の名を語った男に騙されて、怒鳴り込んでくるお女郎、ちよは竹内都さん。
まんまるでかわいい
最初はすさんでいたけれど南郷家の人々の優しさに触れ、徐々に南郷家のためにつくしはじめ、
その思いの強さから、ついつい余計なことをして清之輔をおとしめることに・・・。

山本龍二さんが演じる会津訛りの強盗、虎三郎が深い。
強盗に入るものの、訛りが強すぎて何を要求しているのかがまったく伝わらない。
けれど、なかなかインテリで常に冷静で、みんなが変な方向に向こうとするときに、的確な指摘で流れを変える。
こういう人が政治家の中にいてくれたらなあ、と思ったりする。

清之輔の努力と混乱は徐々に増していき、なんだかちょっとヤバいぞ、って感じになってくる。
明るい八嶋さんがどんどんシリアスになっていくのが、追い詰められてる様子をリアルに感じさせて、
じわじわと胸に迫ってくる。

結局、全国統一話し言葉は完成することなく、清之輔の部署は解体されてしまう。

何かが完成したり、おめでたいことがあったりするたびに書生が集合写真をとろうとするのだが、
旧式のカメラはシャッターを押してから取り終えるまでに時間がかかり、いつも何かの邪魔が入って、まともに撮れたためしがない。
このことが、「うまくいかない」未来を予言しているようで、さらっと不穏な空気を醸し出している。

言葉を統一するなんてしょせん無理、と井上さんはおっしゃる。
使っている人の言葉それぞれが日本語で、その総和が日本語、だと。

私自身もそうだったけれど、地元で話しているときには、その言葉が標準語かどうかなんて意識したことが無かった。
むしろテレビドラマで女の人たちが話す「~かしら?」「~だわ」なんて言葉は、テレビの中でしか使われてないモノだと思っていたくらい。
こっちでホントにそんな風に話しているのを目の当たりにしたときのカルチャーショックったら
それに、どうしても標準語には置き換えられないニュアンスの言葉たちもたくさんある。

関東に住んでいるのが北海道で暮らしていた時間よりずいぶんと長くなってしまった今でさえ、
これは標準語?それとも方言?と思うことがある。

そして、地元の友達と話していると、あっという間に地元の言葉に戻ってしまう。
そのことは、とても自分を安心させてくれる。

「美しい日本語」はありえない、とも井上さんはおっしゃる。

確かに、みんながアナウンサーのようにきれいに話していたら気持ち悪い。


南郷家は民主主義の理想の形なのだろう。
みんなが善人で、一人一人の意見や立場や言葉を大切にし、犯罪者に対しても愛情をそそぎ、犯罪者もまたその愛を受けて改心し・・・。

現実はとてもとてもそんな風には行かず、今日もまた悲しい事件が起きている。
政治の世界は民主主義とはほど多い様相を呈している。

相手の言葉に込められた思いををきちんと受け止め、
自分の想いが真っ直ぐに相手に伝わる言葉を話すことが出来たら、
それこそが「美しい言葉」なのかもしれない。

そんな美しい言葉を使えるような人になりたいものだ、などとしみじみと思ったステキな舞台でした。





















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天空の蜂

2015年09月06日 | 映画

試写会が当たった

あまり何も考えずに応募したので、それほどの期待もなく妹と二人で出かけて行く。

会場は有楽町の朝日ホール。

ボヤ~っと観てたら、のっけから「え?いきなり?」っていう急展開。

どきどきハラハラの連続だ

「あぶない」とか「あともう少し」とか
心の中で叫びながら、踵が浮いてくる

最新式のヘリコプターが何者かにジャックされ、原子力発電所の真上に。
燃料が無くなれば墜落し、発電所が大破する。
しかも、ヘリには爆薬が
しかもしかも、なぜかこのヘリには設計者の息子がいたずらで乗り込んじゃったまま

犯人の要求は「日本中の原発を破壊すること」

この事態を何とか収拾すべく、ヘリの設計者と、原子力発電所の設計者と警察・自衛隊が
命がけの攻防を繰り広げる。

ヘリの設計者が江口洋介さん。
原子力発電所の設計技術者が本木雅弘さん。

この二人はもともとは仲が良かったようだが、今はなにか確執があるらしい。

親子・夫婦の気持ちのすれ違い、いじめ問題、政府の事なかれ主義、核の恐ろしさ、
原発の危うさ、国民の無関心と身勝手さ。

どれもこれも、まさに今私たちが抱えている問題で、とても原作が20年前に書かれた小説とは思えない。

原作を読んでないので、もしかしたら現代に摺り寄せた部分はあるのかもしれないにしても、だ。

モックンが言う「(政府にとっては)国民の命より、電気の方が重い」
というセリフが胸にささる。

福島が今なおあんな状態なのに、政府は原発を再稼働させてしまったこのとき、
あまりにもタイムリーだ。

実際にヘリを遠隔操作するのは綾野剛さん。
結局は利用されただけみたいになっちゃう悲しい犯人だ。

真の首謀者が、その原発をターゲットにしたのは、そこでなければならなかった明確な理由があり、
それがまたとてもリアルで、福島原発の事故は起こるべくして起こったと思わずにいられない。

どきどき、ハラハラしたかと思うと、じ~んと切なくなったり、ほっこりと温かくなったり、
とにかく自分の感情がジェットコースターのようにアップダウンを繰り返し、
観終ったら、なんだかぐったり疲れてしまった。
もちろん、途中で眠くなる暇なんてなかった

最後に国民に向けた犯人からの重いメッセージは、ついに送信されずじまい。

ああ、ほんとうにこの国はどうなっていくんだろう。

もし、試写会に当たらなかったら、わざわざ映画館には行かなかったかもしれない。
思いがけず、いい映画を観させていただいた。

ただ一つ残念だったのは、会場が映画館じゃないのでスクリーンが小さかったこと。
これが大スクリーンと本格的な音響ならもっとどきどきしたことだろう。

このところ、ちょっとイッっちゃった感じの安倍総理とその周りの人たちの暴走が止まらない。
こんな事件が本当に起こったら彼らはいったいどうするんだろう。
自分たちだけシェルターに入りかねない、って思っちゃうほど信用できない。

選んだのは国民だ、といわれても、総理を自分たちで選ぶことはできないし、
やめてほしい、と思う人がいても選挙区が違うとどうすることもできない。

出馬ごとに選挙区をランダムにシャッフルしてほしいものだ。
そうすれば政治家にももう少し緊張感がでそうなものを・・・。

と、話しがそれてしまったけれど、とにかくいい映画だった。

原作もぜひ読んでみようと思う












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