【ピサロ】
パルコ劇場 2021.5.29
作 ピーター・シェーファー
演出 ウィル・タケット
翻訳 伊丹十三
コロナが猛威を振るいだした昨年の3月ごろから、舞台の上演中止や延期が相次いだ。
楽しみにしていた公演が前日になって中止となってがっかり、なんてことも。
今思えば、あの頃のほうが感染者数は全然少なかった気がする。
この「ピサロ」もそのひとつ。
開演日がずれて上演されたのもつかの間、10回の公演を経て結局中止となってしまった。
私がもっていたチケットはこの10回のあとの日程・・・
新しくなったパルコ劇場に行きたい!というのも目的の一つだったが、結局かなわなかった。
で、今回のリベンジ観劇となる。
16世紀スペイン。
60歳の老兵ピサロが200人弱の兵を率いて、インカ帝国を征服するため、アンデス山脈を越える過酷な旅にでる。
キリスト教の布教のため、スペインのため、名誉のため、黄金を手にしてお金持ちになるため・・・
兵たちのそれぞれの思惑はバラバラで、ピサロの統率も危うい。
共通しているのは、色々な名目があれども結局「私欲」
インカ帝国は国王アタウアルパのもと、貧富の差もなく、みんなが平和に幸せに暮らしていた。
国王本人も、国民も、国王は太陽の子と信じて、自然と共存する美しい世界。
この無抵抗の善人たちを、黄金を奪うために虐殺するピサロたち。
国王を軟禁して国民にすべての黄金を差し出させる彼らの行いは非道きわまりない。
歴史、特に世界史に疎い私は、「そもそも」がわからずに観劇。
でも、昔々から人類はこういうことを繰り返してきたんだろうな。
どんな大義名分をふりかざしたところで、しょせんは私利私欲のため。
ある日突然、言葉も通じない人たちに突然襲われる恐怖は想像を絶する。
無垢な国王は、ピサロたちを信じ、国民が救われると信じ、躊躇なく黄金を差し出すのに、
彼らが救われることはなかった。
ピサロの部下たちが極悪非道なふるまいをする中、
ピサロたちとの約束を信じて疑わない無垢な国王と過ごすうちにピサロの心に変化が起こる。
約束を守ろうとするピサロの声は、黄金を前に欲が加速する部下たちには届かず・・・
黄金に目がくらんで、欲をあらわにする部下たちはまだ自分に正直だ。
私が嫌悪感を抱いたのは、キリスト教の布教を理由にして、略奪・虐殺を繰り返す修道士たち。
私は特に宗教を持たないので、宗教に関してよくわからない部分もあるし、キリスト教に関して特に悪意を持っているわけでもない。
ただ、この舞台の中においては、太陽神を崇拝する人々を悪とし、力でキリスト教徒にしようとし、あげく命と黄金を奪う。
こんなことを彼らの信じるキリストは望んでいたのだろうか。
年老いた政略者は母国の英雄となる。
国王アタウアルパと無邪気に過ごし、良心の呵責に苦しむ、ということが本当にあったのかどうかはわからない。
そうであってほしいと願うけれど・・・。
それにしても、インカの国王を演じた宮沢氷魚さんの美しさったらない。
舞台の始まりの時に太陽に照らされたシルエットが浮かび上がった時の目を見張る神々しさ。
オーラがハンパない。
ピサロを演じる渡辺謙さんよりも存在感があったと思う(渡辺謙さんごめんなさい)
本気で自分を太陽の化身と信じている、っていうのが演じているというより、ほんとにそうかも、と感じてしまう。
副官役の栗原英雄さんとかいや~な修道士役の長谷川初範さんなどのベテランを前に、
この人たちもひざまずいちゃうんじゃないか、ってくらいの威厳。
そして立振る舞いの美しさ。
首がシュッと長くて頭が小さいのがこれまた絶妙なバランス。
よくぞこの人を!って感じでした。
今回のチケットはなんと一番前の席。
役者さんたちのお顔がよく見えるので、迫力もひとしお。
ピサロの苦悩の表情から、老いの苦しみもひしひしと伝わってきた。
翻訳は故伊丹十三さん。
1985年に翻訳したみたいなので、ちょっと言葉遣いが古い部分もあった気もするが、
古い時代の話なので、それはそれでいいのかも。
パルコ劇場が新しくなって1年余り。
昨年、少し状況が落ち着いたころに訪れたときと同様、検温・手指はもちろん靴裏の消毒、と余念がない。
ただ、観客はびっしりと入っていた。
昨年は一人おきの席が主流だったけど、最近はどこもわりとびっしり入っている。
ここでもちょっとコロナ慣れしてきてますね。
これだけ壮大なセットを作り、練習を重ねて、中止になった無念はどれほどだっただろう。
この先も、そんなことが起こらないよう、コロナに冷静に向き合える日が来るのを願ってやまない。