「上野ファームに行ってみたい!」という私の一言に端を発した今回の北海道旅行だけど、
実は私にはもう一つ大きな目的があった。
それは、恩師に会いに行く、というもの。
前の年の同じころ、私は札幌を訪れていた。
大きな目的は2つ。
一つはコーチングを学んでいることで所属しているコーチングプレイスというプラットフォームの札幌での勉強会に参加すること。
もう一つは、その前の年に設計させていただいたグループホームの竣工後の様子を見に行くこと。
もちろん、友人たちにも会いたい。
このときも恩師に会いに行きたかったが、まだコロナが収束しておらず、関東からの訪問は憚られたので、お電話だけにとどめた。
そのときにぽろっとご自身の年齢をおっしゃったのを聞いてびっくり
87歳
コロナ前にお会いした時に車で駅まで迎えに来てくださったので、まだ70代かと勝手に思っていた。
いつか会いに行こう、なんて言っていられない。
来年きっと会いに行こう、とその時心に誓ったのだった。
高校の時の先生になんでそんなに会いたいの?
と聞かれることがある。
それは文字通り「恩師」だから。
あのとき先生が手を差し伸べてくださらなかったならば今の私はない。
大学2年から3年になる春休み、
私は家庭の事情で大学を辞めなければならない事態に陥っていた。
3年生の前期の授業料が捻出できないのだ。
女だてらに工業大学の建築科に入学した私を
部活の顧問だった先生は応援してくださっていたので、
辞めなければならなくなったことを報告に、母校を訪ねた。
養護教諭である先生と保健室で話していたら
「あなたはやめたいの?やめたくないの?」
と問う。
「できるならやめたくない」と答えた私に
「じゃあ、一度だけチャンスを上げる」
と先生は前期の授業料を貸してくださった。
もしこれで続けられるなら続ければいいし、つらくなったら気にしないでやめればいい。
最終的に返してくれればいいから、と。
首の皮一枚でつながった私は、周囲に大学を辞めて東京で働くと嘘をつき、
アルバイトと奨学金で学費と生活費を捻出し、
なんとか卒業して、建築士になることが出来た。
そして今も仕事を続けている。
北海道へ帰る機会はなかなか無くて、会えることも少ないけれど、
時間が許せば先生のお宅を訪ねて、
私が妹とでやっている設計事務所で設計した建物の写真を見ていただく。
例えば今回はこれ
小さいテナントビルと
小さい保育園
それと地元の友達が依頼してくれたグループホーム
数年かかって3棟、携わらせていただいたのが、昨年終了した。
先生は、高齢だけど、車の運転は続けていて、小樽から2つ札幌寄りの駅まで迎えに来てくださった。
ちょっと危ないけど・・・
途中で買ったサンドイッチを食べながら、写真を見ておしゃべりをする。
生涯独身の先生はそろそろ終活を考えている、などとおっしゃる。
大きな建物を建てることもなく、雑誌に掲載されるような作品と言えるようなものもないけれど、
細々と続けてきた事務所も今年で30年。
もしもあのとき大学を辞めていたら・・・
この人生はなかった。
仮に辞めていたとしても
違う仕事に就き、誰かと出会い、それなりに幸せに暮らしていたかもしれない。
でも、何かにつまづいた時、
あの時辞めなければ、と人のせいにしてくすぶって生きていたかもしれない。
そんな思いをしなくて済んだのは先生が進ませてくださった一歩のおかげだ。
次にいつまた会いに行けるかわからないけれど、
どうかどうかお元気で。
帰りも駅まで送っていただき、札幌に戻る。
列車はびっくりするくらい海に近いところを走り抜ける。
この日の夜は幼馴染たちとお食事をして、怒涛のおしゃべり。
翌日は大好きな叔母を訪ね、一緒にランチをいただき、
ここでまたまたおしゃべり。
いつ訪ねても温かく迎えてくれる叔母とのおしゃべりは本当に楽しい。
千歳空港に着いたら、台風の影響で飛行機は50分遅れ。
もしかしたら飛ばないかもしれない、といろいろシュミレーションしてたので、
欠航じゃなかったことにホッとする。
羽田に着いたら夜10時を回っていたが、夫が迎えに来てくれていた。
4泊5日、家族と一緒じゃない私だけの過去最長の旅が終わった。
旅の間、関わってくださったみなさま、ありがとうございました