人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

この一週間(大震災から2週間目)

2011-03-28 05:00:00 | Weblog

3月24日(木)の日本経済新聞朝刊に小池真理子さんが「言霊(ことだま)の祈
り」と題して「震災後、数日間にわたって、私は小説を一行も書くことができなか
った」と書いていた。このたびの大震災--悲惨な現地の報道に接するにつけ
そのお気持ちに同感、一日でも早い復興を願わずにはいられない。

3月18日(金) わが第5グループは午後6時20分頃から計画停電の予定。終
業後、家路を急いだ。自宅最寄り駅から徒歩で帰る途中、6時半、一斉に灯り
が消え、あたりは真っ暗になった。すぐに交差点に待機していた二人の警察官
がライトを両手に交通整理に入った。見事な交通整理ぶりにしばらく見とれて
いたら、警察官に「歩行者はどうぞ~(渡って)」と言われてしまった。

今月は、当初4つの演奏会に出かける予定だったが、大震災の影響でそのす
べてが中止となった。全国的に「歌舞音曲(かぶおんぎょく)」を控える動きが広
まった。

3月19日(土) 体調を整えるにはウォーキングが一番とばかり、自宅から4km
ほどの王禅寺ふるさと公園(川崎市麻生区)まで夫婦で歩いた。公園には早咲
きの桜が満開である。
この公園には何回も来ているが、王禅寺自体には行ったことがない。はたして
王禅寺はどこだろう?と小道を入っていくと、そこに立派なお寺、星宿山王禅寺
があった。宗派は真言宗で、「東の高野山」と呼ばれていることを知った。

近所の書店で『音楽の友』4月号を購入。各種連載記事--中でも「ブル先生
の日々是好日」は真っ先に読んでいる。早速母の祭壇にお供えした。


王禅寺ふるさと公園の桜(玉縄桜)


王禅寺本堂


日露戦争出征記念の碑 このあたり、所々にある 
農家の若人がたくさん出征したのかしらん

3月20日(日) お彼岸である。愛甲郡愛川町にある、わが霊園に夫婦でお墓参
り。小田急本厚木駅からバスに乗り、40分かかった。ガソリン不足の影響か、い
つもよりマイカーで来ている人が少ない。帰りは直行バス30分で海老名駅に出
た。海老名のマルイにあるレストランで遅い昼食をとる。マルイはかなり照明を落
として薄暗く、某共産国のデパートを連想してしまった。


公園墓地にて 花粉は見えないかな~
今年(9月)は父の三十三回忌でもある 
私が初めて喪主になったのは28歳の時だった



自宅近所の こぶしも 満開 (2011/3/20)

3月21日(月・祝) たまプラーザまで片道30分を夫婦ウォーキング。公益社に立
ち寄ったが、当日の出棺の時間(午後2時)だったのであわてて引き返した。有隣
堂書店で『新編名曲名盤300 ベスト・ディスクはこれだ!』を購入。ベストでない
ものを探すのもまた楽しい。

3/22(火)~25(金) 出勤。

3月26日(土) 娘が出てきたので、家内と3人で「定年記念」のランチをいただい
た。(息子は用事があり、欠席。)--二子玉川のレストラン鎌倉山にて。
二子玉川は今月17日にRISEがオープンしたので大変混んでいた。母娘がショッ
ピングの間、紀伊國屋で2時間本を物色。ケネス・ルオフ『紀元二千六百年』(朝日
新聞出版 2010年12月25日刊)を購入。
東急田園都市線はこの日も急行が運休となっていた。いわゆる節電ダイヤであ
る。


オープンしたばかりのRISE(ライズ)


高島屋南館10Fより 用賀方面


鎌倉山


鎌倉山のローストビーフ

3月27日(日) お彼岸も過ぎたというに今日は一段と寒い。こちらの最高気温
予想は10℃。宮古は最高3℃だという。被災地は気の毒だ。ただいま室温
16.8℃。厚着しての原稿書きである。

今朝の朝刊によれば、東日本大震災の被災者のために、日本赤十字社に寄せ
られた義援金は400億円を超えたという。2週間で164億円だった阪神大震災
を大きく上回る、過去最高ペースである。今週、わが一社員からも会社で募集し
ている義援金を出すにはどう手続きしたらいいですか?という相談があった。

大正12年9月1日関東大震災(*)の時、その発生の報はただちに米国に打電
され、時の大統領C.クーリッジは、即日、日本救援のため、陸海軍の出動、赤十
字への呼びかけなど積極的な行動を起こしている。(**)

今回のオバマ大統領も地震発生から5時間20分後には「日米の友情と同盟は
揺るぎない」という声明を発表している。ともかく米国はやることが早い。

(*)関東大震災の震源地は相模湾の北西部だった。小田原では全家屋の8、
 9割が倒壊し、市内は全焼したという。
(**)この話は、今井清一『日本の歴史--大正デモクラシー』(中公文庫)に
 は載っておらず、ましてや高校の教科書には出ていない。

なお明治39年のサンフランシスコ大地震にあたって、日本は日露戦争後の厳
しい財政のなか、現在価値600億円という援助金を米国に送っている。関東大
震災の17年前のことである。
 

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