福沢諭吉と「脱亜論」を整理しておきたくて、関連図書を読む。
福沢諭吉は、1835年生まれ、1901年死去。
初めて知ったが、生まれてから明治維新1968年までが33年、明
治維新から亡くなるまでも33年だ。
福沢諭吉の「脱亜論」は、昭和8(1933)年、石河幹明編『続福
沢全集』(昭和版全集)に初めて収録された。
戦後、昭和26(1951)年、遠山茂樹が「日清戦争と福沢諭吉」で
初めて「脱亜論」に言及。
「脱亜論」は、李氏朝鮮の政治家金玉均(1851-1894、開明派)
の動きと関連する。
1882/2~7 金玉均、日本留学←福沢諭吉支援
1882/10 壬午事変 済物浦条約 金、来日
1884/12 甲申事変クーデター失敗→金、日本に亡命
1885/3 「脱亜論」(「時事新報」)
1894/3 金、上海で暗殺される。
1894/7 日清戦争(明治二十七、八年の役)
小泉信三『福澤諭吉』1966
飯田鼎『福澤諭吉』1984
脱亜論と甲申の変(p188ー206)
丸山真男『「文明論之概略」を読む』1986
福沢諭吉『学問のすすめ』1942
福沢諭吉『福翁百話』(佐藤きむ現代語訳)2010
福澤諭吉『文明論之概略』(先崎彰容現代語訳)2017
宇野重規編『福沢諭吉』2021
北岡伸一『独立自尊』2011 ★×5
(「脱亜論」で)福沢は、日本はすでに遅れたアジアの域を脱している。そ
れに比べ、中国と朝鮮の二国は儒教流から変わることがなく、西洋文明を取
り入れようとしない。このままでは西洋諸国の分割の対象となるかもしれな
い。日本は隣国の開化を待ってアジアを興す余裕はない、・・・・・・、悪友を親
しむ者は悪名を免れられない、われわれは心中でアジア東方の悪友を謝絶し
よう、と主張した。・・・・・・朝鮮の文明開化に熱中した福沢の敗北宣言(坂野
潤治)であった。(p255)
坂野潤治『近代日本とアジア』2013 ★×5
甲申事変により朝鮮国内の親日派勢力が一掃されたことが、福沢の一貫した
対外論であった朝鮮改造論の可能性を失わせ、それが福沢をして朝鮮に対す
る「親愛」を放棄させたのである。(p61)
西部邁『福澤諭吉 その報国心と武士道』2013
坂本多加雄『新しい福沢諭吉』1997 ★×5
福沢の「脱亜論」は、日本が西洋諸国と同等の優位の立場でアジア諸国に臨
むような状況を前提にしているのではなく、むしろ逆に、朝鮮の一件に対す
る深い失望と、強大な申告への憂慮の念に駆られて記された文章ではないか
(p216)
平山洋『福沢諭吉の真実』2004
中嶋嶺雄編『歴史の噓を見破る』2006
渡辺利夫『新 脱亜論』2008 ★×5
福沢諭吉 齋藤孝訳『現代語訳 学問のすすめ』2009
小浜逸郎『福沢諭吉 しなやかな日本精神』2018
日本のリベラル左派知識人は、自分たちの政治イデオロギーに都合のよいよう
に憲法解釈し(それは保守派もおなじですが、政権担当者には、そうせざるを
得ない現実的な根拠があります)、「立憲主義」という言葉を、なにやら高尚
な知性の産物であるかのように錦の御旗とします。しかし彼らが実際にやって
いることは、無責任な高みから、現実に政治に携わる者たちを批判するために
この言葉を利用しているだけなのです。(小浜逸郎p337)
はたして?一理は、あるか?ないか?
大久保健晴『福沢諭吉 最後の蘭学者』2023
小川原正道『福沢諭吉 変貌する肖像』2023 ★×5
本書は福澤諭吉の死後、知識人たちは福沢をどう論じ、評価し
てきたか--その変遷をまとめたもの。
福沢諭吉は、戦前は右翼に評判が悪く、戦後は左翼に評判が悪い
時期があった。
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<時事放談> 興味のない方はスルーなさってください(笑)。
○自民党総裁選に10人以上が立候補!?
立候補する人が多ければ多いほど、20人の推薦人集めは苦労す
る?石破氏は本当に集まる?
選挙管理委員会は20日の会合で選挙日程を決める予定だが、投
開票は9/20か9/27になりそうだ。
となると、はたして「10月解散総選挙」はあるのかしらん。
8/18のYahoo! Newsに対するコメントだったか、西田亮介教授が
公言される理屈すら自民党の論理ばかり。総裁選は公選法も適用されず、一
般の国民は無関係。しかし自民党の理屈だけで総裁が決まるとすれば、遠く
ない総選挙、さらに続く来夏の参院選で国民はすんなりと受容するだろうか。
と言っている。
私は(以前も書いたが)自民党員でもなければ自民党支持でもないが、西田
教授の(ステロタイプな?)意見には疑問を持つ(アンダーラ
インの部分はその通りだが)し、あまり信頼は置けない。
我が国は米国のような大統領制ではなく、英国型の議院内閣制(→
こちら)だ。
したがって、「国民参加」の選挙(とくに総選挙)による多数
党のリーダーが首相となるのは「当然」であって、それを、「政
策論争」のうえで、党員を含めた党内選挙で選ぶのも、その前に、
ホンネの言える「仲間内」で「事前調整」があるのも、また「当
たり前」とすべきではないか。
(山本七平からすれば「あたりまえ」は難しい問題だが[笑])。
(極論を言えば、話し合いや禅譲で総裁が決まっても[さすがにお金を配る時
代ではないが、以前はあった。]、それは自民党内の選択の問題だ。)
議院内閣制だから、現多数派の自民党の総裁が首相になるのだか
ら、メディアでも大きな注目の的になる。
立民党の代表選挙がメディアで盛り上がらないのは第一党になる
可能性が現時点ではまだ見えて来ないから?
立民党代表選挙の投開票は9/23だ(あまり知られていない?)。
個人的には注目しています。
立民党でも「大派閥」サンクチュアリ(どちらかというと、旧社会党グループ。
現近藤G。立民党左派)が誰に投票するかが問題なのだが。
立民党内は、「イデオロギー」対立がある(if any)だけよけいややこしい?
自民党員ではない私(自民党員以外の国民)にはむろん総裁選の
投票権はないが、あったらおかしい(笑)。
ちなみに共産党のように党内選挙すら行わないのは論外?(これも以前書いた?)
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