ノンフィクション作家工藤美代子氏が週刊新潮に「皇后美智子さま」
秘録を連載中である。
その第23回に「皇太子の御教育掛「小泉信三」の密命」として、小泉
信三の名前を発見した。
時期的には、終戦後、昭和24年前後のことが書かれている。
この記事によれば、昭和22年、小泉信三は首相吉田茂から文部大臣
の要請を受けたとある。それはいいとして、吉田茂の「使い」できた
武見太郎に、小泉信三が断る場面でうん?となった。
「私は皇室のお蔭で成長した男です。皇室の恩顧に報いることなら、
自分の体を捨ててもお引き受けします。しかし、文部大臣になる気
はありません。せっかくですが、その旨を吉田君にお伝えください」
(塩田潮『昭和をつくった明治人』)
はたして、小泉信三が吉田茂のことを「吉田君」というだろうか?
--吉田茂は小泉信三の10歳年長だった。
当時の人は年長でも「~君」と呼んでいたのだろうか?
小泉は吉田のことを同輩と思っていたのだろうか?
それとも「その旨を吉田君にお伝えください」という記述自体が間違
いなのだろうか?
書かれたものが独り歩きすることもある。何が「事実」なのか?は実に
難しい。
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先日(12/11)取り上げた新日本フィルの音楽監督に上岡(かみおか)
敏之氏が就任することが決まった(ホットニュース!)。2016-2017
年シーズンから5年契約である。楽しみだ。
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