人生ブンダバー

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張作霖爆殺事件(昭和3年)

2021-08-16 05:00:00 | 近現代史

山川出版社の『改訂版 日本史A』(2019)によれば、昭和3(1928)
年6月4日の張作霖爆殺事件は次のとおり記述されている。

 1928(昭和3)年6月、関東軍の一部は中央にははからず独断で、満州へと敗
 走する張作霖を奉天郊外で列車ごと爆破して殺害した(張作霖爆殺事件)。
 当時、事件の真相は国民に知らされず、満州某重大事件と呼ばれた。
 元老の西園寺公望の助言もあり、田中首相は当初、真相の公表と厳重処分を決
 意し、その旨を天皇に上奏した。しかし、内閣への国民の批判を恐れた閣僚や
 陸軍(注:小川平吉鉄道大臣や白川義則陸軍大臣)から反対されたため、首謀
 者の河本大作大佐を停職にしただけで、一件落着とした。
 この方針転換をめぐって田中首相は天皇の不興をかい、1929(昭和4)年に内
 閣は総辞職した。


*河本大作:1883-1955。当時45歳。大正3(1914)年、陸大卒。
*田中義一:1864-1929。同64歳。
*小川平吉:1870-1942。同58歳。孫は宮澤喜一元首相。
*白川義則:1869-1932。同59歳。松山出身、陸軍大将。

この事件は、
・『昭和天皇独白録』
・河本大作「私が張作霖を殺した」(『文藝春秋』1954/12)
・佐藤元英<二つの「日記」が解いた張作霖爆殺事件の謎>
 (『中央公論』1990/11)
・秦郁彦『昭和史の謎を追う(上)』(文春文庫1999)
・半藤一利『昭和史』(平凡社2004)
・秦郁彦「張作霖爆殺事件の再考察」(『政経研究』第44巻1号
 2007)[未読]
・古川隆久『昭和天皇』(中公新書2011)
(一次史料からの引用多し。巻末の「昭和天皇についての研究史」も有用。)
・筒井清忠編『昭和史講義』(ちくま新書2015)
等に詳しい。


なお、ロシア人作家プロホロフが共著『GRU帝国』(2000)の中
で唱えたソ連特務機関説は根拠に乏しく(史料批判に耐えうる史
料がない?今後の新発見は?)、信ぴょう性に乏しい。



母方の祖父弥七一家が満州(四平街)から日本へ戻ってきたのは
この頃のことである。昭和3年、弥七は46歳だった。









佐藤元英<二つの「日記」が解いた張作霖爆殺事件の謎>
・『牧野伸顕日記』(1990刊)
・『侍従武官長奈良武次日記』(2000刊)


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