小説家、詩人、文芸評論家である伊藤整(1905-1969)が亡くな
ったのは、昭和44年11月15日である。
伊藤整では、私は若い頃、『文学入門』、『女性に関する十二章』、
『若い詩人の肖像』、『知恵の木の実--人と思想』などをおも
しろく読んだ。
その伊藤整の『太平洋戦争日記』が出版されたのは昭和58(1983)
年のことだ(最近になって知った)。
永井荷風は、戦時中、どちらかというと「世捨て人」というか超
越した生活を送っていたが、伊藤整は30代で、日本大学の講師と
して、比較的「普通の」生活を送っていた。
伊藤整『太平洋戦争日記』より
昭和16年
12月1日
・・・・・・なお、アメリカからの文書(注:ハルノートのことと考えられる。)
は基本原則に戻っていると東郷外相の昨日の演説にあり、日本強硬にて日米
交渉駄目らしきも、今日の夕刊読売にては、東条首相は各方面と交渉の結果、
なお日米会談続行のつもりにて今日臨時閣議を開いた、と出ている。・・・・・・
12月8日
・・・・・・午後1時出かけると田中家の裏の辺でラジオが日米の戦争、ハワイの軍
港へ決死的大空襲をしたこと、タイに進駐したこと等を報じている。はっと
思い、帰るかと考えたが、結局街の様子を見たくて出かける。・・・・・・
タバコ屋にてタバコを買う。魚屋や八百屋の行列の女たち、いつものとおり
なり。・・・・・・
昭和18年
2月10日
<ガダルカナル島>
朝刊大本営発表にて、ガダルカナル島及びニューギニヤのブナに前進して、
後方の本隊の基地建設を援護中であった挺進部隊は、その目的を達したので、
そこを撤退して他方に転進せしめた、という発表。要するにブナとガダルカ
ナルを撤退したのである。
5月22日
<山本司令長官戦死>
朝刊にて、山本司令長官の戦死を知る。真の戦略家らしいこの人を失うこと
は、何にも増して心細さを覚える。まことにこれは国家民族の大戦争となっ
ている。
5月31日
<アッツ島の我軍全滅す>
アッツ島の我軍、二千数百名は、二万の敵に囲まれ、遂に全滅す。29日夜傷
者、病者は自決し、百余名の生存者は山崎部隊長の下、遂に突撃して全滅し
た、と今朝の朝刊にて読む。昨日ラジオで午後5時発表の由。こんな悲壮な事
件はない。何ということか、とうとうこういう事になった。悲痛この上もな
い。いよいよ今度の戦はその真相を露骨に現わして来た。
昭和16(1941)年12月の真珠湾攻撃の「大成果」によって始まっ
た太平洋戦争(対米英戦争)も、昭和17年6月のミッドウェー海
戦をターニングポイントとして、昭和18年には、ガダルカナル島
の撤退、アッツ島の戦いの敗北など、形勢がかなり不利となって
いた(ちなみにサイパン島の敗北は昭和19年7月)。
そんな中、私の父が大学を繰り上げ卒業したのが昭和18年9月で
あり、陸軍に入隊したのは11月だった。
父には聞いたことがなかったが、おそらく無事に帰れない覚悟は
していただろう。
父は、小泉信三の長男信吉と同じ大正7(1918)年生まれだった。
伊藤整『太平洋戦争日記』(新潮社)
ドナルド・キーン『日本人の戦争』(文春文庫)
野坂昭如『「終戦日記」を読む』(中公文庫)
永井荷風『断腸亭日乗』(岩波文庫版)
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○昨9/30、何気なくNHKの「あさイチ」を視ていたら、山口放送
局の島田莉生(りお)アナウンサーが出ていた。
入局して3年目。ワグネルの後輩です。
「だいぶNHKらしくなりました」
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