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人生ブンダバー

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遠山・今井・藤原『昭和史』(岩波新書)

2009-01-31 05:30:30 | 近現代史
昭和43、44年の東大紛争時、私は高3の受験生だったことは前に書いた。受験に落
ちて、44年4月から東京の受験予備校に通うことになった。街では「夜明けのスキ
ャット」、「ブルー・ライト・ヨコハマ」、「風」などが流行っていた。


予備校に日本史の先生は二人おられたが、年配のH先生は55歳くらいの真面目な先
生で、なぜか三省堂の教科書を指定しておられた。(もう一人の先生はざっくばら
んなおもしろい先生で「教師だって家ではすててこ一枚なんだ」と言っておられ
た。)


昭和20年8月8日にソ連は日ソ中立条約に違反して宣戦布告、満州(中国東北部)、
朝鮮に攻め込んだ事実に対して、H先生の授業では、「『日ソ中立条約に違反し
て』という部分は必ずしも明記しなくてもいい、--林健太郎氏は書くべきだと主
張しているが」と言っていた。(山川の教科書には「日本史」も「世界史」もきち
んと明記してある。)

またH先生は江戸時代の「、」(江戸時代の身分制度における蔑称)の歴
史とか沖縄の歴史にも熱心で、わざわざそれだけで1時間の授業があった。



H先生に薦められたのかどうか忘れてしまったが、遠山・今井・藤原の『昭和
史』、井上清『日本史』(いずれも岩波新書)を副読本としてよく読んだ。これは
明治以降の記述式答案作成には役立った。高校では明治以降、とくに昭和史はあま
り教えられなかったからである。


当時は知らずに読んでいたが、今から読むとこれらの本は明らかに唯物史観による
記述である。--西南戦争の西郷隆盛は反動ではなかったなどという書き方がそれ
らしい。

ちなみに井上清先生は日本共産党の党員だったが、70年頃には東大全共闘を応援し、
共産党を除名されていた。(無論、当時はそんなことは知らなかった。)井上先生
は林健太郎と同い年でいずれも東大の史学出身。井上先生は平成13年、林先生は平
成16年に亡くなられた。


(注1)私見であるが、唯物史観等々書きぶりは別として、戦前は満州事変、二・
  二六事件、近衛首相の「国民政府を対手(あいて)にせず」声明等々少なから
  ず問題があった。「国民政府を・・・・・・」などはなによりも近衛本人が失敗だっ
  たと思ったようだ。


(注2)上記遠山・今井・藤原『日本史』(岩波新書)では「8月8日の深夜、ソ連
  は、連合国の求めにより戦争の終了を促進するためとの理由で、対日宣戦を布
  告し」満州、朝鮮に攻め込んだとの記述となっている。これではソ連の代弁者
  ではないかといわれても仕方ないのではないだろうか。(日ソ中立条約違反と
  いう言葉がない。)戦後、ソ連は65万人以上といわれる日本人捕虜をシベリア
  に抑留し、強制労働に従事させ、多数の死者を出した。

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