「昭和史」を取り上げることが多いので、もう少し「音楽」を増やそう。
マーラーの9番を初めて聴いたのは、会社に入って2年目、コンドラシン指揮、モ
スクワフィルの演奏、ソ連直輸入のメロディア盤LP2枚組だった。
当時、部長代理のYさんに「(この演奏は)なかなかええよ」と関西弁のイントネ
ーションで薦められたものだ。第4楽章Adagioを繰り返し聴いたものである。
CDの時代になって購入したのがバルビローリ指揮ベルリン・フィルの「名盤」である。
これはバルビローリとベルリン・フィルの唯一の録音となったが、まさしく「一期
一会」の名演奏となった。
バルビローリがベルリン・フィルの演奏会でマーラーの9番を振ったのは1963年1月
だった。この演奏に感激したのは、ほかならぬベルリン・フィルの奏者たちであっ
たようだ。この録音は、ベルリン・フィルの楽員の申し出により、1年後の1964年1
月に実現したのである。(まだまだベルリンではマーラーが珍しかった時代だ。)
なお、バルビローリはイタリア系であるが、英国生れの英国人で「Sir」(サー)
の称号を受け、サー・ジョン・バルビローリと呼ばれていた。
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Q.イギリスの称号はどのようなものがあるでしょうか?
A.さぁ?
→正解!!
マーラーの9番を初めて聴いたのは、会社に入って2年目、コンドラシン指揮、モ
スクワフィルの演奏、ソ連直輸入のメロディア盤LP2枚組だった。
当時、部長代理のYさんに「(この演奏は)なかなかええよ」と関西弁のイントネ
ーションで薦められたものだ。第4楽章Adagioを繰り返し聴いたものである。
CDの時代になって購入したのがバルビローリ指揮ベルリン・フィルの「名盤」である。
これはバルビローリとベルリン・フィルの唯一の録音となったが、まさしく「一期
一会」の名演奏となった。
バルビローリがベルリン・フィルの演奏会でマーラーの9番を振ったのは1963年1月
だった。この演奏に感激したのは、ほかならぬベルリン・フィルの奏者たちであっ
たようだ。この録音は、ベルリン・フィルの楽員の申し出により、1年後の1964年1
月に実現したのである。(まだまだベルリンではマーラーが珍しかった時代だ。)
なお、バルビローリはイタリア系であるが、英国生れの英国人で「Sir」(サー)
の称号を受け、サー・ジョン・バルビローリと呼ばれていた。
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Q.イギリスの称号はどのようなものがあるでしょうか?
A.さぁ?
→正解!!
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